IV
どうせろくなことじゃないでしょ、と才華は呆れたように口走る。
江里口さんはそんな才華をじろりと睨みつけて牽制すると、ぼくだけを相手に話すかのように、自信満々で語りだした。
「犯人がわかったんだよ、部誌を盗んだ犯人が」
その宣言に、つい「嘘やろ?」と声を上げてしまった。さっきギブアップ宣言をして図書室を出ていったから。
「でも、犯人がわかったなら、どうしてここまで連れてきたんだい? 部員の先輩に伝えるべきだったんじゃないの?」
江里口さんは首を横に振る。
「知らせるわけにはいかないよ。だって、犯人は部員の中にいたんだから」
案外まともなことを言うね、と口を挟んだ才華を、江里口さんはまた睨み付けて制した。いまにも猫の如く喉の奥で唸りそうな彼女に、長身の彼女は「はいはい」と両手を上げて降参を示した。
才華と江里口さんの小競り合いに構っている場合ではない。江里口さんが「想像できた」ことは、ぼくには想像もつかなかった物騒なことだ。
「それで、どういうこと? 正直、ぼくには説明がないとさっぱりわからない」
怒りの形相はすぐに引っ込めて、犯人を確信するに至った経緯を語りはじめる。
「言った通りだよ。犯人はあの三人の部員の中にいる。それは、証言からして何となく思いつくはずだった」
「それってつまり、嘘の証言をした人がいるってこと?」
猫のような少女は頷いた。彼女の眼光が鋭くなる。
「もう少し具体的に言うと、嘘を吐いたせいで矛盾が生じた人がいるってこと」
矛盾? しかし、部員三人の証言は、それこそ証言と呼ぶのも相応しいのか正直わからないほど、曖昧なコメントにすぎなかった。犯人につながるほど決定的な矛盾があったら、ぼくでも気がつきそうなものだ。そんなことがあっただろうか?
「で、信用できないのは誰か。当然、棚橋先輩はシロ。眠っていたのはこの目で見たから。次に、古沢先輩も犯人ではない。だって電話をしたのが嘘だったなら、通話履歴があるなんて言えないはず」
「なるほど、つまり――阿南先輩が」
部誌を盗ったわけだね。
眼鏡の彼女も頷いた。
「そう、阿南先輩だけは矛盾したことを言っている。だって、どこにも買ってきたはずの飲み物がないじゃん。『買いに行った』のに、ペットボトルなり缶なりを持って帰ってきてないの? 食堂で飲んで捨ててきたなら、『飲んできた』って言うはずなのに。それは、古沢先輩と違って証拠がないってこと。まあ、そもそも友達と話していたってのが嘘くさいけど」
一息ついて、改めて言い直す。
「阿南先輩はたぶん、五月号を失くしたんだろうね。傑作といわれる一冊をどうしても手元に置いておきたくて、文芸部のストックを狙った。そのとき、古沢先輩が席を外して、棚橋先輩が居眠りするなんてチャンスがやってきた。だから、盗み出した――けれども、あとで自分が証言するときに、適当に『飲み物を買っていた』なんて言うから、証拠のない矛盾した状況を作っちゃったんだ」
そうだったのか――ぼくの口がそのように動きかけたそのとき、しばらく黙っていた天才少女が口を開いた。
「そんなおかしな話があるわけないよ」
欠伸にも似た気の抜けた声で、才華は江里口さんの推理を一刀両断した。
もちろん、本人が黙っていない。
「はあ? どこがおかしいっていうのよ」
しかし、抵抗虚しく、背の低い少女は背の高い少女に言葉責めにされる。
「どこって、どこもかしこも。あんたのほうこそ矛盾だらけ。もし阿南さんが部誌を狙っていたとして、偶然そのチャンスがやってきたっていうの? 部員なら、もっと楽に盗むチャンスが巡ってきそうなものだけど。部員が集合して、部誌を並べて、新入生も呼びこもうっていう日に実行するんじゃ、かえって失敗するリスクが高い。そもそも、図書室を最初に出ていったのは阿南さん。変だね――これじゃまるで、古沢さんに電話がかかってきて、棚橋さんが船を漕ぎだすことを予知していたみたい」
この説明に、頭の中の風通しが一気に良くなった。
言われてみれば確かにそうだ。江里口さんの説明には偶然の要素が多く含まれすぎていて、犯人としての阿南先輩が時系列通りに行動できていない。
