山崎の戦い
五月十三日 大垣城周辺
「御屋形様、織田家の羽柴秀吉から文が届いております」
「今度は秀吉か」
突然の信長の死から一週間ほど。光秀に続いて次は秀吉からの使者か。秀吉はこのところ中国地方にいることが多く、俺はこれまで関わることがなかった。
秀吉からの使者は遠方から夜通し駆けてきたせいか疲れきっていた。渡された書状は急いで書いたのだろう、簡潔なものだった。
『このたび、織田信長を弑した逆賊光秀を討つ。そのため、武田家とは和睦したい』
光秀を討つ以上決着がつくまで武田と和睦するというのは分かる話である。しかし斎藤利三は秀吉も今回の企てに同意したと言っていた。二人の合意が何等かの形で破綻したのか、利三が俺を味方に引き入れるために嘘をついたか、秀吉が同意したのを反故にしたか。真相は謎のままだった。
ただ、千代女の報告を聞く限り、光秀は秀吉に対する備えを完全に怠っていたように思えた。毛利家と睨み合いを続けているから警戒していなかった可能性もあるが、俺は秀吉とは密約のようなものがあったのではないかと考えた。
十四日
「羽柴軍、恐ろしい速さで山城を目指しております。おそらく今頃は戦いが始まっているでしょう」
じりじりしている俺の元に千代女が報告に現れる。
「秀吉軍はどうだ?」
「はい、中川清秀・高山右近ら光秀に近いと思われた者たちも続々味方している模様です。一方の明智軍は細川藤孝や筒井順慶が傍観に回るなど厳しい情勢です」
要するに史実と同じように事態は展開しているようだ。
「秀吉が勝つだろうか?」
「おそらくは」
千代女が頷く。
「よし、ならば俺も秀吉に乗っかるとするか」
俺は保留にしていた秀吉への返信を作成する。敵とはいえ、自らの主君を殺害するなど光秀の行動は言語道断。武田家も明智攻めに加わる、という内容である。当然俺の真意は秀吉への味方ではなく、この機に乗じて領地を拡大することである。
光秀が織田家をまとめているようなことを言っていた時は少し考えたが、光秀が秀吉に負ける予定である以上、早めに領地を回収した方がいいだろう。
「昌恒を呼べ」
すぐに土屋昌恒が呼ばれてくる。
「何でしょうか」
「山城では羽柴秀吉と明智光秀の戦いが始まるらしい。決着がつくまでに領地を拡大しておきたい。そこで五千ほどの兵を率いて安土城を接収し、坂本城に向かって欲しい」
「承知いたしました」
こうして昌恒らは近江攻めに向かった。
さて、それはそれとして目の前には依然として大垣城がある。城兵は多少逃げ去ったものの、いまだに一万近い兵士が籠っている。しかも城内には光秀が織田家をまとめつつあるという噂を流してしまった。それが嘘だったと分かれば再び城兵が勢いづくかもしれない。俺は包囲を厳重にして城内に真相が伝わるのを防ぐしかなかった。
十五日
安土城に向かった昌恒から、城を接収しようとしたところ炎上したという報告が届いた。確か史実でも焼けたらしいので、焼け落ちる運命なのだろう。せっかく逆行転生した以上一度は見てみたかったので少し残念だった。とはいえ近江には織田軍も明智軍もおらず、昌恒の軍勢は順調に進軍しているようであった。
一方、京都からは明智軍と羽柴軍の戦いの様子を報告する使者が来た。戦いは俺が知っている山崎の戦いと似たようなもので、入京を試みた羽柴軍を迎え撃った明智軍は街道を押さえて布陣したが、天王山を奪われて地理的優位も失って敗北したという。光秀の消息は不明とのことだったが、おそらく死んだのだろう。
しかしこれを受けて秀吉はどうするだろうか。予想外の明智軍を素早く撃破した秀吉と昌恒がぶつかることになるだろうか。
「御屋形様、羽柴軍の使者を捕えました」
悩んでいると、真田昌幸がやってくる。
「捕えた?」
捕えたということはこちらに来た使者ではないということだろうか。
「はい。滝川一益に状況を伝える使者だったとのことです」
「秀吉め、俺に味方するよう言っておきながら滝川一益にも使者を送るとは」
さすがに抜け目ない人物だった。しかし俺はふとあることを思いつく。これはこの膠着した状況を打破するきっかけになるのではないだろうか。
「昌幸、使者は名のある者か」
「いえ、ただの兵士のように思えますが」
「よし、褒美はいくら与えてもいい。兵士に秀吉が負けたと伝えさせよ」
「分かりました」
その後昌幸の意を受けた兵士が城に入っていった。中国大返しを実行して光秀に勝利するという事実よりは、筒井や細川が光秀に味方して光秀が勝ったという筋書きの方がリアリティがあったせいか、一益はそれを信じたようだった。俺は兵士との関連を疑われぬよう、あえて翌日降伏勧告の使者を送る。
秀吉が負けたと誤解した滝川一益は自身と城兵の無事な退去を条件に城を明け渡した。城から出て数里行軍したところで一益は秀吉の勝利を知り、地団駄を踏み悔しがったが、すでに城には武田軍が入城していた。




