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友達の恋人

作者: 穴沢暇

 しまった⋯⋯帰れなくなった。俺は駄目もとでもう一度バス停の時刻表を見た。やはり、帰れない。帰りのバスは今日中には来ない。田舎恐るべし。俺は頭を抱えてバス停の隣の青い座椅子に腰掛けた。

 夏休みも真っ盛りな今日、用事で頼まれてこんな山奥までお使いに来た。駅で電車を降りてから、バスを三本乗り継いでここまでやって来た。神社の神主だというおばさんの友達に、中身は何か知らないがとにかくおばさんから預かった紙袋を渡し、さあ帰ろうと思い来たバス停に戻ると、これである。

 腕時計を見た。まだ十三時過ぎ頃、日は高い。俺は今日どうすればいいんだ。

「おい、マサルじゃねえか」

 声が聞こえてふと顔を挙げると、そこには高校で同じ組に通う友人、橋本の姿があった。

「マサルくん⋯⋯て言うの? よろしくね」

 橋本と連れ立って歩いていた小柄な少女が、そう言ってぺこりと頭を下げて微笑んだ。同い年くらいであろうか。かなりの美人である。

「おい橋本⋯⋯この人まさか」

「おう、俺の彼女」

 少女はそう言われると「えへへ」と言って笑う。笑った顔も美人だ。嘘だろ。橋本にこんなかわいい彼女が。

「それよりマサルお前、どうしたんだよこんな所で」

「ちょっと用事でこの辺まで来たんだけど帰れなくなった」

「ははは、さてはお前、帰りのバスを確認しないで来たな」

 いや全くその通り⋯⋯。

「それより、お前のほうこそどうしてこんな所に」

「ああ、俺この辺に住んでんの」

「橋本、お前毎日こんな所から高校まで通ってたのか」

「まあな」

 橋本は何でもなさそうに言って笑った。

「その隣の⋯⋯、えー」

「ようこって言います。ごめんね自己紹介が遅れて」

「いやすいません、ようこさんもこの辺に住んでるんですか?」

「うん、この人とは幼馴染だったの」

 ようこさんは橋本を見て笑った。羨ましい。なんて仲睦まじい⋯⋯。

「それよりマサル、ここから山の裏道を二時間くらい歩くと、駅まで出られるんだよ」

「ほ、ほんとか!」

「ああ。折角だ。案内してやる」

「いいのか?」

「構わん。な、ようこ」

「うん、そうだね」

 おお⋯⋯。なんていい奴。持つべきものは友だな。

「さ、行くか」

 橋本の掛け声で俺たち三人は山の斜面を歩き出した。


「はぁ、はぁ⋯⋯」

 きつい。さっきからずっと登りっぱなしだ。

「橋本、あとどれくらいだ⋯⋯」

「この調子じゃ、あと三時間くらいだな」

「さっきより時間増えてるじゃないか⋯⋯」

 橋本とようこさんは何でもないようにするすると坂道を登って行っている。ぜえぜえ言いながら登っているのは俺だけだっだ。

「何だ、だらしねえぞ」

「う、うるせえ⋯⋯」

 今日はいつにもましてやたらと疲れる。いつもだったらいくら坂道だってもっと速く歩ける筈だ。

「大丈夫、マサルくん?」

「あ、ようこさん⋯⋯ありがとうございます」

 ようこさんは駆け寄って来てハンカチで俺の汗を拭いてくれた。

「あ、大丈夫ですから⋯⋯」

「大丈夫? 無理しちゃ駄目よ?」

 そう言ってようこさんは俺の手を握って坂道を引っ張り上げようとしてくれた。

「ちょ、ちょっと、ようこさん!」

「え、何?」

 手、手握ってるから! こんな彼氏の前で!

