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ギミックエンド  作者: 國枝あきら
2/10

第2話 気配迫る

 「全部…………」

 「そ、全部」


 生きた心地がしなかった。

 今俺の隣に座っている女は、呟くように、それでも脳に響く力強い声で放った。

 全部、面倒なのだ。俺のあらゆる一面が、彼女にとっては煩わしいのだ。そう思った瞬間、意識が飛ぶような感覚に襲われた。

 身体をふらふらと揺らしながら、何とか倒れないでいる俺はもう逃げる気力すらない。

 ここで死んでしまおう。今日が俺の命日――。


 一体何を考えているのか。初対面の相手に、真っ向から人格否定。

 何を以て、全てが面倒だと形容しているのか。俺が貴方に何か迷惑をかけたのか。かけたのだったら謝るから。どうせもう二度と関わらない相手だろう、お互いさ。だからもう、今すぐ立ち去ってほしい。

 ああ、貴方に言われたその言葉、墓場でも悔いてみせるさ。

 弱虫ですまなかった。でも俺は今言われたことをずっと引きずってしまうよ、きっと。

 そうやって今後同じことで苦しんでいくのを考えるだけで、胸が苦しい。

 なんで、なんでそんなこと――


 「――ほんっと、めんどくさい!」


 びくっとした。肩が数センチ上に浮いた。その瞬間、感情が驚きに支配されて目を逸らすことを忘れてしまっていた。

 あ、と声が漏れる。前髪で隠れる俺の目と、透明にも思える濁りなき瞳が、お互いを意識した。


 思っていた通りの美人だ。何となくそんな気はしていたが、ぱっつん前髪の人形みたいな女がそこにはいた。

 細い眉、丸い二重の瞳、程よく妖艶さを演じる唇、高い鼻。

 肌は白く、頬は少し肉付いているだろうか。

 青みがかった長髪が、その造形的な見た目をより誇張している。


 あまりに現実味を欠いた神秘さに、少しの間だけ我を失っていた。

 目線を改めて外した俺は、先ほど言われた台詞を逐一思い出す。

 全部だ。俺の中の全部。感情だって、見た目だって、何もかも、面倒だ。

 分かっていた。何なら、毎分毎秒そのことを無意識下で感じながら過ごしているつもりだ。

 でも、無意識下の認知と、改めて言語化されて伝えられるのでは、モノが違う。

 記憶の中で刃を向けてくる女。最悪だ。立ちすくんでしまうような思いでいっぱいだ。


 しかし、混乱に支配された頭の中で唯一消えない思いがあることを、確かめてもいた。

 

 「なんなん、ですか」


 初対面で、今初めて目を合わせたような相手。

 その女から、何もかもが面倒だと罵倒されて。

 その発言の意図は知る由もないが、それ以上に。


 「――いきなり、失礼じゃないですか」


 鼓動の乱れはピークを迎え、切れる息は更にその回数を小刻みに増やしていく。

 少し上ずった声は、か弱くも、相手の心臓に、耳に、全身に届くようにと、絞り上げるような思いで。

 ………………言った。言ったぞ。

 俺だって、ずっと黙っているわけじゃないんだ。

 アンタのような人間、大嫌いだ。大嫌いだから、言ってやった。

 もうこれで懲りてくれ。金輪際関わりたくない。関わる必要もない。関わることによるメリットがない。

 ふと、少しずつ顔を上げると、女は眉を上げ、少しばかり驚いたような表情を浮かべていた。


 「……そうね、失礼だと思う」

 「……は?」

 「ごめんなさい。あなたがそこまで言うなんてね、予想外だったわ」


 まるで、夢を見ているようだった。それも、酷くまどろんだ、風邪引いた時に見るやつ。

 この女の発言一つ一つが、不思議だった。というか、奇妙で理解が追い付かなかった。

 初対面のはずなのに、何故俺のことを最初から知っているような体で話しているのだ。

 素性も知れない相手なのに、まるで見透かされているような感覚に憑りつかれて、気味が悪かった。

 

