真田昌幸
御館の乱終結の報を聞いた徳川家康は駿河から兵を退き、武田軍は即時解散した。二万の軍勢を維持するにはやはり膨大な費用がかかったのである。
「春日山城の金蔵からいくらか出しましょうか?」
景虎は心配そうにそんなことを尋ねてくる。春日山城には謙信が軍資金として貯めていた大量の黄金が残っていた。もし謙信が存命なら今頃対織田遠征にこの黄金は使われていたのだろう。俺もその金は喉から手が出るほど欲しかったが、あまり景虎に黄金を出させていると景虎の威信に関わる。今後景虎は越後・越中・能登の兵を率いて織田家と戦ってもらわなければならない。
「ならばこうしよう。今回武田家が占領した信濃の上杉領を返還する代わりに黄金をもらい受ける」
武田軍が占領したのは景勝派信濃国衆の領地である。それならば双方ともに面目が立つ。こうして俺は何とか武田家の財政を維持したのであった。
とはいえ、勝利したものの代償もまた大きかった。二万もの兵士がずっと遠征していたため甲信の田畑は人手不足でてんやわんやだった。また、駿河遠江でも本国からの援軍がなかったため、再び国衆が徳川家になびき始めていた。
(これはしばらく大軍を派遣するのはやめた方がいいな。そして駿河遠江方面に強力な戦力を常駐させた方がいいな)
そう考えた俺の脳内に真っ先に浮かんだのが真田昌幸の名前であった。真田昌幸は今回上野の警戒のため遠征には同行していない。しかし上野は北条家・上杉景虎家と三分しているため当分の間戦乱は起こらないと思われる。これまでは上杉もしくは北条との対立があったため、真田昌幸の存在はありがたかったが、もはや不要である。そこで俺は帰路の途中昌幸の岩櫃城に立ち寄った。
「これは御屋形様、わざわざ出向いていただくとは申し訳ありませぬ」
昌幸は額をこすりつけて俺を出迎えた。昌幸このとき三十一。働き盛りの年齢である。これまで北条や上杉相手に上野の武田領を拡大してきた智将である。
「そして御館の乱の勝利おめでとうございます」
「うむ。だが乱には勝利したが、しばらく領内の立て直しと新体制を整えたい。昌信の死や敵の変化などもあるからな」
「はい、それでなぜ某の元へ?」
「もはや上野に敵はいない。そこでそなたの武勇を遠江で振るって欲しい」
「なんと!」
昌幸はさすがに驚いたようだった。真田氏は上野の豪族である。そのため上野戦線では存分に力を振るってきたが、まさか遠江に移封されるとは思いもよらなかったのだろう。
「案ずるな、今の領地はそのままに、遠江の所領と国衆の指揮権を渡す。もちろん切り取った領地は好きに使ってよい」
昌幸は少しの間俺の言葉を考慮したようだった。が、頭の回転が速い昌幸はすぐに意図を理解したようである。
「理解いたしました。この真田昌幸、及ばずながら全力を尽くします」
こうして真田昌幸は自らの兵士三千を率いて上野を出発した。真田兵は今回の遠征に加わっておらず、温存されていた兵力である。真田軍は信濃を南下し、諏訪から伊那谷を超えて遠江の犬居城を囲んだ。御館の乱を治めたばかりでまさか遠江に攻めて来るとは思っていなかった天野家は慌てた。すぐに徳川家に援軍を要請するも、家康もちょうど撤兵したばかりである。そんなタイミングも重なり、昌幸はあっさりと犬居城を落として占領した。そして犬居城を新しい本拠に据えて遠江の経略を始めるのである。
(直接関係がある訳ではないが、昌幸は関ケ原の合戦の折、わずかな兵で徳川秀忠の大軍を食い止めた。だから徳川には強いはず)
俺はそんなゲン担ぎのようなものを信じるしかなかった。というのも、今の武田家を見渡してみると、他に人がいないのである。高坂昌信死後の海津城も誰かに任せなくてはならない。上杉家が同盟勢力になったとはいえ、越後は乱が終わったばかりで不穏だし、織田勢もいつ越中に侵入してくるか分からない。
大丈夫だ、織田軍の甲州征伐はまだ数年先のはず。それまでに人を育てて新たな体制を築き、ついでに資金難も何とかしなくては。勝利したものの武田家の前途は多難であった。
ようやく真田昌幸登場です
高坂昌信の死後武田で一番の人材と言っても過言ではない気がします
真田昌幸というと上田城の戦いが有名ですが、武田末期も相当活躍しています




