落城
その後俺は皮肉にも救援に来た増山城を自分で落とす羽目になった。さらに富山城・松倉城・魚津城といった景勝に味方していた諸城を落として回ることになる。捕えた兵士らに話を聞くと、元々は本気で織田軍と戦っていたが新発田重家の離反で景勝が親織田に方針転換。景勝派の武将に織田軍に味方するよう指令を出したらしい。景勝としては織田軍と武田軍をうまく共倒れさせ、その隙に勢いを取り戻すという腹積もりだったのだろうか。
そんな話を聞いた景虎は越中の中心である富山城に景広を置くことを提案した。今後織田勢との最前線になる越中に一番の勇将を置くというのは妥当な判断である。そう考えた俺は越中に景広を置いて春日山城周辺に凱旋した。
九月十五日
「今度こそ落とすか」
「はい」
越中をほぼ制圧し、越後の景勝派は坂戸城や揚北の一部に押し込められて連絡不能に陥っている。今度こそ完全に後顧の憂いはなくなっているはずだ。俺と景虎は顔を見合わせてうなずき合う。
「全軍総攻撃!!」
俺と景虎の号令が響き、満を持して総攻撃が始まる。もはや山も城下町も関係なく、空いている空間があればどこからでも連合軍は殺到した。当然城内からは銃弾と矢の雨の応酬があるが、その数は初期のころに比べてかなり減っていた。先鋒の兵がばたばたと倒れるが、圧倒的な勢いで後続が城壁にとりつく。そして縄やはしごをかけて登り始める。城門に到着した兵士たちは丸太を城門に打ち付ける。城内からの至近距離の銃撃で付近の兵士が倒れる。しかし直に身のこなしが軽い者が城壁を乗り越えて城内に侵入する。一度城壁での防御が崩れると、堤防に穴が空いたように防御線は崩壊した。たちまち城門が破られ連合軍が城内に殺到する。
城内に入ってしまえば数で劣る景勝軍にはなすすべがなかった。津波が建物を飲み込んでいくように、次々と景勝方の拠点が奪われていく。
「南門にて斎藤朝信を討ち取りました!」
「敵将山本寺景長、自刃!」
「千坂景親討ち取ったり!」
ここまで景勝派として徹底抗戦してきた武将たちの討ち死に・切腹報告が続々と入ってくる。そしてついに城は本丸のみになる。もはや本丸に残るは景勝・兼続とわずかな兵士のみだろう。
「武田軍は一度止まれ。城内の残党捜索に努めよ」
武田軍二万に対し、景広の軍を切り離した上杉軍は六千ほど。このまま最後まで武田軍を全力で動かし続ければ武田軍の勝利となってしまう。せめて最後くらいは景虎に。そんな俺の思いが届いたのか、景虎の軍は猛然と本丸に襲い掛かった。
やがて、春日山城本丸に火がかかった。景勝が自ら火を放ったのだろう。最期まで景虎に家督を明け渡さないという固い意志をひしひしと感じた。俺も長きに渡る景勝の抗戦には敬意を表さずにはいられなかった。
こうしてこの日、春日山城は落城し、景勝と兼続は自刃。焼けかけた本丸から二人の首級が挙げられた。春日山城を占領した景虎はただちに家督継承を宣言。また、この報を聞いた坂戸城の栗林政頼ら与板衆も降伏。最後まで抗戦していたのは本庄繁長・色部長真らだったが、彼らもついに降伏した。こうして天正六年九月三十日をもって御館の乱は終結した。
その翌日、越後に例年より早い初雪が降った。景勝派の武将たちはもう少し持ちこたえていれば、と悔しがったという。
ようやく御館の乱編終了となります。
次から対織田に備えて内政・地固めに入ります。




