岐阜の戦い Ⅰ
二月二十四日未明 岐阜城周辺
大軍が睨み合う岐阜城周辺だったが、夜の闇が明けていく中最初に動いたのは織田信忠勢であった。
信忠勢は夜闇の中を進み、徳川軍先鋒の井伊直政隊の前に現れた。信忠勢は突撃すると見せかけて接近すると、あと少しで接敵というところで膝とつき、猛烈な銃撃を開始した。朝もやの中に銃撃の音が響き渡り、開戦の火ぶたが切って落とされた。
井伊隊は白兵戦かと兵士に槍や刀をとらせていたところを銃撃され、出鼻をくじかれる形になった。慌てて突撃をかけるも圧倒的な鉄砲の前に兵士はばたばたと倒れていく。
徳川軍の鉄砲を合わせたところで織田軍の銃火には及ばない。そう考えた直政はそのまま突撃を敢行した。信忠軍が指揮距離からの銃撃を試みたことで井伊隊は犠牲を出したものの白兵戦に持ち込むことに成功した。
その左側では佐久間信盛と滝川一益が銃撃戦を繰り広げている。こちらは睨み合いと撃ち合いに終始した。
「そうか、織田軍はまず徳川を崩しに来たか」
報告を聞いた俺は考える。徳川軍を舐めているという訳ではないだろうが、武田軍はある程度鉄砲が普及しているため徳川の方が与しやすしと思ったのだろう。それとも織田軍の中には武田アレルギーのようなものがあるのだろうか。
徳川軍に救援を出すことは出来るが、武田兵と徳川兵が乱戦になれば連携不足などでうまく戦えないだろう。それなら俺も戦端を開くか。
「よし、我らも陣を前に進めるぞ。全軍に前進を伝えよ。ただし突撃ではなく、あくまで鉄砲を構えて進め」
俺の号令で武田軍約三万が少しずつ陣を前に進める。武田軍の前進に合わせたかのように朝日が昇り、戦場を照らした。
そして織田軍の陣容をはっきり見た武田兵は目を見開いた。昨日までは何もない平原に布陣していたはずの織田勢の前には大量の逆茂木や土嚢が設置され、即席の防壁が作られていたのである。
「撃て!」
明智光秀の号令で防壁の向こうからは大量の矢玉が降り注ぐ。
「撃ち返せ!」
先鋒の小山田信茂は必死に兵を叱咤するが、銃撃戦では物陰に身を隠している織田軍に分がある。小山田隊の進軍はぴたりと止まった。
「ふん、子供騙しな。例の物を用意せよ」
一方右翼で織田軍の作戦を見た荒木村重はかねてから用意していた大量の竹束を並べさせた。竹束は銃弾を弾きやすく、即席の防壁には有効である。すぐに前衛には竹束の壁が作られ、織田軍の銃弾は次々と弾かれた。
「身を隠しながら進め」
竹束は完璧な防弾効果はないものの、構えながら動くことが出来る。荒木隊は銃弾の雨の中を少しずつ前進していった。
「さすが荒木殿。織田軍の手の内は知り尽くしているようだ」
一方、村重の後ろに布陣していた昌幸はそれを見てただ感心しているだけではなかった。前方では村重が兵を進めて織田軍の注意はそちらに集中している。その隙に昌幸は兵を率いて右翼をさらに迂回し、明智軍の側面に出ようとした。防壁が築かれていると言ってもその長さには限界がある。防壁が途切れたところから攻め込めば問題ない。
が、そのような動きをすれば織田軍も気づかない訳はない。すぐに二陣の柴田勝家の隊から前田利家が兵を率いて応戦する。こちらは他の戦場と異なりたちまち乱戦になった。
武田軍左翼では小山田信茂に歩調を合わせるようにして猛将北条景広が突撃を敢行していた。北陸での白兵戦主体の戦いに慣れていた北条軍は猛烈な銃火に晒されてたちまち窮地に陥った。
(一度退かせるか?)
俺の中に一瞬そんな考えがよぎる。しかし小山田信茂が足止めをくらい、北条景広までが撤退すると右翼で攻勢に出ている村重や昌幸が孤立する。かといって突撃を続ければ長篠の二の舞になりかねない。
俺は思考をまとめるために、目の前にある地図上で報告に合わせて各隊の位置を動かす。その結果、明智光秀の防衛線に比べて織田信忠隊が突出していることが分かった。
「北条殿に伝えよ。方向を変えて信忠軍に突撃せよと。そして代わりに穴山殿を前に押し出せ」
ほどなくして北条軍は銃火に晒されながらも戦場を横切って徳川軍と乱戦を繰り広げる信忠隊の後方に突っ込んだ。明智光秀は救援に向かおうとしたが、すぐに後続から穴山信君隊が現れたため応戦に追われる。
信君は前線に出ると大量の鉄砲を並べて明智隊と銃撃戦を開始した。どうやらただ私腹を肥やしていただけではなかったらしい。長篠で戦わずに撤退したのも鉄砲の数で負けている状況で戦っても傷を広げるだけだと思ったからかもしれない。それが許される行為かは別問題だが。
織田信忠隊の救援には明智光秀の代わりに柴田勝家が佐々成政を向かわせた。
こうして連鎖的にほぼ全域で戦闘が行われているのだが、織田軍の数的な優位をほどの戦いが出来ているとはいいがたい状況だった。現在戦いに参加している兵力は互角。荒木村重が少しだけ押していて、小山田信茂や徳川軍がやや押されており、全体での形勢はおおむね互角であった。
しかし織田軍は信長率いる二万の本隊が温存されている。このまま押し合いが続けば、数で劣る武田軍が不利になるのは間違いない。明智隊の鉄砲さえ無力化すればまだ勝ち目はあるのだが。そう考えた俺は徳川家康に使者を送ることにした。




