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【江戸時代小説/男色編】

【江戸時代小説/男色編】失水の魚共 ~運命~

作者: 穂高

 ふたりが江戸を離れてすぐの頃、冴桐(さぎり)は常々気になっていたあの惨劇をその夜、主水(もんど)に尋ねた。

 しかし主水は話したくなかった。

 相生は自分と冴桐が契りを交したことになぜか腹立てており、しつこく自分の体を触ってきた。相生の本意が掴めず困ったし、触ってくる相生の手は不快だった。

 これをどう説明しろというのか。

 羞恥心にさいなまれ、主水はなかなか話を切り出せないでいた。

 すると冴桐が「折れた竹刀を見たのは、二度目でした」と語り始めた。

「一度目は……主水殿も覚えておられるでしょうか。わたくしが主水殿に一瞬にして打たれたときのことを」

「ああ。覚えているとも。あれがおぬしとの初の腕比べであったな」

 主水は懐かしさを感じながら思い返した。

「あの時よりわたくしは主水殿のようになりたいと願って稽古に励んでおりました」

 冴桐はこの際だから打ち明けた。

「それは誠か。いやはや、うれしきかな」

 主水はこのときほど冴桐と契りを交してよかったと思ったことはなかった。


 *


「ありゃあ、役人だ。なにしに来たんだべか」

 ある日の田仕事を手伝っていたときのことだった。

 里の人がそう言ったので、冴桐はもしや生賀が自分たちを追ってきたのかと思い、具合が悪くなったから家に一度戻ると仕事仲間に告げて、主水の元へと向かった。

 家に戻ると主水は刀の手入れをしていて、その姿はやはり武士そのものだった。

「おや、お帰り、冴桐。今日はやけに早いな」

 呑気にそんなことを言ってくる主水に、冴桐はここを出る支度をすぐにするよう言った。

 しかし、主水はこう返す。

「いずれ相対することになるなら、今ここで討ち合いを迎えようではないか」

 討ち合いとは、仇討ちのこと。それにも約束事がいくつかあった。

「きっと生賀(いおり)が仇討ちに来たのだろう」

 (つい)の仇討ちはできない決まりだ。生賀の仇討ちさえしのげば、ふたりは自由に生きていける。

 冴桐の剣術の腕前は生賀とほぼ互角、主水ならばそうやすやすとやられはしないが、相手の数にもよるだろう。

 冴桐は覚悟を決め、主水と一緒に表へ出た。

 こちらが役人を見たところで、向こうもこちらに気がついたようだ。早足でこちらに向かってくるのがわかった。

 冴桐は竹刀を握りしめ、告げる。

「わたくしには竹刀しかござりませぬが、これが折れても、わが身を盾にする覚悟にござりまする。貴殿の背はわたくしが」

 主水はうなづきながら「これから刃を交える相手は友の弟だ。稽古でもその太刀筋を見てきた。知っているゆえに、辛いものがある。だが、これが避けられぬ道理なら、愛する者と突き進むしかあるまい」と、刀を取った。


