鳴海同盟
徳川秀康は当時秀康という名前ではないですが秀康にしておきます。
十二月十九日 鳴海城
刈谷城の戦いで織田家が崩れたためか、思いのほか家康はすんなりこちらにつくことに決めたらしい。そんな訳で俺たちは信盛の居城である鳴海城にて会談を行うことにした。
鳴海城には信盛の必死の抵抗戦の跡が色濃く残っており、そこら中に血や矢弾が残っている。それでも城壁や防柵などは補修されているところから信盛の独立への意志が感じられる。
「本日は我が城へようこそお越し下された。奪還したばかりで見苦しいところもありますが申し訳ない」
俺が入城すると信盛は恭しく出迎えた。物腰は柔らかいものの、媚びへつらいは感じなかった。信長からの独立を果たしたことで度胸のようなものがついたのかもしれない。ちなみに刈谷崩れの後、尾張で元々信盛に属していた勢力は相次いで信盛の元へ駆けつけているという。
「いや、むしろこちらとしても徳川殿との和議の仲介、感謝している」
「そうですか、それは良かったです。今後は我ら手を携えて生きていきましょう」
そこへ今度は徳川家康がやってくる。相次ぐ敗戦により憔悴しきっているのかと思いきや、堂々とした態度であった。信盛とは違い、俺に侮られたくないという毅然とした意志を感じた。
「これは徳川殿。戦場以外では会うのは初めてだな」
「そのようですね。昨日の敵と結ぶのは戦国の習い。今までの諍いは水に流せればと思います」
「そうだな」
とはいえ、まさか徳川がまるごとこちらに味方するとは思っていなかったのでかなり三河を荒らしてしまった。そのおかげで味方になったところもあるので何とも言えないが、恨みは強く持たれているだろう。
三者が揃ったところで会談が始まる。
「ではまず領地について取り決めましょうか。わしは尾張の旧領と刈谷城周辺があれば文句はない。後は織田家から順次取り戻していく予定です」
「武田殿は三河・遠江の現状の国境で問題ないと聞いていますが?」
家康が俺に水を向ける。ここまで来たら前言を翻して領地の割譲を要求しても呑んでくれそうな気もするが、それよりは徳川と気持ちよく結ぶことの方が大事だろう。
「問題ない。三河からも全軍を撤退させる」
こうして領地については一瞬でまとまった。
「次は細部の条件ということになりますな。わしとしては織田軍に攻められた際は迅速な救援が欲しい」
「もちろん、それについては必ずしよう」
現状武田の敵は織田家のみに絞られている。兵力も農兵ではなくなったため、美濃に常駐させておくことが可能になった。
「徳川殿もよろしいか?」
「はい」
家康は少し悩んだようだが、頷いた。現状の徳川家では迅速な救援は難しいが、信盛が滅びて困るのは徳川家である。
「また、代わりにという訳ではないが美濃の武田領が攻められた際には助力してもらいたい。当然、織田家が徳川領に攻めてきた際も援護する」
これについてもお互い問題はなかった。とはいえ、実際そのときにならないとその同盟がうまく機能するかは未知数だが。今現在、例えば「攻められたら何日以内に援軍」などと取り決めるのは不可能だろう。
「あとは一応人質の交換を行いたいと考えている」
俺はちらりと家康の方を見た。ぶっちゃけ信盛は人質があろうがなかろうが織田に寝返ることはないのでどうでもいい。
「はい、長男信康がすでにいないため、次男の秀康を出しましょう」
順当ではあるのだが、確か家康は秀康への扱いが悪くてあちこちに養子に出してたんだよな。しかも徳川家は秀忠が継いでるし。
ただそれについてはこちらから文句を言う筋合いはない。それに俺も嫡子の信勝を出せと言われても出さないからな。
「こちらからは織田家の御坊丸殿を出したいと思う」
「はあ」
家康は困惑した。織田信長の五男と言われる御坊丸は信玄が岩村城を落とした際に連れ帰った息子である。一応人質的な扱いではあったが、あまり武田と織田が公然と敵対しているため、あまり意味がある存在とは言えない。しかし織田領に攻め込む以上何か使い道があるかもしれないという何とも言えない存在である。
「分かりました」
家康は少し考えた末、了承した。徳川と武田の力の差があるため諦めたのか、それとも秀康の価値を低く見積もっているのか、どちらだろうか。
ちなみに、信盛とは一応一族の娘を交換することにした。限りなく意味は薄いが、形式的にやっておこうということである。
「お近づきの印に一献どうですか?」
会談が終わったころ信盛は提案したが、
「いえ、ありがたいですが色々やることがあるので辞退させていただきます」
家康は頭を下げて帰ってしまった。
「俺が三河を荒らしたせいだな」
「何と。やはり武田殿は敵に回すと怖ろしい」
「そう言えば本当のところ、なぜ織田家から離れたのか?」
その後俺は信盛から独立に至った状況や信長の人柄などを聞きながら酒をのみかわした。「上様、いえ信長は身内には優しい名君です。ですが、時々わしのようなものが身内に入っているのか不安になるのですよ」
さすがに史実で追放されている男は何かを感じ取っていたらしい。俺は信盛のその言葉には何と答えていいか分からず、話題をそらしてしまった。
会談が終わると俺は真田昌幸に三千の兵を与えて信盛の後詰として残し、残る兵力を全て美濃の荒木村重に渡して甲斐に帰還した。ここまでの事態になれば信長も大兵力を率いてやってこざるを得ないだろう。そのときに備えてもう一度兵力を集め直さなければ。また、兵力を集めると言えばもう一つやっておかなければならないこともあるしな。




