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ギミックエンド  作者: 國枝あきら
8/10

第8話 誰が異端児

 「…………『朝露』は、名前じゃない」


 部室内の空気は何だか張り詰めたまま、流れを止めたように思えた。


 「そ!僕もそれがヒントになると思ってる」


 空気がまた流れ始めた。

 俺と三影は目を合わせて、しかし何だか『ぴったり息が合った』というのは少し恥ずかしいような気もして目をすぐに逸らした。

 不逞な笑み、というのだろうか。まるで答えを最初から知っているような試し顔で、三影はニヤニヤと笑っている。


 「君が言ったのはつまり、『朝露』という単語自体は一般名詞としても存在しているということだよね?」

 「は、はい」

 「『朝露翡翠』は名前として独立しているが、『朝露』だけでは人の名前だと断定できない。うんうん、僕もそれがヒントだと思うよ」


 両手をすり合わせて満足げに目を細める三影をよそに、翡翠は何となく不満げな表情を浮かべている。

 理屈としては理解できているようだが、事の本質はそこではないと言いたいのだろう。

 だがまあ、その翡翠の抱く不満に共感はできる。

 あくまで字数以外の証拠を見つけたと、ただそれだけのこと。何か結果を伴うような指摘でもない。

 ただ、この導き出した解がくだらない議論を一歩先に進めてくれると、今の俺は信じて止まない。

 なぜなら、


 「俺だけがおかしいのかと思ってた」


 三影は今日初めてキョトンと、何か言いたげなことがあるでもない顔で俺を見つめていた。

 隣にいる翡翠も目線をこちらに寄越す。


 「だって、一般名詞ならメモにちゃんと残るってことは、ですよ。翡翠さんの名前()()がメモから消えるんでしょ。記憶の齟齬に関しては俺が明らかにおかしいの認めますけど、根本的には翡翠さんの方にも何か問題がありそうじゃないですか」


 少し語調が強かったかも。

 言ってからビビる癖は抜けないが、恐る恐る翡翠の方を向いても当の本人はそこまで動揺していなかった。

 それどころか俺の目をぎらり睨み返して、


 「当たり前のこと言わないで」


 つん撥ねてきた。

 へっ、と薄ら笑みを見せる俺に腹が立ってきたのか、翡翠はさらに続ける。


 「そもそもアンタが失くすのはアタシに関する記憶だけなんだから、アンタだけの問題じゃないことは最初から分かりきってることでしょ。アタシたち二人の問題なのよ、これは」


 謎の連帯意識を押し付けられてまごついている俺を横目に三影は窓辺の人形に目をやり。

 それから視線を戻して、はぁーあとため息をこぼした。

 その様子は何だか違う人格が垣間見えた瞬間のようで、少し怖い。

 すると三影は緩んだ口元を数センチ下げ、椅子から腰を浮かして、


 「ま、翡翠ちゃんの言うことはごもっともかもねー。一連の騒動は結局『何が問題を起こしているのか』っていうそもそものシステムがよく分からないわけで、さっきの発見は別に議論を前に進めるわけじゃない」


 出鼻を挫かれた!

 おいおい、そりゃないだろ。このサークル部長、あっさり信念を曲げて翡翠側についた。

 さっき、これがヒントになるかもって言ってたじゃん。さっきまでの威勢の良さはどこに行ったんだよ。


 「ま、でもね。翡翠ちゃん」

 「はい?」

 「きっとこれ、答えは出ないものだと思うんだ」


 三影の言葉は、軽くなったり重くなったりする。

 素っ頓狂なことを言い出すかと思えば、割と核心めいたことをポロっとこぼしたり。

 今回は、後者だった。

 

 三影はすくっと立ち上がってから俺と翡翠の顔をじろっと見つめ上げ、こう吐いた。

 