 *


「積年の恨み、今こそ晴らしたり」

 生賀が数人を引き連れて今、主水と冴桐の前に現れた。

「言い残すことはあるか」

 生賀が刀を抜く前に尋ねた。

「覚悟はできている」

 あれがわざとではないことを言い訳しても、生賀の兄が戻ることはない。

「いざ、参るッ」

 生賀が主水に向かって刀を抜いたが、その行く手には冴桐が立ちはだかった。

「主水殿を斬らせはしないッ」

 生賀もこれは予想していたようで、驚きもせず押してくる。

 しかし、真剣と竹刀ではやはり耐久性が違いすぎる。竹刀で生賀の攻撃をあと数回受けられるかどうか際どかった。

「冴桐ッ、下がれ」

 主水は冴桐の構える竹刀が折れぬうちに声をかけた。

 冴桐が生賀の相手をしてくれていたおかげで、生賀の引き連れてきた者らは、主水の手によってすでに事切れていた。

 主水は冴桐を生賀から遠ざけるよう半ば強引に生賀に斬ってかかった。

 二対一とは分が悪い生賀だが、仇討ちを途中でやめることはできない。生きて国へ戻れるのは主水を倒したそのときだけである。

 しのぎを削りながらふと、主水が問う。

「生賀、おまえは弓術のほうが向いていたはず。どうして剣術で果し合いに来たのだ」

 そう、生賀は弓術が四人の中で最も得意としていた。兄の相生や主水に剣術には敵わずとも、弓術ならば右に出る者はいなかった。

「正々堂々と貴殿の命を頂戴するためでござりまするッ」

 その言葉に、相生とは正反対の性格なのだと思った主水は「ならば、こちらも容赦せぬ」と一言、刀剣を持つ手に力を込めた。

 道端の水たまりが、生賀とのこころの距離を隔てているようにしか思えてならない冴桐は息を切らし、ふたりの様子をそばで見ていた。

 するとその時、主水が斬ったと思われる者の一人が立ち上がり、主水向かって剣を振り下ろそうとした。

 背後からのそれに主水は気づいていない。

 冴桐は主水に向かって叫ぶも、主水自身は生賀を相手にしていて防御が間に合わない。

「くっ——ッ」

 冴桐は竹刀で主水の背を護ろうとしたが、その身ごと敗れた。

 肩から胸にかけて斬られ、倒れる冴桐。

 主水は背後でなにが起きたのか、見ずともわかった。

 宙を舞うように身をひるがえし、冴桐を手にかけた人物を一撃する主水。

 主水は地面に倒れゆくそれの返り血を浴びて、生賀の刀剣を防いだ。

 主水はこころに(ぬぐ)い切れなかったためらいを捨てて、高く刀を振り上げた。

 生賀は悲鳴もなにも叫ぶことなくやられ、脳天から血しぶきをあげて倒れた。

「わたしの義弟(さぎり)を斬ったのだ。鬼にもなる……」

 主水はあの世へやった生賀に言い捨てた。

 主水は友の弟を斬殺した、その手の感覚を消せぬまま、愛する者のそばへ駆け寄る。

 かすかに息をする冴桐だが、こんな山奥の里に腕のいい医師がいるはずもなく、主水はただただ冴桐の手を握ってやることしかできないでいた。

 すると冴桐がほほ笑みながら言うのだ。

「わたしは、あなたとさえいれるなら……」

 あの世でも、たとえ極楽へゆけなくとも、深いふかい地獄の淵でこの身が引き裂かれようとも、魂だけは、どうかおそばに。

 冴桐は胸に秘めた想いをにすべて主水に伝えること叶わず絶命した。

 もう自分の名前を呼ばないその骸を主水は強く抱きしめた。

 しとしとと雨が降り、冴桐の頬からつぅと垂れる水は果たして雨か涙か……。

 ……魚は、水の中でしか生きられない。

 きっと、わたしたちは人生をもう一度、始めた気になっていたのだ。

 だけれど、あの罪から逃れることはできなかった。

 夢まぼろしの“幸福”に浸って、いつまでも(おぼ)れることなく、息をしていたかった。

 わたしたちは、生き方を、いったいどこから間違ったのであろうか。

 雨が降り止まない空を見上げ、主水は、決して見つからない答えを探していた……。


  コノ盃ヲ受ケテオクレ

  ドウゾナミナミツガシテオクレ

  花ニ嵐ノタトヘモアルゾ

  「サヨナラ」ダケガ人生ダ


 第三譚『運命』 終

※参考:『勧酒』(于武陵、井伏鱒二)

※“失水”(しっすい)と読んでいるが、実際にこのような言葉はない。

※季節は四月始まり十一月終わり設定。

※イメージソング:King Gnu『白日』

※三章はイメージソングを参考に雪を降らせようかと思ったが“水”がキーワードなので雨にした。

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