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徳川の決断

十二月十八日 岡崎城

 武田軍が刈谷城に向かった後、徳川軍は岡崎城に入城していた。連戦の上の敗戦で疲弊した上、織田家への義理立ての気持ちもかなり低下していた。が、そんな岡崎城に急報がもたらされる。


「殿、刈谷城にて織田軍が武田軍に大敗しました!」

「そうでしたか……やはり織田とは手を切ることを考えなくては」

 服部半蔵の報告に眉をひそめる家康。しかし半蔵は一層深刻そうな顔になる。

「それが、すでに徳川が手を切ったという噂が乱れ飛んでおり、織田軍はそのせいで敗走したと」

「それは武田の情報操作ではないか? 我らはまだ使者を出してすらいないが」

 忠次が言う。ちなみに忠次が勝頼に送ろうとした使者は、勝頼が岡崎城を離れたため送られることはなかった。むしろ家康や忠次としては岡崎の包囲が解けるなら武田と和睦する必要はないとすら思っていた。


「確かにそのような噂を流せば我らは武田につかざるを得なくなりますが……どうも出どころは織田軍のようです」

「織田軍が? なぜ?」

 そのような噂を流しても自分の首を絞めるだけではないか。

「どうも武田軍が岡崎城を離れた際にすぐ追撃しなかったのを、武田軍と通じているからだと見ているです」

「何?」


 家康は耳を疑った。徳川は織田の家臣ではない。それに直前に大敗を喫しているというのにそれはあまりにも一方的な言い草ではないか。一度包囲されていた岡崎城に兵糧を運び直し、敗れた軍の体勢を立て直してからではいけなかったというのか。

「織田軍の兵士たちはそれが当然と思っていたようです」

「そこまで言うなら本当に武田についてしまおうか」

 家康の意図はどうあれ、織田家の認識としては徳川の動きは裏切りに映っているということである。さすがに二十年近い同盟関係があるから説明すれば分かってもらえないことはないだろうが、あの行為を裏切りと思われるようでは、そこまでしてついていきたいという気持ちも失せる。


「ちょうど佐久間殿も独立を考えているところです。今なら我が家が単独で降伏という事態は避けられます」

 直政ももはや我慢ならないようであった。

「だがこのままでは武田の半属国のようになるぞ」

「忠次殿。すでに我らは織田家に属国扱いされております。それについては変わらないかと」

「そうか……だが、もし武田につけば西は佐久間殿、東は武田で領地を広げることは叶わなくなる」

「逆に考えれば、佐久間殿は防波堤になってくれるということでもあります」

 尾張で信盛が頑張っている限り、徳川は直接織田家の脅威を受けることはなくなる。それは常に武田の圧迫を受けている現状と比べ、確かに悪くない話であった。それに現状では武田領を攻めて領地を広げることはかなり難しい。


「半蔵。武田は我らの領地については安堵ということでよろしいのですね」

「はい。武田は現在攻勢に出ておりますが、所詮織田殿の目が西へ向いている隙を突いたに過ぎません。織田本軍が戻って来て徳川に背後を突かれれば不利なのは変わらないため、焦っているのでしょう」

 それを聞いて家康は再び沈黙した。忠次と直政も議論が出尽くしたのか、沈黙した。


「おぬしはどう思う」

 今度は家康は石川数正に話を振った。信康切腹事件以来何とも言えない関係になっていたが、依然として重臣なのは変わらない。

「これ以上武田と戦い続ければ三河の人心は持ちません。すでに武田に蹂躙されながら反撃できぬ我らに対し心の中では愛想をつかしている者は多いかと。そして武田と戦い、半壊した徳川を織田殿が救った場合、完全な臣下に組み入れられることになるでしょう」

 そこで数正は一度言葉を切る。

「しかし武田と組んでも織田家に勝てるかは分かりません。上杉は勝ったとはいえ、しばらくの間は北陸の戦いは続くでしょう。信長は羽柴・明智と言った西国の軍勢を連れて引き返してくるはずです。もし織田殿が五万の兵力を連れてくれば、武田が二万、我らが一万集めても太刀打ち出来ません。佐久間殿についている者たちも織田家へ帰参するのではないでしょうか」


 石川数正はすらすらと冷静な分析を口にした。そこまでは想像が及んでいなかった忠次や直政は少しだけ恥じるような面持ちになる。

「分かりました。我らは武田につきましょう。これ以上三河を荒らす訳にはいきません」

「「「はっ」」」

 家康の言葉に忠次・数正・直政は短く答えた。どちらにつくのもそれぞれ長所と短所がある。である以上主君の下した決断についていく他ない。

「早速佐久間殿に使者を。武田には天野を介して使者を出しましょう」

 信康切腹事件の折出奔した天野康重は今でも武田領で代官をしているらしい。出奔していった者には愛憎両方あるが、こうなった以上使える手づるは全て使わなければならない。

 そして家康自身も出向く準備を始めたのであった。

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