三河乱入
更新一日飛んでしまいすみません
信忠軍が敗走すると俺は間髪入れずに岩村城攻めを開始した。城は城将河尻秀隆を失っており大混乱に陥っていた。さらに秀隆の兵士が敗走する際、数人の武田忍びが侵入しており「信忠討ち死に」「織田軍は岐阜城まで敗走」などの誤報を流していた。浮足立った城兵はまともな抵抗も出来ず、武田忍びが城門を開けて武田軍が侵入すると一気に崩れ去った。合戦の勝利からわずか一日の展開である。
俺は思わぬ大勝に満足したが、信長が西国戦線を片付けるまでにもっと戦果を挙げなければ信長には勝てない。織田家との差は局地戦で多少勝ちを拾ったぐらいで覆せる差ではなかった。
城を落とすと俺はすぐに村重を呼んだ。最前線で戦っていた村重は全身を返り血で染め、ぼろぼろになった鎧を身に着けたままやってきた。その不敵な笑みと合わさってまるで鬼か妖怪のようである。もっとも、そうであってくれた方が好都合なのだが。
「村重よ、このたびの戦ではよくぞもっとも困難な役目を果たした」
「それは御屋形様が俺に最も困難な役目を与えたからな」
相変わらず村重は不遜であった。
「まあいい。おぬしには二千の兵士とこの城を与える。城を守るだけでなく、隙あらば織田領に攻め込むのだ」
「つまり普段は俺の好きにしていいということだな?」
言い方はひどいが、俺は信長が主要な武将に各地の方面軍を指揮させている方針を取り入れるつもりであった。すでに駿河は穴山信君、遠江は真田昌幸に任せており、村重は美濃で同様の役目を任せるつもりであった。
「そうだな。俺はこれから三河に進軍する。敵が攻めてこなければ打って出て、攻めてこれば守るように。細かい判断は任せる」
「分かった。せいぜい織田軍を苦しめてやる」
村重は不敵に笑う。
十一月二十四日 三河
俺は岩村城を落としてすぐ、そのまま南へ兵を進めた。織田領に進むのであれば西の明智城が次の目標であるが、そちらには信忠軍一万が集結しており、五千の兵で城を落とすのは不可能とみたためである。
現在遠江では真田昌幸が二俣城を囲み、穴山信君が諏訪原城を囲み、徳川家康が三河の兵を浜松城に集めて救援に赴こうとしているという状況であった。つまり三河はがら空きである。家康としても岩村城がこんなにも早く落ちるとは思っていなかったのだろう、三河の警戒は薄かった。
俺は奥三河でもっとも美濃寄りにある武節城に攻めかかった。三百ほどの兵しかいなかった城は武田軍の猛攻の前に一日で陥落した。
さて、ここから進軍ルートは二つある。一つは田峰城、菅沼城などを通って南下して長篠城へ向かい、遠江の徳川軍の背後を目指すルート。もう一つは北三河の小城を踏みつぶし、尾張へ向かうルートである。だが今回の目的は徳川ではなく織田だ。信長に本願寺攻めを中断させるか、中断せずに領国を見捨てたことを後悔させるだけの戦果を挙げなければならない。だとすれば尾張へ向かうしかない。
武節城から西進していくと、館に毛が生えたような城ばかりがいくつも並んでいる。攻め落としてもいちいち城将を配置するのが面倒なので適当に田畑に火を放ちながら進んでいく。そもそもこの辺りは美濃との国境であり、攻められることを想定していないのだろう、さしたる抵抗はなかった。
さらに奥三河の菅沼氏らに内応を促す書状を堂々と送りつけた。実際に裏切って欲しいというよりは嫌がらせと離間のためである。
十一月二十八日
三河北部を荒らしまわること数日。ようやく信忠が明智城を出立したとの知らせがあった。報告によると家康は三河に兵を向けるのではなく、織田軍に救援を要請したらしい。そもそも織田家が岩村城を失ったせいでこうなったのである、という気持ちもあったのかもしれない。家康は八千ほどの兵を率いてそのまま諏訪原城の救援に向かったという。
明智城に二千の兵を残した織田軍は岩村城の敗残兵などを集めて再び一万ほどに膨れ上がっていた。正面から戦えば勝ち目は薄いが、美濃三河国境は山岳地帯である。倍の兵力がいるといえど容易に手を出せなかった。
俺は山の中に兵を散らして布陣する。固まって布陣出来る場所がないためと、相手に容易に全貌を掴ませないためであった。信忠軍は目の前に布陣するものの、先の戦いで負けていることもあって容易に手を出せない。にらみ合っている間に土屋昌恒に一千の兵士を与えて南方に派遣し、村に火を放ち田畑を荒らさせた。
十一月二十九日
武田の示威行為に焦れた織田軍がようやく重い腰を上げて攻めて来る。とはいえここはただの三河の山の中であり、守らなければならない拠点などではない。武田軍は適当に戦っては退いた。追ってくる織田軍だったが、狭い道に入れば数の優位は生かせない。退いては狭所で迎え撃ち、相手が退けば別動隊を派遣して近隣を荒らす。そんな戦いが続いた。
十二月二日
イタチごっこのような戦いが続く中。ついに荒木村重が二千の兵を率いて織田軍の背後を襲うべく南下したとの知らせが入った。さらに二俣城を包囲していた真田昌幸らの軍勢三千は徳川軍の救援を見て退却した振りをして西進。三河にて俺の部隊と合流した。
「昌幸、久しぶりだな」
俺は待ちに待った昌幸の軍勢を出迎える。
「御屋形様は私を買い被っていらっしゃる。慣れぬ遠江の地でどれほど苦労したやら……」
確かに昌幸は少しだけやつれているように見えた。が、逆に慣れぬ地での奮戦のおかげか貫禄のようなものも加わっている。
「何を言う。毎日そなたの活躍を聞いて心躍っていたぞ」
俺の言葉に少しだけ昌幸は表情を緩めた。
「さて、これで兵力はほぼ互角か。向こうはどうでるかな」




