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ギミックエンド  作者: 國枝あきら
6/10

第6話 齟齬の齟齬

 ――この一本を逃したくない。

 

 「はっ、はっ」


 今日は観たいB級映画がある。

 しかし次に来るバスを逃せば、今日中に最後まで見終えることができない。

 焦燥感に駆られるまま俺は、小刻みに手を震わせ、ダッシュでバス停に向かっていた。


 「あと、一分…………」


 バス停が視界に入った。と同時に、向こう側から大きな車両が向かってくるのも見えた。

 バスというのは電車と違って少し到着時刻に誤差がある。それを理解した上で。

 

 「なんで()()着くんだよ…………」


 バスが速度を緩めながらバス停近くで止まろうとしている。

 その姿を見て、俺は状況を即座に判断した。


 ――誰かいる。


 その()()がこちらを向くまでに、時間はさほど掛からなかった。


 「あ、あなた」


 バスの扉がプシューっと、乗客を迎え入れるように開く。

 しかし女は扉の方を見向きもせずにぽつりと、


 「もう、忘れちゃった?」


 そう、呟いた。


 ――は?

 理解が追い付かなかった。

 見知らぬ女、しかし同じ大学の人間だということは何となく分かる。

 だが、誰だ。俺はこんな人間を知らない。話したこと以前に、見たこともない。

 ええい、とにかく今は急いでいるんだ。早くバスに乗り込んでくれ。今は誰かと話している暇なんてない。

 と、そう願っているうちに女は俺の方に向かって一歩二歩と近づいてきた。


 「え、え」


 まごついている俺の目を真っすぐに見て、何かを訴えかけてくるような丸い瞳は俺のことを突き刺して。

 に、逃げたい。誰だ、しかもバスにも乗らず。ずけずけと、いきなりすぎる。

 仰け反る俺は後ずさり、バスの扉の方にだけ視線を向けながら冷や汗を絶えず流していた。


 「ちょ、ちょっと」

 「…………忘れてるみたいね」


 ずいぶん強気なやつ。ただひたすらに怖い。何故そこまで睨みを利かせてくる。

 忘れたも何も、接触したことがない。覚えているも何も、記憶の片隅に置かれたことすらない。

 あまりにも突然すぎる。そもそも俺は大学で誰とも喋ったことないのに。

 ……………ああいや、ミステリー研究会の…………みかげ、だっけ。そいつとは何でか意気投合して、渋々連絡先を交換したな。

 ってことは、


 「も、もしかして。ミステリー研究会の人、ですか」


 その瞬間、俺と女はまるで正反対の表情を見せた。

 俺は落胆して、膝からがくっと折れてしまいそうに。顔面のしわが寄りに寄って。

 女は歓喜の様相で、『それでそれで』と言わんばかりの興奮を見せて。

 当たり前だ、バスの扉が閉まったのだから。俺は今日の楽しみを一つ奪われたような気分だ。

 なのにこの女は、バスのことなんて余所行きの態度で、俺の方ばかりじろじろと見てきて。


 「そ…………そうよ!な、覚えているの?私のこと」


 けれど何か意外そうな様子で、自分から聞いてきたのに予想外の返答が来たようだ。

 ここは正直に話すべきだろう。がっかりさせるかもしれないが、俺はこの人のことを知らない。

 ああ、もう今日は最悪だ。や、今日()

 散々だ。どうしても今日中に見切ってしまいたかったのに、『橋形トンネル魔女の旅』。

 もう、どうにでもなってしまえ。


 「え、ええと。俺が大学で話したことあるのが、そのミステリー研究会の人で。唯一、唯一です。だから、大学で俺のことを知っているのも、なんか、こう…………必然的に、そうかなって」


 うんうんと話を聞いていた女はあからさまに気分を落として、B級映画を見終え損なった俺と同じ表情に移った。

 しかし、『なるほどそういうこともあるのか』と、少し納得したようにも見えた。

 何というか、この女は俺の一挙手一投足を監視しているのか。それでいて、俺を観察対象にしているような。

 まるで人とコミュニケーションを取り合っている感覚ではない。何か奇妙だ。


 「そうよね。でもミステリー研究会っていうのは合ってる。はぁーあ、そうよね。アタシは朝露翡翠っていうの。覚えてない?」

 「お、覚えてないです」

 「そっかぁ」

 

 女は溜め息をついて、肩を大きく落とした。

 俺はそんなことより、ここまで急いだのにバスに乗らせてくれなかったこと、詫びてほしいのだが。

 いや、この女が立っていなかったらそもそもバスが通り過ぎていたか。

 じゃあどっちみち、俺はバスに乗れない運命で――


 「今日の昼休み」


 女は開き直ったように明るい声で俺に問うた。


 「会ったのよ、アタシとあなた。二、三分話したかしら。どう?」


 記憶を、試されている気分だった。実に気味が悪い。

 何だか激昂しそうだった。普段抱えているストレスも相まって、爆発してしまうようで。

 この女、俺のことを本当は知らないんじゃないか。だって今日の昼休みのことぐらい、流石に俺でも覚えているはず。

 カマをかけているんじゃないのか。全部知らない上で、俺を弄んでいるんじゃないのか。

 そう考えたら段々腹が立ってきた。俺を暇つぶしの道具に使うなんて。


 「あの、ですね。えっと、俺は覚えてないんです。話したも何も、これ以上何か言われたって困ります」

 