阿南先輩は文芸部員なのだから、勧誘を行うきょうでなくても、活動のない日にこっそり部誌を盗む機会を作れるはずだ。それに、証言に怪しいところはあっても、古沢先輩や棚橋先輩の証言から、阿南先輩が図書室を出たことは間違いないわけで、だとすれば図書室にいない状況で、どうやって図書室から部誌を盗む好機の到来を察知するのだろうか。
打って変わって口を閉ざしてしまった江里口さんに対し、才華はまだまだ容赦しない。
「そもそも、状況から考える前に『環境』を考えに入れないから破綻するんだよ」
環境ってなんだよ、と江里口さんは口を尖らせる。
「ペットボトルが見当たらなくてもおかしなことではないってこと」才華はもう呆れ切っているようで、ため息交じりだ。「そういう環境にいるんだから、あるはずがないんだよ」
「ああ!」つい、ぼくは大きな声を出してしまった。「図書室だから! 飲食禁止の図書室なら、飲み物は持ちこんでいないはずだ」
才華は満足げに首肯した。
飲んだり食べたりすることがマナー違反の図書室なら、ペットボトルはそもそも持ちこまないか、鞄に入れておくだろう。ということは、矛盾の根拠として挙げたペットボトルの問題は、本来まったく役に立たないことだったのだ。
「はいはい、もうわかったから」江里口さんは顔を赤くして、才華による指摘を止めさせる。「自分の考えがあるなら、いい加減、ちゃんと順を追って話せよ」
これにはぼくも同意する。そろそろ真相が知りたい。
わかったよ、と才華は先刻の江里口さんの真似をして、両手を腰に置いて胸を張る。そのポーズはさっきよりも背が高くてスタイルも良く――明らかに江里口さんを挑発する仕草だった。
「環境からちゃんと考えないと。部誌の評判とか、証言の矛盾とか、そんなことはあとから考えたって遅くない。どこで、誰が、何をしているときに、部誌がどのように盗まれたのか、そこから整理しないと」
江里口さんの失敗を踏まえて、才華なりにわかりやすい順番で説明しているのだろう。
ただ、正直じれったい。少し我慢しよう。
「図書室に来る新入生は少ない。いや、むしろほとんどいない。わたしが図書室に行ったとき、ふたり生徒とすれ違ったけど、それ以外には江里口しかいなかった。それから結構長い時間過ごしても、新入生は来なかった」
そうでしょ? と江里口さんに確認。
そう、と江里口さんが返事するよりもワンテンポ早く、才華は話を再開してしまう。
「要するに、新入生が盗んだ可能性はかなり低い。部員が犯人とみるのは、早急ではあれ、自然な発想だろうね」才華は江里口さんの回答を待たなかったどころか、さらに挑発を重ねるような口ぶりだ。そして、今度はぼくのほうを向く。「じゃあ、次は弥。部誌ってどんな作りだった?」
突然の質問にぎょっとする。でも、部誌がどのようなものだったかはよく憶えている。受験勉強ばかりしていたから、大量の暗記や瞬時の記憶力には自信がある。
「ええと、B5版で、ホッチキスと製本テープで――」
「そう、ごく簡単な作りだった。業者が作るようなちゃんとしたものじゃない」
才華はぼくの応答さえも遮ってしまう。しかしその理屈は、ぼくや江里口さんの言葉を遮るだけあって、驚きをもたらしてくれる。
「ということは、解体も容易い」
解体?
バラバラにするということ?
「まずテープを剥がす。次に、ホッチキスの針を外す。シャーペンの先なりヘアピンなりを突っこめば、てこの原理で外せるからね。テープと針くらい、制服のポケットに入れれば隠せる。紙の束だって難しくはない」
才華はパントマイムのように部誌の解体を手で示しながらそう語った。
なるほど、部誌そのものは隠しにくいかもしれないけれど、紙とテープと針にまで分解すればマシになるだろう。隠し方も変わるだろうから、見つかりにくくもなる。
とはいえ、そう都合がいいとも思えない。
「でも、バラバラの部誌を隠すのがそんなに簡単かな? 部員全員が小説を書くんだし、それなりに厚さがあるんだよ? それに、部員の三人はお互いに荷物を調べ合ったと言っていたじゃないか。どこにどうやって隠すっていうんだい?」
天才少女は首を横に振る。
「簡単な話だよ、そのくらい。だって、勧誘ブースは紙を隠すのにうってつけ。一〇分も時間があるんだよ?」
紙を隠すのに適している?
どういうこと?
