波の行き先
The Sea will grant each man new hope, and sleep will bring dreams of hope
海は人に新しい希望を与え、眠りは家族の夢をもたらすだろう
クリストファー・コロンブス
今日もまた憂鬱な一日だった。社会という荒波に揉まれるようになってから、亮介の毎日は怒涛のように過ぎていた。
毎月のノルマに追われ、毎日頭を下げて回り、気を失ったように眠る。
ちょっといい大学を出て、いい会社に入り、結婚し家庭をもつ。
それら何者かによって決められた当たり前のレールから外れぬように生きていく人生は、果たして自分にとって正しい人生なのだろうか。
休みのたびに自問自答することが日課になっていた。
アウトドア趣味のキャンプもまた、自分を見つめなおす時間が増え、より一層この意味のない問答に拍車をかけてきていて、自分でも笑えるくらいだった。
世界はエネルギーの逼迫に従って、月に一度の全停電を決めた。
日本は毎月最終日曜の夜中0時から2時までの二時間を民間の電気使用を禁止した。
この政策で世界がどう変わるとか、実際にすべての電気が消えているのかとか詳しいことはわからないが、街は静寂に包まれた。もともと夜中なのだから大した変化はないと思われたが、思ったよりも世界は静寂に包まれた気がした。その時間のわずかな外出もなくなり、物音ひとつなくなったというのか。
亮介はその土日を利用してソロキャンプに行くことにはまりだした。
昨今のアウトドアブームでキャンプ場は常に混雑するようになってしまっていたが、
この土日だけは割とベテランのキャンパーしかおらず、ソロを満喫できる時間になっていた。
この日も一通りのソロキャンプの準備をしてから、コーヒーを入れ、夜を満喫した。
余計なことを考えてしまう時間も増えてくるが、このキャンプ場にて星空を眺めるのが好きだった。
一人の女性がテントを離れオブジェの前に座っているのが見えた。
このキャンプ場の名物?である壁の前に窓型のオブジェがおいてあるものだった。
月の光に照らされて壁に窓型の影が写され、新しい扉が開くとかなんとか。
あるゲーム信者であるキャンプ場のオーナーが触発されて作ったらしく、その手のものが好きな人たちが一時期集まり、ちょっとした話題なった。
ただいかんせん、後ろの壁の面積が小さく、影が壁にかぶさる時間がとても短い。
「ずっと開いているより、ある必要な時だけ開く。それがロマンだろう。」
とオーナーは以前に語っていた。
最近はすっかりブームも過ぎ、ただの置物に成り下がっていたが、それをずっと眺めている女性が珍しくなり、声をかけたくなったが、こんな深夜にいきなり女性に声をかけるのもどうかと思い直し、自分のテントに入り夜を明かした。
亮介の両親は、ともに公務員として働いており、英才教育とまではいかないものの、敷かれたレールの上を進んでいくことを求めた。そんな両親に反発することも多くあり、とりわけやりたい仕事があったわけではないが、自分の意志で民間企業への就職を決めた。両親も公務員になって欲しいとの思いはあったようだが、正社員として働く以上、文句はとりわけないようで、就職には反対しなかった。
いま思えば公務員になったほうが、まともな船出になったのだろうかとの思いはあるものの、どこも一緒だろうという思いがかろうじて仕事に向かう足をつないでいた。
「夢でまで仕事に追われる。なんて人生なのか」と。
朝が来ると、キャンプ用品を片付け、また憂鬱な日常に戻っていく。
社会の荒波は容赦なく、亮介をまた飲み込もうとする。
翌月もテントの準備を整え、コーヒーを飲みながら夜の空を眺めていると、先月見かけた女性がまたオブジェの前に座っているのが見えた。
不思議な気持ちが抑えられなくなった亮介は意を決して声をかけることした。
