越後へ
越後の情勢を聞いた俺はすぐにでも越後を目指そうとしたが、実際には高天神城への物資補給で数日の時間がかかった。高天神城は俺(正確には勝頼)が落とした城で、遠江に残る数少ない武田の城であった。現在、家康が付近に横須賀城を築くなど包囲を進めており、時々駿河に降りてきたときには補給を行っていた。その間、武田信豊に信濃衆を率いさせ、北上させておく。
そんな折に、俺は北条氏政からの書簡を受け取る。氏政の妹時姫を俺は妻に迎えており、義姉にあたる。勝気で我がまま、傲慢なところもあるが不思議と人望はある。
『四郎勝頼殿
久しぶり。駿河遠江の調子はどう? 田中城周辺にて徳川家康を破ったとの知らせを聞いて大変嬉しいわ。こちらは佐竹・宇都宮の一派がなかなか手ごわくて煩わしいわ。まあ、すぐにこの私に盾ついたことを後悔させるつもりだけど。
そこで相談なのだけど、私の代わりに越後の景虎を助けてあげてもらえない? 私も氏照と氏邦を向かわせるけど、何分三国峠は難所だから。
もし景虎が勝ったら信長を攻めさせるわ。あなたなら分裂した上杉家ぐらい余裕でしょ? いい知らせを待っているわ、よろしく。
氏政』
俺はそれを読んではあっとため息をついた。相談といいつつも俺が越後に兵を出すのは規定事項のようになっている。というか俺が景虎に加勢したら氏政が家康を攻めるんじゃなくて景虎が信長を攻めるのかよ。そういう人を人とも思っていないところが義姉らしかった。
ちなみに、三国峠というのは上野と越後の国境にある峻険な峠である。上野にも上杉家の武将がいる上、三国峠を越えてすぐに景勝の出身である上田長尾家の領地がある。氏政の本隊なしでは容易には突破出来ないだろう。
とはいえ、越後に攻め入るのは俺の方針でもある。承諾した旨の返事を送ると、すぐに氏政から返事が返ってくる。
『四郎勝頼殿
早速の返事大変ありがたいわ。正直手が離せないところだったからとても助かっているわ。今度駿河で困ったことがあれば言ってね。あと景虎は下僕のようにこき使ってくれて構わないわ。
氏政』
氏政、ちょっとツンデレ過ぎないか? あと景虎に対する扱いひどくないか?
その間にも越後の情勢が矢継ぎ早にもたらされる。春日山城本丸にこもる景勝は、三の丸の景虎への攻撃を開始。一方、会津では景虎派の蘆名家の軍勢が越後に侵入した。さらに上越大場というところでは景勝派・景虎派の軍勢が衝突。勝負はつかなかったらしい。そして春日山城周辺が景勝派になったことから、孤立を怖れた景虎は春日山城付近の御館に籠った。
御館。御館というのは元関東管領上杉憲政の館である。上杉憲政は関東管領だったが、後北条氏の勢力拡大とともに衰退。謙信を頼って越後に亡命し、謙信に関東管領を継がせた。それにより謙信はたびたび関東の反北条氏の武将を助けるため出兵することになった。要するに過去の人物である。
そんな御館に拠った景虎の元に景虎派の武将が集結。四月中旬、景虎はその勢いで春日山城を攻めたものの、攻城は失敗。およそ一か月ほど情勢は加速していることになる。
「大丈夫か? 史実の知識があるとはいえ、史実と違う行動をすれば歴史は変わっていく……」
俺は困惑した。史実では勝頼は景勝と和睦して景虎は敗北。北条家との同盟が崩壊した。だから景虎に味方すればいいのかと思っていたが、果たしてそう単純に行くのだろうか。
不安を抱えながらも俺たちは海津城に入城する。海津城には先行していた信濃衆に加え、駿河出兵では無理に徴兵しなかった甲斐衆も加えて二万の大軍に膨れ上がった。景勝と景虎がまとめてかかってきても勝利出来る数である。俺は先日の駿河出兵組に武田信豊(弟)・武田信廉(叔父)・高坂昌信らを加えたそうそうたる武将たちの前に姿を現した。
ツンデレ幼女系氏政