「木を隠すなら森の中――陳腐な作戦だね。あそこには、文芸部の活動をまとめたファイルが山ほどあった」
「そうか! ファイルに少しずつ分けて入れたのか!」
部誌の行方に気がついた江里口さんに、才華は「よくわかったじゃん」とにやり。
「印刷する原本やボツがいっぱい入ったファイルの中に、バラバラに五月号のページが入っていたって、そう簡単にはわからない。普通モノを失くしたからって、ファイルのポケットを詳しく調べはしないでしょ? 部誌が一冊入っていたらすぐわかるはずだしね。これって、カモフラージュとしては最適ってことじゃない?」
ここまでくれば、犯人は自ずと絞られる。だって、部誌を解体しファイルに入れる作業は、通り魔やスリのようにさっとできることではない。かといってその犯行は五月号を完璧に始末するわけではなく、その場しのぎでしかないから、偶然訪れたチャンスに衝動的に行われたといえる。他方、半端にしておけるということは、犯人はファイルに隠したそれを後々処分できる立場に違いない。一時的な勧誘ブースでの作業には、一〇分あれば充分だろう。ただし、五月号のすぐ傍に座っていたいところだ。
才華は長々と犯人を明かすことを勿体ぶったけれど、ぼくと江里口さんも、もはや口にしてもらわなくても誰のことかわかっていた。
だから、最後に明かすべきはひとつ。
「じゃあ、動機は?」と江里口さん。
「もちろん考えたよ」と才華。
そのとき、廊下の窓が春風に震えた。桜の花びらが窓からの景色をピンク色に染め、時が一瞬止まったかに感じられた。それを背に語る才華の言葉もまた、ぼくの身体の奥底にゆっくりと響いた。
「駄作だったから。駄作を過大評価されたから。イラストなら自信があるし、文芸部にはそれを目当てに入部したけれど、五月号では決まりで小説を書かなきゃならなかった。九月号の小説を読めば明らかだったけど、下手くそだね。それ以外にはほとんど小説を書いていなかったから、おそらく自分でもわかっている。でも、去年の五月号は運悪く傑作揃いだった。傑作の中で、自作だけ際立ってレベルが低い。それなのに讃えられるのは『五月号』であり、自分の小説が含まれている。自分でも嫌いな失敗作を、傑作と過大評価されている。その恥ずかしさに耐えられず、なかったことにしたかった」
彼女にとって、五月号に収録された短編は「秀作」ではなく「習作」だった。
ぼくは少し読み違えていたらしい。『本番前』という作品に描かれていた主人公は、ぼくと反対の立場にあったのではない。同じ立場にあったのだ。
主人公の少女は、自信のない自分の演奏を褒められて戸惑っていた。けれど、友達に励まされて自信を取り戻す。ぼくはこれを、他者の評価のおかげで前向きになれるというメッセージだと受け取っていた。その解釈なら、他者の評価に踊らされたぼくとは対照的な少女の物語だ。でも、真のメッセージはそうではない。
あの作品は、大恥をかいた五月号以来二度目に描いた小説だ。
あの作品に込められた感情は、五月号の屈辱そのものだったのだ。
物語が演奏会当日を迎えずに終わるのは、その先に待っている「それ」を、あえて伏せることでむしろインパクトを持たせて伝えようとしたからではないか。それか、部員にだけ伝わるよう工夫した形とも考えられる。
残念ながら、表現や文章の力量不足のため、うまく伝えられなかったのだけれど。
きっと、主人公の女の子には、ぼくと同じ末路が待っている。
「部誌を盗んだ――いや、眠っていたと嘘を吐いて、壊して、隠したのは、棚橋さん」
才華の背中では、まだ桜色が舞っていた。
桜の花は好きだ。羨ましい。なぜなら、花を咲かせているときはもちろん、散っているときでさえも美しいから。比べてぼくはどうだろう。花を咲かせる前から、暴風にさらされて散ろうとしている。
いずれ、ぼくも棚橋さん、そして『本番前』の少女と同じ思いに苦しむことだろう。才気溢れる周囲の人々の中で、自分だけが頼りなく劣っている。ぼくの場合、すぐ傍に才華という「本物」がいる。「偽物」のぼくは、天保高校の天才たちの中で劣等感とうまく付き合っていかなければならない。
才華が真相を導く過程に立ち会うことにぼくが喜びを覚えるのは、ぼくが「偽物」であることと無関係ではないはずだ。そもそも、才華との出会いはぼくが受験に失敗していなかったらありえなかった。
棚橋先輩も『本番前』では創作活動としてとても意欲的な挑戦をした。その挑戦自体は、彼女の自己評価以上に高く評価されて然るべきと思うけれど――果たしてこれも過大評価だろうか。
「悪いことばかりでもないのにね」
ぼくの独り言に、才華と江里口さんが首を傾いだ。