 「……初めて会いますよね?」

 「ええ、はじめまして」


 この時俺は、何か妙な落ち着きを得ていたのだと思う。

 そうでなければ、この後に続く台詞など吐けなかったであろうから。


 「……俺のことを、知っているのですか?」


 冷静だった。

 この女の正体を暴こうとしていたわけでも、場を離れるためにすぐ会話を終わらせようとしたわけでもなく。

 純粋に、未知に対する欲求が恐怖に勝った。その欲求が、的確な問答を要求した。故に、最短距離の質問を投げかけた。

 衝動は、仮に衝動だとして、ひと時の迷いもなければ最適解を導き出す。

 しかし女の返答は、


 「知らないわ」


 拍子抜けという単語が脳内を駆け巡っているのを感じた。

 その証拠に、腰がゆるゆると落ち、軽いため息が漏れた。

 もしかしたら、安堵の態度だったかもしれない。超現実的な展開を迎えなかったことに、そう簡単に世界は変わらないのだと諦念的な意味も込めて。


 「じゃあ、なんで、何度も何度も、俺に面倒だと…………」


 既に俺の緊張は解れていた。

 というより、『もうどうだっていいや』と、この話題のヤマが飽和したことに呆れていた。

 裏を返せば、俺はこの女に超能力的なファンタジーを期待していたのだろう。

 いつの間にか自分を卑下すること以上に、好奇心に従う喜びを感じていたのかもしれない。


 「本能ね」

 「本能?」

 「そう。アタシの目があなたを認識した時、常に何か怯えているように見えた。本能が、そう感じたの。でもアタシはそういう卑屈な奴が面倒で大嫌いだから、そう伝えようと思った。それだけの話」


 人差し指で自分と俺を何度も差し、行き来しながら、ひたすらに罵ってくるその態度は、やはり憎く思えた。

 しかしそれ以上に、この女の思考が一向に自分と同じ人間のものとは同一視できないことに苦しんだ。

 思ったら、言うのか。言ったときに、思うのか。

 その思考回路がどうであれ、生涯かけても俺はこの女の価値観に共感できないと思った。共感しないと誓った。


 「……確かに、怯えているのは事実です」

 「……やっぱり?」

 「……はい。でも、そういう態度が嫌いだからと言って、それを直接伝えるのは……………………」

 「伝えるのは?」

 「……………………傷つきます」


 女は首を傾げた。俺はその表情に余計苛立ちを見せていた。

 きっと、この女も俺の思考に理解が及ばないのだ。俺が理解できないのと同様に。

 生まれ持った性質に一切の交わりがないのだろう。仕方がない。人間とは分かり合えないものだと、俺は知っている。

 分かり合えないなら、分からなくていい。


 「傷つくから、何なの?」


 その瞬間、俺の何かがぷつりと切れた音がした。

 怒りというより、もっと前の、原始的な感情で。

 それこそ女の言う()()が、俺にも宿ってしまったかのような様相で。

 ずらしていた目線はぴたりと合い、緩みかかった口元は縫われたように固く縛り上げ。


 「……もう、知りません。どこか行ってください」


 ふつふつと、込み上げる思いは瞬きすら忘れて。

 全てを放り投げるように。それとも、自分の意思を一番に守り尊重するように。

 真っすぐに、一寸の迷いなく。叫びあげた。

 記憶に残っている限りの俺の人生で、指折りに声を出して。


 「……………………分かった。分かったわ」


 女は席を立ち、俺の方を見向きもせず背中だけ見せて場を去っていく。

 息を荒げてしまった自分を咎めるように、俺は心臓を手のひらでさすっていた。

 これで、よかったのだ。縁を切るという行為は己の心を脆くさせると思っていたが、案外そうじゃないのかもしれない。

 また一つ、成長したと思えばいい。

 

 ……………………………成長?


 俺は今、


 ――自分の面倒さから、自分を庇った。


 あれだけ忌み嫌っていた己の人格を、認めたのだ。

 嫌なはずなのに、この後ろ向きな考えを否定されることを、拒んだ。

 守ったのだ。何事にも悪く考える癖を。その生き方を。


 「あ…………」


 顔を向けても、歩いていった方に女の姿は見当たらなかった。

 結局、名前も聞いていない。顔もあれだけ美麗だったのに、何だか思い出せない。

 水晶のような瞳も、絹のようなきめ細やかな肌も。

 あれ、


 「今、何してたんだっけ…………」


 不可思議な現象が起きた。

 ただ、俺はその現象の発生に気付いていない。

 気付かぬ間に、俺の中から女の記憶は、

 

 ――消えた。


受け入れてみる、お話でした。まだまだお話は続きます。

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