 「そもそも、今回起きたことってほとんどファンタジーでしょ?僕は仮にもミステリー研究会の部長だけどね、ここまでの怪奇現象に巡り会ったことがない」

 「そ、そうですけど!このままじゃ」


 人差し指をピンと立てて翡翠を静止した三影は続ける。


 「あのね。翡翠ちゃんが秋吉くんの連絡先だけ携帯に追加できなかったり、翡翠ちゃんのフルネームを秋吉くんがメモできなかったり、ありえない話でしょ。でも、実際に起こっているんだろう。僕は君を信じているから、この一件も信じるよ。ただね、その仕組みを君はどうやって解明するの?」

 「そ、それは、ほら。メモを見たら思い出したみたいに、何か手掛かりがあれば」

 「正しい昨日の記憶を、秋吉くんに思い出させたいんだね?」

 「そうです」


 妙な感じだった。

 肌がなぞられるような、そういう気味悪さ。何となく、頭の中を覗かれているような。

 とにかく嫌な気配が部屋に充満していて、俺は一言も言葉を発することができなかった。

 苦しい。俺は翡翠のこと、何だコイツと思っていたのに。

 今は何だか、三影が次に言う言葉が耳に届く瞬間を、ただ恐れていて。

 でも逃げることもできないから、聞くしかなかった。

 聞くしか、なかった。


 「――無理だよ」


 そう告げてから、何秒も経っていない。しかし。

 おちゃらけた雰囲気の人間が、諦念を抱いた時。それは酷く恐ろしい刹那に思えた。

 何か言い返そうとしている翡翠はまるで、声を出せなくなってしまったみたいに。

 訴える何かが何か以上にならないことに気付くと、少しずつ身を萎ませていった。


 「あくまでミステリーっていうのは茶番なんだ。嘘は冗談として楽しむものでしょ、ミステリーもそう。だからね、そこまで真剣になられると困るんだ」


 身も蓋もないことを言った。

 俺には分かる。

 この男は当事者でないのをいいことに、この騒動から身を引こうとしているのだ。

 冗談に何ムキになってんの、と。もういい加減やめようよ、と。

 『折れてしまった心』が目に見えてしまった時、俺はふつふつと込み上げる焦燥感にいつの間にか突拍子もないことを言っていた。


 「それはないだろ」


 三影が本当の自分を見せた時、俺ももう一人の自分が顔を出していた。

 それは何か、幼少期の時の自分に近くて。

 外で走り回って、友達と手を繋いで。毎日喧嘩もして。

 その時の、常に活力が外側に出ていた自分が、声を大にしていた。


 「なに、きみ」

 「アンタは当事者だから分からないだろうけど、とにかく俺らは怖いんだ。自分たちの身に何が起きてるのか、今度は何が起こるのか、自分たちだけがおかしい状況って、怖いんだよ」

 「……………………」


 翡翠は俯こうとしていた目を俺の方に向けて、驚いたように瞳孔を大きく広げていた。

 まさか俺がこんなに堂々と、思ったことをそのまま相手に伝えるなんて、思いも寄らなかったのだろうが。

 俺だって、どうなっているのか分かっていないのだ。この状況が、何もかも。

 でも、今こうして世界に取り残されるような孤独感を分かち合えるのは、翡翠だけなんだ。

 怖くても、何とかしなきゃいけないという思いはたぶん一緒だから、さ。


 「協力してくれとは言わないから、俺らの気持ちも分かってほしい。突き放さないでほしい。無理とかなんとか、こっちだって理解はしてるんだ。でも、なんていうか、このままじゃ気持ち悪いんだよ」