「おい橋本!」

「ははは、構って貰ってやってくれ。頼む」

 お前はそれでいいのか⋯⋯。

「あ!」

 とようこさんが声を挙げると、今度は手提げ鞄から水筒を取り出した。

「ほら、マサルくん飲んで。水分補給しなきゃ」

「いや、ほんと大丈夫ですから⋯⋯」

「駄目、日射病になっちゃうでしょ!」

 頬を膨らませて怒ったようこさんに気圧されて、水筒を受け取った。橋本はにやにや笑いながらこっちを見ている。

「じゃ、遠慮なく⋯⋯」

 ようこさんの水筒に口を付けると、ほんのり甘いお茶が喉を潤す。生き返った気分であった。

「あ、これ美味しいですね」

「でしょ?」

 お礼を言って水筒をそのまま水筒を自分の荷物にしまおうとすると、ようこさんは掌を差し出して水筒を受け取ろうとした。

「いや、悪いですよ。俺が口付けたのに。後で洗って橋本に返しますから」

「いいから、そんな荷物持ってたら疲れちゃうでしょ」

 だから、女の子に自分の荷物を持たせるみたいで嫌だったのに。

「ほら、これならいいだろ」

 橋本が声を挙げながら、坂の上から手を伸ばして俺の手から水筒を取り上げた。

「あ、橋本、悪い」

「礼はいいから、きりきり歩け」

「はい⋯⋯」

 俺は再び、ようこさんに背中をさすられながら坂を登り始めた。

 坂がなだらかな道に変わる頃、道の端にもちらほら家屋が見え始めた。コンビニか何かあるといいんだけど。

「あ!」

 と声を挙げたようこさんは、

「そろそろお店があったでしょ」

「店? コンビニか何かあるんですか」

「服屋さん」

「服屋か⋯⋯」 

 がっくりと期待を折られた気分だ。

「ああ、あそこか。この辺じゃ服なんて売ってるのあそこだけだ」

 橋本が振り返って、後ろ歩きしながら答えた。

「うん。ほらマサルくん、汗で服がびしょ濡れじゃない。風邪引いちゃうよ」

「大丈夫、大丈夫ですから。風邪なんて引きませんよ。ようこさん俺のこと子供だって思ってませんか?」

「だーめ! そういう油断が大敵なの!」

「ほら、見えたぞ。頼むマサル、世話焼かれてやってくれ」

 橋本が指差す方を見ると、くすんだ赤い色の屋根の建物があった。「ブチック」と時代を感じる看板が出ている。結局そのまま、俺はようこさんに手を引かれながらその店に入った。

「あ、生き返る⋯⋯」

 冷房が効いた部屋に入ると、俺は思わず声を漏らした。そのまま汗が冷えて、ついくしゃみをしてしまった。

「あー、ほらぁ」

 ようこさんはティッシュを取り出すと俺の鼻に当てて、

「ちーんってして」

「いいです。いいですから!」

 俺は慌ててようこさんからティッシュを取って自分で鼻をかんだ。橋本はにやにやしたままこっちを見ている。

 店にはカウンターにお爺さんが一人。あとは服が店内に所狭しと並んでいる。何と言うか、どれもお年寄りが着るようなデザインで、正直ださい。

「これも似合う。こっちもいいかも」

 ようこさんは時代掛かったデザインのシャツをあれこれ物色しては、俺に似合うか吟味している。

「これが一番似合うね」

 そう言ってようこさんが渡してきたのは、やっぱりお年寄りが着るようなデザインのシャツであった。俺の好みの服ではない。

「やっぱり、服なんて要りませんよ」

「駄目、さっきだってくしゃみしてたじゃない」

「えー、⋯⋯」

 俺は渋々シャツを受け取ると、試着室に向かった。

「ちょっと!」

「あ、ごめんなさい」

 一緒に入って来ようとするようこさんを押しのけて、試着室で手早くシャツを着替える。

 着替え終わってカーテンをめくると、

「わ、うん、かっこいいよ、マサルくん」

「そ、そうですか⋯⋯?」

 やっぱり、ちょっとださくないだろうか。ようこさん、あんまり人とセンスがずれてるのかも。

「おい、店主に着て行くって言ってあるから。袋には今脱いだの入れろ」

 橋本が空の紙袋を持ってやって来た。

「代金は?」

「また今度返してくれ」

「すまん、何から何まで」

「いいよ」

 俺たち三人はまた山道を歩き出した。

 それから、相変わらずようこさんは俺の汗を拭いたり水筒を奨めてきたり何かと世話を焼いてくる。そうしながら歩いているうちに、山道は下り坂になる。

 空を見上げると、太陽はだいぶ傾いている。最初に聞いていたよりずいぶん時間が掛かってしまった。

「あ!」

「今度はなんですか」

「公園があるから、ちょっと休憩していこうよ」

「いや、大丈夫ですよ」

「いいからいいから、あの公園、景色が綺麗なの」

 橋本のほうをみると、やっぱりにやにや笑うばかりで何も言わなかった。そのまま俺たち三人はその公園に入った。

 公園の入り口から入って数分、花畑の間に作られた道を進むと、少し小高い丘のような場所に出る。丘の上には大樹が一本そびえていて、その足元にベンチが何脚か置かれている。

