4 世界はそういう風にできてる
「いなくなる……じゃ、ない!」
慌てて私はぶんぶんと首を振る。ぼやけた意識を呼び覚まして、蜃気楼の姿を探す。ほんのわずかな時間だというのに、蜃気楼はあっさりと姿を消していた。なんだあいつ、忍者かよ。
わたしはあわててあたりを見回す。暗い。どこもかしこも影が濃い。繁華街から離れたこの町の暗さは美しく、そして今のわたしには困りものだった。
「蜃気楼!」
呼ぶ。半ば叫びのように。
また明日、と蜃気楼は言った。言葉通り、明日学校に行けば彼女はけろりとした顔で登校してくるだろう。そんな気がした。そういう奴だ。
けど、今ここを逃すのはまずい、とも思った。
「誤解してんだよ、もう!」
毒づいて、わたしは駆け出す。どっちに行ったのかすら分からないけれど、とにかく動く。
別に明日でもいいのかもしれない。相手が蜃気楼じゃなきゃ、そう思ったかもしれない。けれど蜃気楼には心がない。意識がない。
今じゃなきゃダメだ、と私が思ったなら、今しかないのだ。
誤解している。蜃気楼は間違えている。勘違いさせたのはわたしのせいかもだけど、とにかく、違うんだ、蜃気楼。駆け足で川べりに出て、あてずっぽうで下流へと駆ける。ほんの少ししか動いていないのにすぐに息が切れてくる。
「嫌になるとか、そういうのじゃない……わたしが怯えてるのは、そうじゃない」
弾んで散る吐息に乗せて呟く。
わたしは、無意識の中に生きる相手を愛することに怯えているんじゃない。
そんなこと、何一つ、恐れるまでもない――だってそうじゃんか、意識がないものを愛するだなんて、みんな普通にやってることじゃんか。どう見たって言葉なんて所有してない小さな生き物を溺愛してる飼い主なんてそこら中にいる。地球や宇宙みたいなマクロなスケールの何かを愛する人も沢山いる。美や、音や、真理みたいな、形すらないものをこよなく愛する人だって。
わたしが怖いのは、
「あんたに愛し続けられることができるかどうかだよ、蜃気楼――!」
無意識を愛することができるかではない。
無意識に、愛されることができるかどうか。無意識の住人の心を……存在しない心を、掴むことができるかどうか。
それこそが、わたしの恐れだった。
わたしにとって、心ある相手はまだどうにかできる対象だった。小説で何十人も人物を描いてきた。コミュニケーションを、好意を、最適なシーンの連なりを。だれかの心を掴むという行為なら、難しくはあるかもしれないけど、どうにでもなる気がしているのだ。
けど、相手に心がないなら?
心のないもの、意識の無いものなら、どうだろう。
意識を持たずにただそこにある存在――それはある意味で、自然の景色みたいなものだ。ただそこにあって、意図も意識も心もない。クオリアを持たない。感じず、考えず、ただただあり続けるものたち。
自然を愛することはできる。けど、自然に愛されることは?
無意識に、どうやって愛される?
疑問が、怯えが、言葉になって流れ出ていく。
と、その言葉に応えるかのように、背後で何かがうごめく。
「なるほど、それは、難しい問題だね」
息が上がり足がもつれたところに、少しも乱れていない声が投げられる。びっくりして振り向くと、すぐそこに蜃気楼が立っていた。少しも気配を感じさせずに、ぴったりマークされていた。いや、だから忍者かよ!
「蜃気楼、趣味の悪い冗談やめて――」
「どうすればいいと思う?」
安心しかけたわたしの言葉に被せて、蜃気楼の問いが放たれる。真っすぐに。
顔を上げると、美しい瞳が二つ、わたしをその場に縫い留めようとするかのように、こちらを向いていた。透明な、何か切実さのようなものがそこにはあった。もしくは、切実さ以前の何か。意識を持たぬ者が放つ、しんとした鋭さが。
「どうすればいいと思う?」
繰り返される。
ぞくりと、肌の表面が震えて粟立つ。
誤魔化しの効かない問いが、そこにあった。意識からではなく、無意識から発せられる問いは、自然現象のようなものだ。何も誤魔化せない。
「根本的に、意識と無意識の恋愛関係は、成立すると思う?」
重ねられる。
「わたしは……」
戸惑いと、乱れた呼吸の中で、わたしは言葉を探す。なんとかしろ、と意識のどこかが叫んでいた。なんとか、どうにかしろと。
結局のところこの問いは避けては通れない。哲学的ゾンビと恋していきたいなら、迂回路はない。
何とかしろ。何とかひねり出せ。今こそ特技の使い時だ。
与えられた状況から、事前のシーンから、一瞬で次の「あるべきシーン」を考え付くのがわたしの特技だ。速度だけは早い執筆でずっと鍛え上げてきた、使い続けてきた特技だ。
「……そもそも、意識なんてのはさ」
でまかせ、口八丁。そんな小手先のあれこれだって、上手く繋げるとなぜかそれ以外にない答えとして顕現することがある。小説を書く中で知ったことだ。
