正史を外れてみる
三月二十日 躑躅ヶ崎館
「申し訳ありません、景勝が春日山城本丸を封鎖したため手の者との連絡が取りづらくなりました」
数日後、千代女が悔しそうな顔で報告に来た。
「ついに来たか」
「はい。景勝は景虎派の者を本丸から追い出し、さらに景虎が謙信の葬儀に立会にきたところで城門を閉ざしたとのことです」
「それで景虎の反応は?」
「はい、こちらには間者を入り込ませることに成功しております。景虎は内心納得していないものの、すぐに事を構えるつもりはないようです。現在のところ三の丸に立てこもっており、むしろ越後各地の豪族の方が一触触発かと」
「なるほど」
そうか、景虎は北条家からの支援を待って事を起こすつもりなのだろうか。現在氏政は鬼怒川を挟んで佐竹義重ら北関東中小大名連合軍と対峙しており、越後に大軍を送ることは出来ない。その状況で兵を動かすのは不利とみたのか。
だが、こちらとしては乱が起こるのなら早く起こって欲しいという気持ちもある。
(景虎がその気なら俺も先に家康を叩くか? 確か史実でも御館の乱はもう少し先だったはずだ)
そんな考えも頭をよぎる。御館の乱に介入する以前に家康を退けておけば、史実よりは状況がましになるだろう。
「乱はいつ起こるとみる」
「分かりません……ただ一つ言えるのは、景勝と景虎は乱を避けたいと思っているということだけです。景勝からすれば乱を起こせば他国につけいれられる隙になるとの思いがあるでしょうし、景虎は北条家の加勢を待って戦いたいでしょう」
「よし……ならば田中城の救援に向かう」
「御意」
千代女は静かに顔を伏せた。俺は素早く決意を固める。確か史実で俺が兵を進めるのは六月ごろ。そこまでの時間があれば徳川軍を追い払うことは可能だ。
「よし、早速触れを出せ! 駿河田中城を救援し、家康を討つ!」
三月二十五日
躑躅ヶ崎館の広間にこの度の駿河出征の武将が集められる。主だった者は跡部勝資、小山田信茂、土屋昌恒といった者たちである。
甲斐の武将が中心で、武田信豊・高坂昌信ら信濃衆は越後の動乱に備えて今回は召集しなかった。また、真田昌幸も上野にて上杉方の動向を伺っている。そして、穴山信君ら駿河衆とは現地で合流する予定であった。兵力も全部で八千ほど(現在でも総力を挙げれば二万は集まると思われる)と、数よりは動きやすさを重視した軍容となった。
俺は細々とした説明を終えると、最後に広場の最奥にある御旗盾無に向き直る。これは武田伝来の家宝で、「御旗盾無に誓う」というのは不退転の覚悟を示す文句であった。
「では武田家第二十代、勝頼が御旗盾無に誓う。必ず徳川家康を破り、田中城を救援する!」
「おおおおおおお!」
広間の武将たちから歓声が上がる。こうして俺は武田家滅亡の歴史を変えるべく、第一歩を踏み出したのだった。
三月二十九日 駿河江尻城
「わざわざお手間をとらせてしまい申し訳ございません」
江尻城に着くと、城主・穴山信君は申し訳なさそうな顔で出迎えた。信君は信玄の弟で、甲斐の名族穴山氏の養子に入っているため、俺の叔父にあたる。現在は駿河の武田衆の統領的な立ち位置にあった。
若いころの疱瘡で顔にあばたが出来ており、怪物のような容貌をしている。人を見かけで判断するのは良くないが、史実でも信君は武田家滅亡の際、家康に内通して命脈をつないでいる。果たしてすでに武田家に見切りをつけているのかどうか。ふと気になった俺はちょっと試してみることにした。
「時に穴山殿はこの先の武田家についてどのように考える」
「ふむ、難しい質問でございますな。私はやはり、どうにかして織田家と和を結ぶべきかと存じまする」
「なるほど、出来るものならそうしたいが、果たして可能だろうか」
ちなみに、史実でも武田家は織田家との和議を模索していたらしい。結局、成就することがなかったために滅亡したのだが。
「そればかりは……。ただ、私にとってはそれが唯一、いえ、最善の手にしか思えないのです」
信君は真剣な表情で語る。なるほど、この時点では純粋に俺のためを思って意見してくれているということか。しかしだからこそ、織田家との破局が決定的になると裏切ったとも言える。
「織田家は果たして徳川家を捨てるだろうか」
武田家と徳川家が和睦することは不可能だ。信玄以来ずっと戦い続けてきただけでなく、家康の長男信康は武田に内通した罪で腹を切らされている。また、遠江には両軍の所領が入り乱れているし、お互いを裏切った国衆もいる。
「難しいでしょうね。唯一希望があるとすれば、徳川家を徹底的に叩き潰し、手を結ばざるを得ない状況にすることでしょう」
確かに信玄存命時、徳川家が風前の灯だったときは信長の方から信玄に頭を下げてきた。そのときの状況を再現できるほどに勝てれば。まあ、それが出来れば苦労はないのだが。
次回、徳川家康登場編。
久しぶりに活動報告更新しました。
他の連載の軽い紹介なども行っておりますのでよろしければご覧ください。