春日山城残酷
六月二十二日夜
「だめでしたね……」
しゅんとした表情の景虎が本陣に現れる。
「まあ仕方ない、だが今回の顛末で次の手を思いついた」
「本当ですか!? さすが兄上です!」
景虎はぱっと花が咲くような笑顔を浮かべる。
「ところで氏邦姉上から知らせがあり、ようやく三国峠を越えたとのことです」
「本当か」
景勝は春日山城に籠城しているが、故郷である与板の地が北条家の手に落ちれば孤立無援となる。それでも景勝は抵抗をやめないかもしれないが、越後の諸将は離反し、兵糧などの支援は途絶えるだろう。史実では本拠の坂戸城が落ちるには至らなかったが、氏邦の進撃は史実より早いし、何より史実では武田軍が北条軍を牽制している。これは史実よりいい結果を生むかもしれない。
「それから、上野経由で大量の兵糧をこちらに送ると氏照姉上からも」
「それはありがたい」
武田軍二万を越後に常駐させるには莫大な費用がかかる。敵地であれば略奪などを行うところだが、乱に勝利すれば景虎の領地となるため無体なことは出来ない。
「本当に。私も皆のお世話になるばかりではなく何かを成し遂げられるようになりたいものです」
「何を言う。越後の国衆をまとめられるのは景虎だけだ」
「はい」
その後北条氏邦・北条高広らの軍勢が景勝領の樺沢城に攻めかかったとの報と、北条家からの兵糧が届き、武田軍の士気は再び上がった。
六月二十六日
再び城を囲んでにらみ合いが続く中、数日振りに千代女が姿を現した。普段と違い、どこか高揚した雰囲気がある。
「御屋形様、須田満親・岩井信能の家族を捕えました」
「よし! では早速城中の二人に書簡を送るのだ。今度は景勝にばれてもいい。いや、むしろばれた方がいいかもしれないな」
「なるほど、そういう策でございますか」
ばれた方がいい、という言葉に千代女は何かを察したらしかった。俺は二人への書簡を書く。
『須田満親殿
先日の申し出を受けていただき、ありがたい限りである。事が成った暁には家族と旧領が無事であることをこの勝頼が保証する。
四郎勝頼』
千代女は二通の書状を受け取ると一礼して退出する。
その日の夜、千代女の配下が二人春日山城にて捕縛されたとの報が入った。
六月二十七日
「兄上、城内にて須田満親・岩井信能の二名が暗殺されたとの報が入りました!」
「本当か!?」
景虎の報告に俺は思わず立ち上がる。
「はい、今朝未明、信濃兵の一部が脱走し我が軍に投降しました」
「偽装投降ではあるまいな?」
三国志には苦肉の計という故事もある。
「はい、数が数十単位に及ぶので偽装ではないと思われます」
謀略だとして数十人単位で口裏を合わせるのは簡単ではない。
「よし! いっそ包囲を再び縮めてみるか」
「はい、今度こそ糧道を断ってみせます」
景虎軍は山中での包囲網を再び縮めた。城内からの奇襲は相変わらずあったものの、以前ほどの元気はない。しかも信濃兵の投降は本当だったのだろう、彼らが城内の通路を漏らしたため、逆に景虎軍が奇襲に出た兵士を待ち受けて討ち取るという展開も増えてきた。
数日後、武田軍は兵糧を運び込む景勝方の兵を捕えた。彼らに事情を尋ねると、二十七日未明、城内に悲鳴と干戈を交える音が響き渡ったという。武田軍が忍び込んだのかと駆け寄ってみると、そこは須田・岩井両者の屋敷で血に濡れた兵士が倒れていた。屋敷の中では寝間着のままめった斬りにされた二人と、配下の者たちが倒れていたという。




