越中不穏
七月一日 春日山城周辺
景勝軍の士気が下がったとはいえ依然春日山城の包囲は続いていた。そんな中、土屋昌恒が本陣に駆け込んでくる。最近景勝方の活動も低調になり、少し珍しい。
「御屋形様、奇妙な使者を捕えたのですが……」
昌恒の歯切れが悪い。
「何だ?」
「越中増山城の吉江宗信から春日山城内の景勝へ、織田軍が迫っているため援軍を要請する使者なのですが……」
さて、越後では血みどろの内乱が続いているが、謙信の領地は越中・能登にも広がっている。能登七尾城主の遊佐続光は内乱から遠く、越中松倉城主の河田長親や増山城の吉江宗信らは景勝方ではある。
しかし加賀では上杉氏の同盟勢力である一向一揆が柴田勝家ら織田家の北陸方面軍に劣勢であり、越中にも飛騨から織田軍が攻め込んでいるという状況であり、とても内乱どころではなかった。
「どうした?」
「我らが捕えると『もはや景虎様でも四郎勝頼様でもいい、誰でもいいから織田軍を追い払って欲しい』とわめきたてておりまして……」
「なるほど」
確かに乱の勝者が上杉家の当主になる以上、どちらの援軍に助けられるかはもはや重要ではないのかもしれない。吉江宗信が景勝派だとしても、敵である信長に城を落とされるよりは景虎に膝を屈する方がましなのだろう。
こちらとしても、せっかく景虎が勝利してもそのときすでに上杉家の領地が全部なくなっていては困る。ただ、現在景勝との戦いが続いており、大軍を援軍に回すことは出来ない。
「ちなみに織田軍の数は?」
「最初は二、三千ほどでしたが越中の反上杉派の国衆を糾合してどんどん膨れ上がっているとのことです」
「なるほど。とりあえず景虎殿と一緒に会ってみるか」
そんな訳で、俺は景虎と一緒に使者の吉江長忠を引見した。吉江宗信の弟で、もしかしたら捕まって俺たちに救援を要請することも視野に入れていたのかもしれない。
「この際どちらが上杉の後継にふさわしいかは置いておきましょう。ただ、このままでは越中以西は全て織田家のものになってしまいます」
そう言って長忠は頭を地にこすりつけた。俺はちらっと景虎の方を見る。
「ですが知っての通り、私たちは戦争中です」
「そこを曲げてでもお願いいたします」
「では一つお聞きしますが、もし私たちが援軍を出せば、越中は私についてくれるのですか?」
「……我らに出来るのは、織田軍と戦いつつ勝った方に従うことのみでございます」
長忠は悲痛な声を漏らした。
確かに越中の景勝派は景勝派とはいえ御館の乱に何か介入した訳ではない。主に織田家に備えて動けないでいる。
「それなら決まりだな」
「はい。分かりました、援軍を派遣するので私が勝利した際は私を次期当主として支えてください」
「はい、ありがたきお言葉」
長忠は再び地面に額をこすりつける。
「それで敵情は?」
「はい。飛騨から織田家の手を借りて侵入してきた神保長住が敵将で、元々は織田兵と神保兵合わせて二千もいなかったと思われるのですが、越中の反上杉派の国衆を次々と糾合し、現在は四千とも五千とも」
元々越中は神保氏・椎名氏と一向一揆などが争う混沌とした国であった。そこに上杉謙信が侵略を開始し、神保・椎名氏がそれぞれ謙信に味方したり離反したりを繰り返していた。結局現在は椎名氏が上杉配下となり、神保氏が国を追われ、一向一揆が謙信と和睦して収まっている。謙信が圧倒的な武力で支配していたときは盤石だった支配も、謙信の死と御館の乱により揺らいでいるのだろう。そしてひとたび支配が揺らげば、今まで押さえつけられていた者たちが一斉に蜂起する。
「分かった。しかし俺と景虎殿はここは離れられないだろうな」
俺は領地である甲信から離れすぎるのは万一徳川家の侵攻などがあった際に危険だ。景虎も次期当主として越後の諸勢力や北条家とのやりとりをしなければならない以上越後にいた方がいいだろう。
長忠を下がらせた後、俺と景虎は改めて話し合う。
「どのくらいの兵力を送るべきだと思う?」
「織田軍との戦いには負けられませんが、大軍を送ってしまうとこちらで何かあったときに身動きがとれません」
「そうか。ならお互い少数精鋭を送るか」
「そうですね。景勝は最近あまり仕掛けてこないのでそれがいいと思います。私からは北条景広を出しましょう」
北条景広は景虎軍で一番武勇に優れていると言われる将である。一方のこちらは一番の将と言えば高坂昌信かもしれないが、昌信は現在重態である。昌恒を出してしまうのは惜しいが、景虎も景広を出している以上、仕方ないか。
「分かった。こちらからは昌恒を出す」
「ありがとうございます」
こうして、北条景広ら上杉軍三千、土屋昌恒ら武田軍三千の混成軍を援軍として派遣することが決まった。
苦しまずに死ねる薬と美少女死神
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