出陣
その後一触即発ながらも上辺だけは平穏な日々が続いた。もちろん美濃では毎日荒木村重と織田信忠が小競り合いを繰り広げ、尾張でも織田家譜代の家臣を佐久間信盛と信忠が奪い合っている。
その一方、北陸では雪が降るため景虎が一度越後に帰還している。雪が積もった加賀での戦いは困難であるとのことだった。
が、年明けの天正八年正月には二年に渡って信長に抵抗を続けた播磨三木城が落城している。俺も人をやって別所長治の旧臣などを集めさせるなど軍勢の増強を図った。
二月 躑躅ヶ崎館
「御屋形様、ついに信長が安土で大動員を開始したとのことです」
凍てつくような冬のある日、千代女が報告に来た。俺もそう遠くない時期に来るだろうなとは思っていたが。
「どのくらいだ」
「本願寺や毛利への抑えを羽柴秀吉に任せ、越前の柴田勝家や丹波の明智光秀らを合わせて五万は降らないかと」
「五万か」
これまで戦ってきた兵力とは全然違う。
「とはいえ想定の範囲内ではある。ところで例の調査はどうだ?」
「はい、大体分かりました」
俺は千代女に織田領の状勢だけでなく、穴山信君の城に貯めてある資金の額を調べさせていた。内容が細かい上に武田家中随一の力を持つ信君のことなので分からないかとも思ったが、さすが千代女である。
俺は早速軍備を整えるとともに、景虎や氏政に使者を送って援軍を要請した。氏政は相変わらず佐竹との戦いで忙しく、難しいだろうが。そしてそれとは別に穴山信君を召還した。
「何でしょう、今軍備を整えるのに忙しいのですが」
この前呼び出してから一か月以上経っていることもあり、信君は怪訝な顔をした。
「この度の戦いは今までにない大きな規模のものとなるだろう。そのため、穴山殿には兵だけではなく金銀を負担してもらいたい」
「はあ……金銀ですか」
信君は俺の意図を計りかねて首をかしげる。今まで俺はこういう要求をしたことがなかったからだろう。
「その量というのは……」
そして俺は信君がため込んでいる金銀の量を宣言した。
「な、だが、しかし……」
信君は衝撃のあまり口をぱくぱくさせていたが、やがて悔しげに唇を噛みしめた。最初は金額の多さに驚き、次に自分が蓄えている金銀の量を見透かされて、全てを見抜かれていると観念したのだろう。
「わ、分かりました」
と諦めたように口にした。これに懲りて今後は行いを改めてくれるといいのだが。
二日後、俺は武田全軍を率いて出陣した。跡部勝資が集めた直轄の兵力一万に加えて穴山信君の三千、南信濃衆の二千、さらに景虎が出してくれた北条景広率いる三千を加えた一万八千である。さらに美濃にいる荒木村重の八千、尾張にいる真田昌幸の三千を加えれば三万近い兵力となる。大兵力であったが、兵站は穴山信君から徴収した金銀で賄うことにした。
一方、三河・遠江からは徳川家康が八千の兵を率いて尾張に入った。佐久間軍を含めればこちらも一万を超える。
現在清州城から動けない信忠を嘲笑うかのように、村重は岐阜城を囲んで周辺への放火や略奪を繰り返し、周辺に付城を築いていた。
信長はそれに対抗するため畿内の軍勢二万に加え、明智光秀率いる一万、柴田勝家らの一万、織田信忠らの一万五千を合わせて五万五千もの大軍で岐阜城の救援に向かった。ちなみに岐阜城内には斎藤利治率いる兵力が三千ほどいる。
徳川・佐久間の軍勢も織田軍が全軍で岐阜城へ向かうと俺と合流して岐阜城へ向かった。がら空きになった尾張を攻めるのも悪くはないが、持久戦となれば経済力がある織田家が有利である。そこで俺は今回の決戦に勝負をかけることにした。こうして織田軍五万五千と武田徳川連合軍約四万が睨み合うことになった。
村重が稲葉山砦と名付けた岐阜城の付城には曽根昌世ら三千の兵力を残し、俺は岐阜城西側の平原に布陣した。右翼に荒木村重ら五千、その後ろに遊軍として真田昌幸ら三千。先鋒に小山田信茂ら三千、二陣に土屋昌恒ら三千。左翼には北条景広ら三千、その後ろに穴山信君の三千、南信濃衆の二千が続く。残った四千の兵を率いて俺はその後ろに布陣した。
長篠では後方に配置した穴山信君が戦わずに帰還したため、後ろから圧力をかける意味もある。また、左翼のさらに左隣に徳川軍八千が布陣し、徳川軍のさらに左に信盛が三千の兵を率いて布陣していた。
一方の織田軍は信忠が武田に負けたからか、武田軍に対して先鋒を明智光秀、後詰を柴田勝家の形にして布陣していた。
奇しくも長篠城を包囲して織田軍が救援に訪れた長篠の戦いと同じ構図になった。
両軍合わせて総勢十万に及ぼうとする戦いは戦国時代ではあまりなかったはずだ。一説には上杉謙信の小田原攻めに十万の兵力が集まったとか、毛利輝元の上月城攻めの兵力が十万だったとか言われているが、おそらく正確な数ではないだろう。仮に正しかったとしてもどちらも攻城戦なので、野戦では初めてではないだろうか。
この戦いをどこか高いところから見ることが出来ればさぞ壮観だろう。しかしそれが出来るのは岐阜城に籠る城兵だけである。




