陥落
十二月十三日 武田本陣
「くそ、明智城はまだ落ちぬのか」
城方には疲労がたまり、味方は損害が増える。そんな戦いが続く中、俺は焦っていた。すでに織田信忠らは佐久間信盛の籠る鳴海城を包囲しているという。一万五千の兵力で囲んでいるのだから今頃落ちていてもおかしくはない。
「御屋形様、急報です!」
そんな中、本陣に望月千代女が駆け込んできた。
「何だ」
「先ほど明智城に忍び込もうとした織田の忍びを捕えたところ、去る十一日金沢御坊にて織田軍は上杉軍に敗れたとのことです」
「何!?」
そこで俺は即座に頭を回す。よし、これでいこう。
「よし、その忍びは解放してやれ。何なら城の近くでな」
「分かりました」
千代女が去っていくのと入れ替わりに上杉家からの使者が駆け込んでくる。報告内容はほぼ同様であった。同じ合戦についての内容が敵味方ほぼ同時に報告されるのは少し面白い。
「よし、今の内容をただちに全軍に知らせよ!」
たちまち全軍に上杉勝利の報が知れ渡る。反対に、城方には織田家敗北の報が知れ渡っていた。二日間の激闘で疲弊していた末のこの情報である。武田軍はもう一度だけ士気を奮い立たせ、織田軍はわずかだが士気に陰りが生じた。折しも佐久間信盛が謀叛したばかりである。悪い流れが続いている、このままではこの城も危ないのではないか。そんな根拠のない不安が兵士たちの間を流れた。
「全軍総攻撃だ! 今度こそ城を落とす!」
そこへ改めて武田軍が攻め寄せる。戦場で起こっていること自体は先ほどまでと同じだったが、なぜか織田軍の鉄砲は外れることが多くなり、武田軍の兵士は動きが素早くなった。
「突入!」
やがて城の一角が崩れ、なだれのように武田軍が城内に侵入した。城将斎藤利治は城壁の一角が破れた時点で敗北を確信した。
(とりあえず今すべきことは最低限、岐阜城を守ることだ)
岐阜城は堅固な城郭を誇るが、前線の城ではないので守りはわずかである。勢いに乗った武田が襲い掛かれば落ちないとは言えない。利治はいち早く脱出すると一部の兵士をまとめて西に逃げ去った。
利治脱出後の明智城はすんなりと落ちた。元々武田が一時占拠していた城である。内部の構造などは知り尽くしている。
「ふう、とりあえず落とすことが出来て良かった」
城を落とした俺はほっと一息つく。兵士たちがそうであるように俺も連日の攻撃で疲労していた。
「大戦果です。とはいえ御屋形様、今後いかがいたしましょう」
真田昌幸が尋ねる。
「選択肢は三つだな。一つは信忠を追って野戦を挑む。佐久間信盛の動向が読めないが、もし信忠を討ち取ることが出来れば戦果は大きい。次はこの勢いのまま岐阜城を攻める案。ただ、岐阜城は固く、その上明智城の兵が逃れており、すぐに落とせるかは分からない。その上、攻めあぐねているうちに信忠が戻ってこれば面倒になる。最後は三河を攻める案だ。もっとも、徳川軍は信盛の件を聞いて撤退してきたらしいが」
知らせによると家康は駿河から撤退し、こちらを目指しているという。せっかく俺が不在のうちに駿河を攻略するチャンスがあったのに織田家の都合で撤退させられるのは可哀想ですらある。
「でしたら三河に向かうべきでしょう。先に岡崎城辺りを囲めば家康も救援に来ざるを得ません。そこで野戦を行い、徳川軍を破ってしまいましょう」
昌幸は断固とした口調で述べた。
「だが、織田軍が信盛を倒す可能性はあるぞ」
「はい。それについては信盛殿と連携するか、別途策を講じる必要があると思われます」
「なるほどな」
とりあえず一度信盛には偵察もかねた使者を送っておこう。それはそれとして俺は再び主だった武将たちを集める。土屋昌恒、小山田信茂、荒木村重らが集まってくる。
「改めて今後の方針であるが、とりあえず明智城は荒木村重に任せる。また三千の兵を与えるゆえ、織田軍への牽制を任せる。岐阜城は簡単には落とせないだろうから、多少城下を焼いても構わない」
「そうか、腕が鳴るぜ」
村重は相変わらずだった。
「俺は武田本隊一万を率いて三河岡崎城を攻める。そして救援に来た徳川軍を野戦で破り、長きに渡る武田・徳川の争いに決着をつける」
俺の宣言に諸将はどよめく。信玄が三万の兵を率いて上洛を目指した時、徳川軍を三方ヶ原で破っても徳川を屈服させることは出来なかった。それを終わらせると言ったのだからその反応も当然だろう。
「父のときと違い、遠江口ではなく美濃から攻め込む。徳川は遠江方面の防備は固めていたが、こたびの侵攻で三河の防備は薄いことが分かった。これは信康の事件が尾を引いている可能性もあるがな」
「確かに。略奪して回ったときも反応が薄かったように思いました」
昌恒が言う。信康切腹事件では西三河派が没落した形になり、それが抵抗の薄さにも表れていたのだろう。
「よし、皆疲れているだろうから今宵は休むがいい」




