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そのころの北条氏政

挟むタイミング間違えたような気もしますが、独立した話なので許してください。

時は戻って天正六年六月 鬼怒川南岸

「また佐竹のせいでっ!」

 北条氏政は対岸に布陣する佐竹義重ら北関東連合軍を憎々し気に睨みつけた。北条軍は堂々たる二万の軍勢を揃えて布陣しており、対岸の軍勢は一万にも満たない。しかし鬼怒川の悠々たる流れと、鬼義重とも言われた佐竹義重の武名により渡河しての攻撃は出来ずにいた。


「姉上、武田軍は無事御館に入ったようですわ。武田軍がいれば越後は勝ったも同然、ここは落ち着いていきましょう」

 癇癪を起している氏政を氏照がなだめようとする。が、それは逆効果だった。

「知ってるわ! でも景虎は私の妹なのに勝頼にばかりいいところを持っていかれるのは癪じゃない! 氏照、蘆名はまだ動かないの!?」

 この時期、蘆名盛隆は陸奥の国衆とともに佐竹家とは敵対していた。蘆名家に佐竹家から養子が入り、同盟を結ぶのはもう少し先の話である。


「いえ、蘆名は越後に攻め入っていると……」

 氏照は少し申し訳なさそうに答える。それを言われると氏政も沈黙するしかなかった。蘆名家は佐竹家を挟んで北条家と同盟関係にあり、現在交戦中の佐竹の後ろをついてもらいたいのは山々だが、北条家の一族である景虎を支援するために越後の景勝派をすでに攻めているため、佐竹を叩くのは難しいということだった。この乱にはたくさんの勢力が複雑に絡んでいる。

「仕方ないわ、どの道何万の大軍がいてもこの河を渡ることは出来ないし、氏邦だけでも越後に向かわせなさい」

「はい、承知いたしました」

 氏照は一礼して退出する。


 関東では上杉謙信の関東出兵以来、北条家と反北条家の勢力による戦いが延々と続いていた。最初は北条家が押しては謙信が関東に出兵して押し返す、という繰り返しだったが地の利の都合上、徐々に北条家が優勢になっていく。そして上杉家の目が北陸や織田に向き、ようやく敵がいなくなったと思われるところに代わりに出てきたのが佐竹であった。


 今回の戦も、元々氏政らが結城晴朝の山川城を攻めていたところ、晴朝が義重に救援要請し、義重が出兵。もはやいつものメンバーとすら言える、宇都宮城主の宇都宮晴綱、鹿沼城主の壬生周長、水戸城の江戸重通らである。また、多賀谷城主の多賀谷重経や結城城主の結城晴朝も氏政の背後で抵抗を続けている。


「姉上、勝頼殿から文が届きました」

「何々? もしかしてもう景勝を討ち滅ぼしたのかしら」

 氏政は嬉々として文を開く。


『氏政殿


佐竹との戦の調子はどうでしょうか? 越後は初夏とはいえ涼しい風が吹いております。さて、現在二万の軍勢で春日山城を包囲しており、景勝軍は風前の灯ですが一つだけ心もとないことがあります。駿河にて徳川家を破った後に越後に反転するという強行軍を発したため、軍資金と兵糧に事欠いております。何とか氏政殿のお慈悲をいただけないでしょうか。

                                   勝頼』


「金の無心か! こっちだってね、毎回数万の軍勢動かすのは安くないっての!」

 相手は大軍ではないので数万の軍勢を動かす必要はないという指摘もあるかもしれないが、これまで北条家は圧倒的な兵力で中小国衆を威圧し、戦意を折るという戦法で領地を広げてきた(そのため、兵力が去っていくと途端に裏切る者もいたが)。

「佐竹さえいなくなればこの私が直々に越後へ出兵して、勝頼なんかの出番はなくなってたのに……」

 氏政はぎりぎりと歯ぎしりしたが、そこは戦国大名。現実というものは分かっている。

「氏照、仕方ないから上野から武田に軍資金を送ってあげなさい」

「はい、さすがお姉様は器が大きいですわ」

「そうよ、この私ぐらい器が大きくなければこんなことやってられないわ」


 結局、対陣は御館の乱が終わった十月になっても続いた。さすがに両軍とも厭戦気分が蔓延してきたところで、氏政は勝頼に和睦の仲介を頼むことにした。武田家は北条家の同盟勢力であるが、佐竹陣営と直接的に敵対している訳でもないからである。佐竹陣営としてもいい加減撤兵したかったものの自陣営からは言い出しづらかったというところもあり、和睦はとんとん拍子で進んだ。

「でもこれで上野は完全に安泰になった。来年は本気で奴らをすりつぶしてやるわ」

 氏政はそう決心すると帰路についた。


史実ではこの後武田VS北条の仁義なき戦いが始まります。

しかもなぜか武田が攻勢という……

そう考えると史実勝頼は結構頑張ってたと言えますが、頑張りすぎて家臣や領民の不満が溜まったんですかね

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