海津城軍議
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「では軍議を始める。知っての通り越後では景勝と景虎に分かれて戦いが始まった。まずは先立ってこの城に布陣していた者たちからの報告を聞こう」
すると高坂昌信が立ち上がる。武田四天王唯一の生き残りで、信玄のころから戦場を駆けた老齢の武将だ。
「では報告させていただきます。春日山周辺での戦いでは互角ですが、周縁部では圧倒的に景虎殿の勢力優位です。というのも、蘆名家の家臣小田切弾正が景勝殿に味方する五十公野治長を攻め立て、上野でも北条家の影響が強く、厩橋城代の北条高広(越後の北条氏であり、後北条家とは関係ない)・沼田城代の河田長親らが景虎殿に味方しております」
景虎が優勢というのは共通認識のようで、特に反応はなかった。
「とはいえ、春日山城に籠り謙信公の軍資金を手に入れた景勝殿もたやすく負けることはないでしょう。そんな景勝殿から和議を求める書状が届いております」
昌信の言葉に諸将はざわつく。北条家と同盟している武田家が景勝からの和議など受けられるはずがない、いや降伏の仲介ならしてもいいのでは、という声が多かった。
「内容については跡部殿から」
そう言って昌信は座る。代わって立ち上がったのが跡部勝資だ。武田家の武将にしては珍しく文も出来る。そのため、周囲の猛将に比べてどこか優男に見えなくもない。
「はい。景勝殿は武田家に対して領地の割譲と春日山城の黄金の提供を申し出ています」
「金で北条家を裏切れと言うのか?」
俺は自分でも自分の声の冷ややかさに驚く。勝資の額に汗がにじむ。
「しかし御屋形様、その北条家は一族の景虎殿を救うのに兵を動かさず武田家を遣おうとしております。加えて、景虎殿が勝てば上杉家の旧領はまるごと景虎殿、つまり北条家のものになります。武田家には全くうまみはありません」
「越後が味方になるだろう」
そう言いつつも俺は自分の言葉にやや疑問を覚える。確かに今北条家は味方で、景虎が当主になれば北条家も味方になるような気がする。しかしそうなった場合、関東を制覇した北条家は次は武田家に牙を剥くのでは?
「いいでしょうか」
居並ぶ武将の中から一人の老人が手を挙げる。長坂釣閑斎。後に武田家の命運を記した『甲陽軍鑑』という書物で親の仇のように悪者にされる人物である。ちなみに俺が憑依(?)している勝頼の記憶では「そんな奴もいたな」程度であった。勝頼、文官に対する認識が軽すぎないか。
「現在、武田の金庫を支えた黒川金山は枯渇仕掛けております。越後の内乱と駿河の徳川、さらに美濃の織田と干戈を交えるには膨大な軍資金が必要になります。織田・徳川に対抗するのであれば鉄砲の購入も必要でしょう。しかも領地もついてくるなどなかなかあることではありません」
確かに長坂釣閑斎の言うことは一理ある。
「金に釣られて北条家との同盟を切れというのか」
「そうは言いますが、北条家とは別に長年の味方だった訳ではありません。信玄公が駿河へ兵を出した折、北条はあろうことか後ろを突いて来ました」
確かにそういうこともあった。確かに戦国時代の同盟なんて時々の方便に過ぎないのだから信義がどうこうということはない。だが、実際問題として北条家を敵に回した武田は立ち行かなかった。
「何を言う! 金に釣られて同盟をたがえたなどということがあれば武田家末代までの恥!」
一方、跡部・長坂に憤然と反対する者もいた。土屋昌恒である。
「わしも同意見だ。北条家と敵対するなど自殺行為」
続いたのは小山田信茂である。信茂の領地である郡内は北条家の本拠相模に近いため、信茂は親北条派である。
「とはいえ上野一国が手に入れば武田家の版図はかなり広がるだろう」
あろうことか一門衆の武田信豊まで心を揺らしている。俺は呆れつつ、高坂昌信に目をやる。跡部・長坂は考え方が金に偏っているし、昌恒も感情論に聞こえるし、信茂の意見も自分の都合である。ここはやはり信玄時代からの宿老である昌信の意見を聞こう。
「普通に考えれば景虎殿でござろう。しかし、もし御屋形様に織田家と結んで北条を攻めるという展望があるならば景勝殿につくのもありでしょうな」
「なるほど」
さすがに昌信の意見は他の者の意見よりも広かった。しかし俺は織田家と結ぶことが出来ないのは知っている。跡部・長坂もそこまでは考えていなかったのか一瞬呆然としていた。
「よし、武田家は景虎殿に味方する」
「お待ちください!」
長坂釣閑斎が懇願するような目でこちらを見る。
「何だ、まだいうか」
「その判断は景勝殿と会見なさってからでも遅くはないはずでございます」
一瞬、そこまで言うとは景勝に賄賂でももらったか、と言いたくなったが、確かに景勝に会ってみたいという気持ちはあった。
「景勝と会うことは可能なのか」
「はい、今の景勝殿は御屋形様を味方にする、いや、敵ではなくすためならどんなことでもするでしょう」
「よし、会うだけ会ってやる」
景虎に味方したいという方針に変わりはなかったが、俺は景勝に会ってみることにした。
次回、景勝登場予定