春日山城包囲
「さて、それで我らの作戦だが何か策はあるか?」
俺は景虎に尋ねる。正直ここからは史実を外れているので俺の知識はあまり当てにならない。ちなみに景虎が負けた一番大きな理由は武田家の撤退であるため、俺がその気になれば負けはしないということになる。
「うーん、難しいですね。春日山城は謙信公が築いた屈指の名城ですし、越後各地の景勝派を一つずつ叩いていっても景勝が降参することはないと思います」
「それもそうだな」
景勝派は春日山に籠る謙信側近衆、景勝の地元である与板にいる軍勢、そして揚北衆と呼ばれる豪族たちからなる。しかし与板衆は坂戸城などの山奥の城にこもり、容易には攻められない。史実では北条氏邦らが攻めあぐねて撤退している。揚北衆は景勝に味方しているというよりは、周辺の敵対関係で二つに割れているだけである。
「ならば春日山城を兵糧攻めにするか? 城内に数千の軍勢が籠っているならそう長くはもたないだろう」
「そうですね。しかし申し訳ないのですが、今の私たちに武田軍二万の兵站を維持することは難しいです……」
景虎は申し訳なさそうに目を伏せる。そう言えば勝資も武田は軍資金不足だと言っていた。その状態で持久戦を行うのはまずいか。いや、金を出すべき人物がいる。
「分かった。金は何とかして兵糧攻めにしよう。景虎殿は城内への調略を頼む」
「分かりました。景勝に味方している者たちも武田軍が本気で我らに味方するとは思っていなかった者も多いでしょう。となれば裏切る者もいるかもしれません」
「任せた」
方針が決まると俺は部屋を出て氏政に向けて文を書く。
『氏政殿
佐竹との戦の調子はどうでしょうか? 越後は初夏とはいえ涼しい風が吹いております。さて、現在二万の軍勢で春日山城を包囲しており、景勝軍は風前の灯ですが一つだけ心もとないことがあります。駿河にて徳川家を破った後に越後に反転するという強行軍を発したため、軍資金と兵糧に事欠いております。何とか氏政殿のお慈悲をいただけないでしょうか。
勝頼』
俺はさりげなく「わざわざ越後まで二万の大軍を率いてやってきてやったぞ」とアピールしつつも、低姿勢で氏政に援助で請うた。簡単に言えば「兵を出さないなら金を出せ」という訳である。
六月十一日 春日山城周辺
上杉景虎・武田勝頼連合軍二万六千は大挙して春日山城下に押し寄せた。一度目の景虎の攻撃時にすでに城下町は焼けており、山の中にそびえたつ城だけが屹立している。城の南側こそ城下町に面しているものの、東西と北は山に囲まれており、完全に包囲するのは容易ではない。山の中の獣道などから食糧を運び入れることが物理的には可能だからである。必然的に地理に詳しい景虎軍が山中に入った。武田軍は城の南方に布陣した。どちらかというと景勝が討って出たときの後詰として控えている面が大きい。連合軍の到着に対して城からの反応はなく、静まり返っていた。景勝の性格を表しているかのようであった。
六月十三日
俺の本陣に浮かない顔で景虎がやってきた。
「どうした?」
「それが……山の中に布陣するとなると必然的に小兵力で分散することになってしまいます。そこを襲撃されるのです」
「そうか、謙信公の旗本が多く向こうに流れた以上地の利は向こうにあるか」
「はい……」
景虎はしゅんとうなだれている。ここが甲斐信濃の山奥なら武田軍を送り込めばすむだけなのだが、越後ではそうもいかない。
「よし、包囲を遠巻きにして城から離れるのだ」
「分かりました」
だが、そんな狭い山の中なら大量の兵糧を一気に運び込むことも出来ないはずだ。俺が来ているとはいえ、景虎と景勝の我慢比べがメインの戦いになるのではないか。俺はそんなことを思った。
越後各地でも戦いは起こっており、下越の方では蘆名軍が安田城を攻略。三国峠からは景虎派の河田長親らが宮野城を落とし、揚北では双方の国衆が小競り合いを続けた。