「こんばんは、扉が開くのは見られましたか?」
女性は一瞬、はっと驚いたような顔でこちらを見たが、
「こんばんは、なかなか開かないですね…」と苦笑いを浮かべた。
「なかなかこの時間は難しいですかね?もうちょっと早い時間のほうが見えやすいらしいですよ」
亮介も以前のブームに乗っかり、扉が開くのを見ている。この季節はだいたい何時ごろに影が重なるという情報が共有されていることを話した。
「そうなのですね。でも私はこの時間帯じゃないとなかなか来られなくて」
すでに0時を回っているため、不思議に思った亮介ではあったが、他人に深く詮索されることほど嫌なことはないなと、深く聞くことはやめた。
「自分もご一緒していいですか?よかったらコーヒーもあるので」
「ありがとうございます、いただきます。」
彼女は美波と名乗った。ここら辺の出身ではあるが、今は海のすぐ隣の町で暮らしているという。
同年代ということもあり、地元トークで意気投合し、影のことなんてそっちのけで話し込んでしまった。
「ここら辺は山しかない田舎だから海のある街に憧れていた」
美波が楽しそうに話をする女性だったこともあり、自分の知らない街での生活はとても魅力的に聞こえた。亮介も昔は大人になってから海のある街やら都会やらに住めたらと憧れていたことを思い出した。
「夢に向かって行動できるなんてすごいですよ。自分の夢は何だったか。」
自分はそんなことを思いながらも地元の大学を出て、地元で働いていることを話した。
「それもまたひとりの人生だし間違いじゃないと思いますよ」と彼女は言った。
「二人とも海に憧れていたとは言え、こうしてソロキャンプをしているところを考えると山も地元も大好きなんですね~」と笑った。
「扉も開かないし、そろそろテントに戻ろうかな。コーヒーごちそうさまでした。」
彼女が立ち上がりながら言った。
「そうですね、おやすみなさい」
思いのほか気が合ったのもあり連絡先を、とも思ったが、ふとスマホを取り出すことをためらった。誰が見ているというわけでもないが、何となく電子機器の利用はどうかと。
彼女がテントの中に消えていくのを見送り、自分もテントに戻り眠りに落ちた。
「まぁ明日の朝、また声をかければいいか」
時刻は2時を回ろうとしていた。
自分の頑張りが誰かに認められることはそう多くない。
毎度のごとく言われる「努力が足りない」という言葉に一体どれだけの人が打ちのめされてきたのか。実際のところ努力でどうにかならないことが多いとしても、努力して努力してしがみつかないといけない人も多い。そうしてまた自暴自棄に陥っていくという悪循環。
なにが悪いのか答えなんて出ない。
目が覚めると時刻は8時を回ろうとしていた。
テントを出てあたりを見回すと、すでに彼女のテントは消えていた。
社会の荒波とはよく言ったもので、苦難を乗り越えていくことで人は成長していくというが、実際のところは大きな荒波を超えた先に待つのは、さらに大きな荒波であった。
仕事がうまくいかない亮介は、毎日残業に追われ、少ない休みは同僚や友達と朝まで飲み歩きストレスを忘れる毎日を過ごしていた。良くも悪くも人生なんて哲学的な自問自答をしている余裕もなくなり、ただただ毎日を消化した。
ひと月が経つとまた、停電が行われる土日がやってくる。
また彼女に会えるような気がして、亮介はまたキャンプへと出掛けていった。
キャンプ場につくと、まだほかのキャンパーたちは少ないようで閑散としていた。
テントを張ってのんびりとコーヒーを飲み、のんびりする。至福の時間。
虚ろ虚ろしながら、目を閉じると亮介は意識を手放した。
新しい街で新しいことを始めることはとてもパワーがいる。
憧れや夢だけではうまくいかないなんてことは多い。
慣れない仕事に、慣れない生活。誰も頼れない孤独感。
海を眺めていることが好きだった。