「振り返ってみて」

「おー、⋯⋯」

 ようこさんに言われて振り返って見ると、確かに丘の上から眺める花畑は絶景だった。

「二人はちょっとそこに座ってろ」

 橋本に言われて、ベンチにようこさんと並んで腰掛けた。

「ね。綺麗でしょ。マサルくんと一緒に見たかったの」

「そういうことは橋本に言ってくださいよ!」

 ようこさんは笑って俺の頭を撫でた。

「いや、だからこういうことは⋯⋯」

「おーい」

 そこに橋本の声がして、振り返ると何か袋を持った橋本が戻って来た。

「そこに売店があってな。ほら、おにぎり。鮭とおかかと梅干し。好きなの選べ」

「あ、じゃあようこさんから⋯⋯」

「いいからいいから、マサルくんから選んで」

「じゃあ、鮭で⋯⋯」

「私おかかね」

 俺が広げられたおにぎりを手に取ると、素早くようこさんも別のおにぎりを手に取った。

「あ、代金は⋯⋯」

「俺の奢り」

「すまん橋本、今日は⋯⋯」

「いいから食え」

 橋本はそのまま、ようこさんと俺を挟むように、俺を真ん中に並んで座った。俺たち三人は、そのまま並んでおにぎりを頬張り始めた。

 空は紅くなり、冷たくなった風が心地いい。ふと、隣の橋本とようこさんの横顔を見た。こうして、公園で誰かと並んでおにぎりを食べるなんて、初めてかもしれなかった。

 両親と一緒にピクニックに行く子供の気分と言うのは、こういうものかもしれない、そう思った。おばさんは優しいし、よくしてくれるけど、やっぱりこういう家族みたいなことには少し憧れがある。

 いや、俺は何を考えてるんだろ。同級生とその恋人に向かって。

「あ、マサルくん、お弁当ついてるよ」

 ようこさんのその声に我に返る。ようこさんはそのまま俺の口元から米粒を指で取ると、そのまま自分の口に運んだ。

「だ、だからそういう事は!」

 俺は思わず、顔を赤くして立ち上がった。

「そういうことは橋も⋯⋯とに。あ、れ⋯⋯」

 そのまま一気に体から力が抜けて、視界が暗くなる。立ちくらみだろうか。

 ようこさんと橋本が俺の名前を呼んでるのが聞こえる。そのまま、俺の意識は遠のいて行った。


 ここは⋯⋯。うっすらと目を開けると、景色はさっきと同じ花畑であった。空はすっかり紫色になっているようである。

 目と、耳の調子は戻ったようだった。しかし体は全く動かず、声も出せなかった。

 今は、ここは芝生だろうか。芝生の上に寝かされている。左耳は柔らかい感触と温かさに包まれている。これは、これは膝だ。鼻の奥まで、優しい匂いが届いて来る。俺は今、ようこさんに膝枕されている。

 それから、さっきから聞こえるこの音色はなんだろう。ヴァイオリン? 少し違う。でも、聞いていると何だかどんどん体から重たいものが抜けていくようだった。

「ごめんね」

 ようこさんの声が聞こえた。俺は、声を出して立ち上がろうとする。しかし、やっぱり体はまだ動かなかった。

「私の我がままで、無理させちゃった」

 ようこさんたちはまだ俺が目覚めたことに気付いて無いようだった。ようこさんが優しく手で俺の右耳の辺りを撫でた。

「巧いでしょ。お父さん、達人なんだから」

 巧い⋯⋯。この楽器のことだろうか。

「ごめんね。今の私たちじゃ、まだあなたを背負いきれないみたい」

 洋子さんのその言葉と同時に、右頬に熱い水滴が落ちて来た。ようこさん、泣いているのか。

「ごめんね、ごめんねマサル」

 ようこさん、さっきから何を言って⋯⋯。

「ようこ、君のせいじゃない。全部、全部俺のせいだ。俺が不甲斐ないから」

 橋本の声だ。橋本、橋本なんて奴、クラスにいたっけ⋯⋯?

「少し聞かせたから、これでよくなる筈だ」

 楽器の音がやんだ。辺りは静かになって、ようこさんの膝から伝わってくる心臓の音だけがよく聞こえた。

「ごめんな、マサル。どんな言い訳をしたって、結局俺たちがお前を捨てたことに変わりはない」

 どういうことだ。さっきから何を言ってるんだ。

 その時、急速に眠気が襲って来た。これ以上、意識を保てそうに無い。

「ごめんなさい。ごめんなさいマサル」

 ようこさんの声がどんどん遠くなって行く。また、意識が暗転して行く。待ってくれ。まだ話したいことがあるのに。待って、待ってくれ!

「かあ、さん⋯⋯」

 ふと気が付くと、家の玄関の前に寝そべっていた。今のは、夢? 確か、おばさんのお使いを終えて、そのあと友達に会って。友達、誰に会ったんだっけ。

「頭いってえ⋯⋯」

 俺はゆっくりと立ち上がった。ひどい頭痛はするが、不思議と体は軽かった。

「あれ、何だこのシャツ」

 自分の姿を見下ろすと、家を出た時と服装が変わっていた。このシャツ、何と言うか⋯⋯

「だっさ⋯⋯」

実話。

舞台は秩父。

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