 「……………………ふむ」

 「…………まあ、でも、今日はやめる。もう、帰るよ」


 日もすっかり落ちていた。

 暗くなった外は、俺たちを飲み込んでしまいそうな気がする。

 それぐらい、今日という日は変だ。

 どうしようもないぐらい変で、でもそれを受け入れなければいけない。

 俺らは一体、どこに向かって歩いているのか。


 俺がやっとのこと思いを真っすぐに伝えてから、三影は立ち上がったまま腕を組んで、それから腕をほどいて。

 じいと俺の目元を見てから、『ごめんね』と言った。


 「…………言い過ぎたよ。真剣であることをバカにしてはいけないね」


 三影がくねくねと身体を揺らしながら頭をぽりぽり掻いていると、翡翠も続いて威勢よく言った。


 「そうよ!よ、よく言ったじゃないアンタ。私たちは怖いんだから!」


 勢いはあるが、言っていることは恐怖心の吐露でしかない。

 しかし、今ならその気持ちが何となく分かる。

 二十三回の出会いを繰り返した記憶が戻って、やっと全てを思い出したのだ。

 俺の中には、翡翠に対して色んな感情が渦巻いている。

 どれだけ怖かったろう。一人取り残される感覚が、どれだけ身体を支配していたのだろう。

 まだ記憶に齟齬はあるが、少しずつ取り戻そう。

 ゆっくりでいいから、少しずつ――。


 「は、は…………えっと、帰りましょう。もう夜も遅いですし」


 そうこぼすと、翡翠も三影も頷いて、一歩踏み出した。

 すると、振り返って戸締りの確認をした三影は暗がりの外を見て、ふと昨日のことを思い出し、


 「昨日みたいに、雨が降りだしたら困るもんね」

 「え」


 その瞬間、俺の中で何かが動揺した。

 焦燥感とも違う、心臓が喉元に込み上げてくるような、全身を襲う感覚。

 身体の中をぐるぐると回る大きな異物が、叫びをあげようとしている。

 ここにいる、と。早く見つけてくれ、と。


 「――昨日って、雨でしたよね」

 「?そうだよ」

 「いつから、降ってました」


 俺が何やら神妙な面持ちで聞いてきていることに気付いたのか、三影は顎に手を当ててうーんと思い出し始めた。

 翡翠も部室から出る手前一度立ち止まって考える。

 そして三影が先に口を開き、


 「一日中、降っていたよ。朝から晩まで」

 「――おかしい」


 俺の記憶ではそうでない。

 昨日は起きた時にまだ晴れていて、昼頃には雲行きが怪しくなる程度だった。

 つまり、降り始めたのは少なくとも午後になってからだ。


 「もしかして、それも記憶の齟齬?」

 「はい。俺の記憶では、雨が降り出したのは午後からです」

 「そ、そんなわけないさ。だって、ほら――」


 三影がスマートフォンを取り出して、その画面を俺に見せてきた。

 そこには昨日の時刻と、時刻ごとの天気が載っていて。

 どの時刻においても、表示されているのは傘のマークばかりで。

 それが視界に入った途端、


 「――思い出した」

 「「え」」


 二人が同時に驚いて、俺の方をまじまじと見て。

 汗が一瞬で冷えていく俺が次に吐く言葉を、待っているようだった。

 だから俺は、


 「なんでいきなり、めんどくさいなんて言ってきたんだよ!」


 記憶の符号が、全てを呼び覚ました。

 翡翠は俺の方に歩み寄り、すっかり笑顔で言葉を掛けているようだった。

 俺はその言葉を聞き取るまでもなく記憶の収拾に精一杯で、混乱してばかりだった。

 しかし、これですべてが終わったのだ。

 これで、何もかもを思い出したのだ。


 やっと、解放される――。


 「残念だ」


 何者かの声が、耳のすぐ横を通った。

 その瞬間俺は眩暈がして、遠のく意識の所在に気付かぬまま膝を落として。

 腰に流れる電流が何のために流れているのか理解するにも及ばず。

 力が入らない身体はすぐに立つことを諦めて。

 うつぶせに倒れ込んで最後に見た人間の姿は、ひょろひょろとした細身の男だった。


 「…………み、かげ?」


 翡翠が、翡翠…………が、何だって?

 聞こえない。なんで。あれ、俺、死ぬのかな…………。

 今、何が起きた。翡翠は、ちゃんと、逃げたのか…………。


 ………………………………………………………………。


 「――悠長に過ごしすぎた。さあ、こちらに来なさい」

お久しぶりです。

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