 女は驚いていた。しかし、それと同時に不満そうな表情でこちらを見つめていた。

 透き通った丸い瞳だ。しかし、その中でメラメラと燃え上がるものを感じる。

 溜まりに溜まった何かを吐き出すように、女はこう言い捨てた。


 「それはそうだけど!」


 びくっとして、跳ねた。防衛本能で。

 ぴょんと跳ねた衝動で、かばんからメモ帳が落ちた。全然使ってないやつ。

 それを拾うのにしゃがむことすら、今の俺には億劫に感じた。


 いきなり大声を張り上げて、ヒステリックなやつだよ。俺、この女苦手だ。

 ああ、今日はバスを諦めて遠い駅の方まで歩こうか。ここから歩いたらかなりの距離があるけど。

 どうしたって、この手のタイプの人間とは分かり合えないのだ。分かりきっている。

 俺のことを見透かしているのか試しているのか、そんなこと知る由もないが。

 相手の気持ちを理解できないやつは、言語道断と言えよう。

 何なんだ、全く。覚えていないというだけで、そこまで怒りをあらわにして。

 もう、話しかけないでほしいな。


 と、心の中でぶつくさと文句を並べる俺が少し冷静さを取り戻して、女の方を見ると。

 女は信じられないような顔で硬直したまま、地面の方を見ていた。

 その視線の先に俺も目を移すと、あるのは真っ白で何も書かれていない――


 ――何か、書かれている。


 メモ帳の、三ページ目あたり。丁度開かれたそのページに、筆跡がある。

 あれ、おかしい。俺はこのメモ帳を半ばお守り代わりにしていて、実用した覚えなどない。

 じゃあ、誰かが書き込んだ…………という線もない。なぜなら、


 「これ、俺の字だ」


 『朝露』、と。殴り書きで。

 俺と女は目を合わせた。天変地異でも起こっている、そんな気分で。

 確かにそこに書かれていた二文字は、俺の書いたものだった。

 俺の字は特徴的なカクカク文字で、『はらい』がないのに『はね』が多い。

 まさにその特徴の通りだった。似ているというレベルではない。

 ということは。ということは、だ。

 俺は、この女に、


 「――会っている」


 ギュンと、心臓の血の巡りが急加速した。

 同時に、頭の中の細胞が、一斉に動き出した。

 何が起きている?俺の知らないところで、知らない俺がこれを書いた?

 いや、そんなはずがない。この『朝露』の二文字を書いたのは――


 「――今日の昼」


 『思っていた通りの美人だ。

  何となくそんな気はしていたが、ぱっつん前髪の人形みたいな女がそこにはいた。

  細い眉、丸い二重の瞳、程よく妖艶さを演じる唇、高い鼻。

  肌は白く、頬は少し肉付いているだろうか。

  青みがかった長髪が、その造形的な見た目をより誇張している――』


 「あなたは、俺に謝ってきて」


 それを言ったのは、女の方ではない。俺の方だった。

 俺は急に蘇ってくる記憶を辿りながら、何回も何回も、何回も。

 人間としての感覚を、取り戻す作業を続けながら。

 何回も、何回も、何回も。

 謝り続けた。何故謝るのか自分にも理解できない。でも何だか、忘れられる方の気持ちに立ったら謝らずにはいられなかった。

 どうして、俺は忘れていたんだろう。どうして。


 なだめるように、それとも安堵するように。

 和らいだ表情で俺の話を聞く翡翠は、まるで夕日に照らされてその日一番の笑顔を見せて。

 伝えたかったこと、伝わらなかったこと、全部ひっくるめて、言い合って。

 そして――


 「――昨日、一緒に昼を食べた」


 俺がそう告げた瞬間、翡翠はまた表情をこわばらせた。

 どうしたのだろうか。俺が翡翠に会った春先からの出会いを、少しずつ思い出して。

 今、良い感じの雰囲気じゃなかったか。

 あれ、俺おかしいこと言った?


 「一緒にお昼ご飯を食べた、と言ったかしら」

 「ああ。俺はコンビニ弁当、あんたはサンドウィッチをいくらか――」

 「おかしいわね」

 「え、ど、どうして」


 「だって。昨日話しかけた時、もう既にアタシはお昼を食べ終わっていた」


 少しずつ答えを擦り合わせていたのに。

 ――全てが、崩れ去っていった。

齟齬という単語、死ぬまで書けない。

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