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5 いい景色


 なぜならわたしは――



 そこから続くラストパートを読み終えて、僕は顔を上げる。


 文芸部にあてがわれた小さな部室の白い壁が、紙面に慣れた目にぼやけて映る。

 僕は目をこすり、今まで集中して目を向けていた紙束――プリントアウトされた小説原稿を目の前の机の上で整えて、その机越しに座る村雲唯に声をかける。


「結構、ひどい裏切り方するよね、この最後のところ」

「そうかな。でもま、ちょっとした二段落ちになるかなーと思ってさ」

「っていうよりは叙述トリック系? 信頼できない語り手系? みたいな感じかな」


 指摘すると村雲唯は、「あ、そうかも」と頷く。それと意識せずに書いたんだな、と僕はあまりにも彼女らしい書き方に納得する。


「で、どうだった? 誰かにわざわざ頼まれて書いたことなんてないから結構苦労したんだけどさ、しょーちゃん」

「良かったよ。すごく。自伝的なのを、と頼んだけれど、ここまで赤裸々なものができるとはね。ちょっと驚いた」


 感想を告げると、村雲唯は――わが文芸部一の執筆速度を持つ、一つ年上の同級生の少女は、やや満足げに「ならよかった」とほっとした表情を見せた。


「こんなの、何で書いて欲しがったの?」


 と、続けて飛んできた彼女の問いに、僕は若干目を泳がせる。


「そりゃまあ……ようするにさ、そういうの……そういうジャンル? がね、好きだからで」

「百合系?」

「そうそれ」

「実際そういう関係やってる女の子にそれ言う? やや引くわー」

「だろうね……」


 目をそらして、僕は肩をすくめた。


「ま、いっか。満足したならよかったよ。普段部誌の制作とか任せてるし、そのお礼ってことで、これっきりだからね。あと、他人に見せないでね、それ」


 僕が頷くと、村雲唯はすくりと立ち上がり、部室から退室しようとする。

 ふと僕は気になり、その背に問いかける。


「ちなみに、きみが『そう』だって知ってる人は、どのくらいいるの?」


 と、自分の頭をこつこつと指で指し示しながら。

 村雲唯は振り返り、少し考えてから応答した。


「あんまり。先に蜃気楼のほうが噂になっちゃったからか、わたしのほうはそんなに話題になんなかったの。一緒に大怪我したよってくらいしか知らないって人が大半じゃないかな」


 痕もかなり見えにくい位置だしね、と彼女は側頭あたりの髪を指で掻き上げる。

 一瞬、細い毛髪の群れの隙間に、赤い傷跡が見え隠れした。


 怪我の痕と、手術跡、そのどちらかだ。


「じゃあね」


 さっと髪を元に戻して、戸を開けて出ていく。

 足音が遠ざかり、やがて村雲唯の気配は消える。一つ息をついて、僕は渡された作品の最後の部分にもう一度目をやった。




『なぜならわたしは――蜃気楼と同じ存在だからだ。あの日あの時、バスの車内で私は、そのころまだほとんど交流の無かった同級生の女子=蜃気楼と隣同士の座席に座っていた。多くのクラスメイトがちょっとした怪我で済む中で、一緒に座席から仲良く投げ出され、あちこちぶつかり、悲惨な脳損傷を負った二人の内の一人。それがわたしだ。


 蜃気楼は驚異的な記憶機能が条件反射としてあらゆる行動を無意識に行うことを可能とした。

 わたしの場合、壊れた脳の言語機能や意識に関する部位の不全を補ったのは、ずっと子供のころから続けてきた、執筆能力だった。ほとんど考えずとも、あるシーンから、次のシーンが導き出せる、とても素早い執筆を可能とする技術。考えなくとも自動的に書くことができるという奇妙な能力。


 言ってみれば、わたしは事故以前から、無意識に小説を書いていたのだ。そして物語は現実を模倣するものであり、現実は物語とよく似ている。

 わたしの行動も言葉も、反射でしかない。蜃気楼と同じように。自動的なシーン生成能力が、わたしに「見かけ上正常な行動」を自動的に行わせているのだ。


 蜃気楼は覚えているからできる。わたしは考えずとも創出するからできる。

 意識あるものの真似事が。哲学的ゾンビとして生きることが。


 わたしと蜃気楼が仲良くなったのはとても自然なことだった。それ以前まではさほどお互いを知らなかったけれど、二人そろって一つ下の学年に編入すれば、必然、仲良くもなる。

 わたしたちは無意識同士でこれからも互いに結びついて生きていくだろう。そこに意識の入る余地はない。意識と無意識は通じ合えるかもしれないが、わたしたちは無意識同士ですでに完成されている。意識あるものができるのは、自分から遠い景色を眺めるように、それを目にするくらいのものだ。間に挟まることも、景色として消費することもできない。むしろ、わたしたちカップル自体が、景色そのものなのだ。意識を持たぬ景色としての存在。それがわたしたちだ』




「景色としての百合、か」


 一人僕は呟く。読み手や観察者が、百合の間に挟まるでもなければ、地面や壁という景色として百合を眺めるでもない。


 百合が景色そのものであるという状態。


 知らず口元に笑みが浮かんでしまう。哲学的ゾンビ百合。こんなものが、現実にあるだなんて。僕は三度、原稿に目を落とす。村雲唯が、他人には見せるなといった、個人的に書いてもらった小説原稿を。


「惜しい、よな」


 余りに惜しい。こんな奇跡的な無意識百合カップルの存在、僕一人が楽しんでいるのは勿体なさすぎる。

 さすがに実名は差し替えるにしても、どこかで発表すべきだろうな、と僕は考える。村雲唯に対してはひどい裏切りになるが、この「景色としての百合」を人々の間に流したいという欲は、抑えられそうになかった。

 景色としての百合。それが広がった世界の景色。


「いい景色だな」


 満たされた気分で、僕はしばらくそのまま、その場で作品の余韻を楽しんでいた。


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