周りから徐々に受け入れられていくなかで、より一層好きになっていった。
みんな海が見えるこの街が好きだということが分かった。
世界は一瞬で変わった。
肌寒い思いとともに意識を取り戻すと、周囲は真っ暗になっていた。
やばいと思い時計をみると時刻は23時を回っているくらいであった。周囲にはちらほらとテントが建てられているようだったが、先月見かけた彼女のテントは見当たらなかった。
「そんな都合よくはないか」と、持ってきていたラーメンを作り、コーヒーを沸かした。
食事を終えてのんびりとコーヒーを飲み始めたころに、近づいてくる女性から声をかけられた。
「おいしそうなコーヒーですね笑」
見覚えのある彼女は相変わらずの笑顔であった。
「あ、お久しぶりです笑。今日は会えないと思っていました。」
「またまた~その量は二人分ですよね笑」
「ばれました?笑」
亮介は美波にコーヒーを差し出し、彼女もそれを受け取り、横並びに影を眺めて座った。
「今日も扉はダメそうですけどね・・・」
扉が開くことで何が起きるわけでもないことはわかっていることで、そこまでこの影にこだわる美波が不思議だった。かといって時間を合わせて見に来ている様子でもない。
「この影に何か思い出でもあるんですか?」
「昔、両親と一緒に見たことがあるんです。思えば家族みんなで出かけた思い出はここで扉を眺めてキャンプをしたのが最後だったなぁって」
しんみりとしてしまった。恐らく両親に何かあって最後に思い出の景色を焼き付けにきているのだろう。
「両親もキャンプが好きで、おかげさまで私もこの通りです」と彼女は笑った。
「前も私の話ばっかりでした。亮介さんのお仕事は順調ですか?」
「仕事はですね…とてもとても笑」
「そんな気がしました。顔色が悪いですよ。ちゃんと寝られていますか?」
彼女みたいな人を聞き上手というのだろう、仕事の悩みから普段の生活も一通り話してしまった。彼女は時折相槌を打ちながら話を聞いてくれ、あまり参考にならないかもと言いながらもアドバイスをくれた。
話を親身に聞いてくれる人がいることが何てありがたいことか、心が軽くなる気がした。
その日も影は重ならなかった。
「よかったらこれ。暇なときにでも連絡もらえるとうれしいです。」と紙に書いたIDを渡した。
美波は少し困ったような顔をしたような気がしたが、
「ありがとうございます、連絡しますね」と受け取ってくれた。
夜が過ぎていく。
「今日はお父さん特性のカレーとBBQだぞ~」
「それは楽しみね~たまには贅沢しないと」
父親がカレーの鍋を作っている周りを楽しそうに男の子が駆け回り、
母親が微笑みながら眺めている。
「カレー大好き!」
「たまにはキャンプもいいだろう」
「〇〇も勉強ばかりではなくて、たまには遊ばないとね」
自分のキャンプ好きも両親に連れ出してもらっていたことが大きかったことを思い出していた。
日常の荒波はだんだんと凪のような景色に変わってきていた。
美波からのアドバイスもあり、日々の仕事なり生活なりへの気持ちの持ちようが変わったのか、ある程度の余裕ができてきていた。彼女のアドバイスは恐ろしく当たっている。
これが成長というのか、慣れというのか。ただ月末のキャンプを楽しみに毎日をすごせるようになっていた。
先月のキャンプから亮介は美波からの連絡が来るのを心待ちにしていた。
時間が空くとスマホを眺める時間が増え、同僚や友達からも彼女ができたかと茶化されることもあった。
実際のところ、亮介は美波にひかれていたが、一か月待てども彼女からの連絡はなかった。
次の月末は朝からずっと大雨だった。さすがにキャンプに出るわけにもいかず、まぁ彼女も来ているわけはないなと諦め、一日スマホを眺めている休日となった。
家で何もしない休日も悪くないなと思う反面、楽しみにしていた行事が雨で中止になってしまう感覚が小学生のころの遠足のようだと笑えてきた。