「人にとっての意識って言うのはさ、世界そのもの、みたいなものじゃん。見るもの、感じるもの、全部、わたしって意識そのものだよ」
わたしという意識、それを突き詰めると、どこに行き着くのか。わたしをわたしと呼んでいるこの、これ、この意識そのものとは、そもそも何なのか。
「多分、本当のところ、『わたし』なんてのはさ、誰でもないんだよ。所属でも名前でも一人称でもない、それら属性を自分と呼んでいる意識そのものは、誰でもないでしょ? 本当に誰でもないなら――同時に、誰でもある。何ものでもある。完全に誰でもなくて同時に誰でもある意識において、世界と自分の境は存在しない。だってそうでしょ? 誰でもないんだから」
村雲唯を村雲唯と呼んでいるこの意識そのものは誰でもない。何ものでもない。だから同時に、何でもあり得る。世界そのものだ。
何かを見るという行為は、自分を見るということだ。感じるという行為は世界としての自己を感じているのだ。
わたしは木々であり、空であり、海であり、天であり地であり美であり醜であり音であり意味である。何ものでもある。それがなぜだか、村雲唯をやっている。
それが、意識だ。わたしという、意識だ。
そういう地点に立ってものを考えるのなら、そう、無意識の相手なんて、問題じゃない。
だって、全部自分であり他者であり世界であるのだから。
意識は孤立できない。それは世界そのものだから。そして意識が孤立できないということは、無意識もまた孤立できないということだ。
わたしがわたしという意識として感じる蜃気楼の存在は、わたしが蜃気楼という存在として感じるものであり、蜃気楼がわたしとして感じる存在でもある。
無茶苦茶なことを口にして言葉にして並べながら、わたしは気が付く。意識っていうものは、その極限においては無意識と区別がつかない。偶然と必然がそうであるようなものだ。突き詰めれば逆になる。弁証法だ。止揚だ。
わたしの意識が吠える。勢いに任せて言い切る。
「蜃気楼が蜃気楼を愛するということが、即ちわたしがわたしを愛するということであり、同時に、蜃気楼とわたしが愛し合うということであるような地平が、ある。絶対に、ある。世界はそういう風にできてる。世界と意識の関係は、そういう風にできてるよ、蜃気楼」
ばしんと叩きつけるように、わたしは胸を張って宣言する。
わたしたちの関係性は確固としたものなのだと。
しばらく、蜃気楼はじっとわたしを見つめていた。
それから突然背を丸めて身を折ったかと思うと、肩を震わせ始めた。
「えと……蜃気楼?」
なんか変なこと言っただろうかと、いや変なことは間違いなく言ったんだけど、どうしたんだろうと心配になってこちらも身をかがめようとすると、突然、蜃気楼はがばりと顔を上げて――爆笑しやがった。
盛大にげらげらと笑って、しまいにはせき込む。
「……投げ飛ばしていい?」
わたしが額に青筋立てつつ言い放つと、蜃気楼はごめんごめんと眦の涙を指先で拭って、「いやぁ、面と向かってがっつり考えて言われると、普通に恥ずいですな」と笑い交じりに悪びれなく言ってのける。てめー、こら。
よし分かった、怒る。キレる。十代だし。
わたしがそう決意するほんの直前を狙いすましたかのように、ほんとうにずるいタイミングで、蜃気楼は今まで一度も見たことのない顔で、「ありがとう」と呟いた。
「ありがとう、唯。私たち、たぶん、ずっとずっと、上手くやっていける気がするよ」
それから、蜃気楼は、「怖かったのは、わたしも同じだよ」と付け加えた。
「ふぅん。意識なんかないのに?」
怒るタイミングを失ったわたしが不貞腐れて揚げ足をとると、蜃気楼は嬉しそうに、そうだよ、意識なんてないのにだよ、とわたしの言葉をリフレインした。
「じゃあ、今度こそ、帰ろっか、唯。誰かさんのせいで時間遅くなっちゃったし」
「そうだね、本当に、ほんっとーにね!」
語気を荒げると、蜃気楼はまたもけたけた笑う。こいつ笑いすぎだよないつも、とわたしはなんだかおかしな感心をしてしまう。
「ごめんごめん、ほら」
へらへらと謝って、ひょいと蜃気楼が手を差し出す。
いくらか迷ってから、わたしはその手を取った。
手を繋ぐのはさして特別なことでもなく、いつものことだった。でもそこにもう、いつもの恐れはなかった。
蜃気楼の暖かな子供体温が、わたしを包む。
*
こうして私と蜃気楼は、その関係性の価値の「可能さ」を共有した。意識と無意識の相思相愛が可能であるということを明らかにしたのだ。
けれども――大変申し訳ないのだけれど、実はこれらは嘘っぱちだ。いや、語った論理の内容自体は本当なのかもしれないけれど、あれは私たちには適用されない。
これは物語であるということを、思い出してほしい。並べられた言葉のどこまでが嘘なのかを考えてみてほしい。ここには、とっても致命的な部分に、偽りがある。
なぜなら、わたしは――