順風満帆な日々を過ごしていると、いろいろなことを考えるようになる。
というよりもずっと彼女のことを考えるようになっていた。
連絡がこないということは、迷惑だったのか。
「声をかけたのは迷惑だったかな」
来月からは行かないほうがいいのかなとも。
パソコンから流れる歌が何となく心に残った。
次の月末に、迷いに迷った挙句、亮介はキャンプの準備に取り掛かることにした。
「避けるつもりはないけど、こちらからは声をかけないようにしよう」
キャンプ場は多くの人でにぎわっていたが、今回も彼女のテントは見当たらなかった。
おとなしく自分のキャンプを満喫し、夕食を済ませゆっくりし始めたころ、再びあたりを見回し彼女を探している自分に気が付いた。無意識に彼女を探している自分に苦笑するも、その姿はなかった。亮介は早めにテントにはいった。
「このオブジェ、夜は結構怖くない?笑。ねえどう思う?」
「私は好きだけどな~」
「だろ、さすが〇〇はわかっているな~」
「お母さんだけだね~わかってないの笑」
「二人とも一緒にゲームやっているからでしょうに。もうご飯にしよ」
女性がひとりオブジェを離れ、テントに戻っていく。
「この扉は本当に必要な時に開くよ。きっと新しい旅立ちを導いてくれる。
お姫様にプレゼントです。このペンダントも。」
「そこはハープじゃないの?笑」
家族のキャンプはきっと楽しいものになったのだろう。そう思えた。
ふと目が覚め、時計を見るとちょうど0時を回ったところだった。
目が覚めてしまい、テントを出ると月の光が明るい夜だった。
オブジェの前には彼女がいた。
「今日は冷えますね。暖かいコーヒーはどうですか?」
声をかけていた。こっちからはかけまいと思っていたが掛けずにはいられなかった。
びっくりしたような顔を向け、彼女は笑った。
「ありがとうございます。」
その顔にはちょっと涙がたまっているようだった。
「あの…連絡すみませんでした。先月謝ろうと思ったのですが、スマホを無くしてしまっていて。」
「気にしていませんよ。それより寒くないですか。ちょっと待ってくださいね」
彼女の着ている服は最初にあったころと変わらない様子だったため、予備で持ってきていた上着とコーヒーを渡した。
しばらく涙が止まらない様子の彼女が落ち着くのを待ちながら、彼女の話には不思議なところが多いことに気が付いていた。
彼女の様子が落ち着くと亮介は彼女への感謝を伝えた。
「美波さんのアドバイスでとても助かりました。おかげで何とか仕事もうまくいくようになりました。ありがとうございます。」
「私のアドバイスなんですから当たり前じゃないですか笑」と彼女は笑った。
「人生なんて楽しいことはほんの少しだけ、少し期待してまた裏切られて、苦しいことばかりのなかで、もがきながら夢を追いかけているんだと思います。でもそれが生きていることの証拠で、そんな中でも見ていてくれる人もきっとたくさんいるんだと。亮介さんも短い人生を悩むだけで終わらせるのはもったいないですよ。」
その言葉を聞いた自分の中から反射的に言葉が出た。
「今度は君の話を聞かせてもらえないかな?」
「ほらね。私のことを見てくれている人もいた。これを渡してほしい人がいるの」
子供向けの小さなペンダントだった。
両親にこのペンダントを渡して「ただいま」と「いってきます」を伝えてほしい。君も会ったことのある人たちだよ。と。
亮介自身もこみあげてくるものをこらえ切れなかった。
「わかった。約束するよ。」
「絶対だよ。」
扉が開いた。
そこには静寂とペンダントを握りしめた自分だけが残された。
人生が劇的に変わる経験は少ない。良くも悪くも。
意味のある人生がどんなものかなんて誰にもわからない。
けれど人が生きていける瞬間なんてものは一瞬のうちなのかもしれない。
駄文失礼します。