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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.13 ゆうしゅう
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IV

「お、餅も入れるん? 昔から食べてるのんと一緒やね」

 秦野家、すなわちぼくたちの生活する下宿は、いつになく混雑していた。

 玄関には信じられない数の靴が並び、テーブルの上にはたくさんのコップと皿が準備されている。普段なら三人しかいない家の中には、主役をひとり欠いていてなお七人が集まった。いつもは広々と快適なリビングも、きょうはステップを踏んで身を翻しながらでないと移動できない。

「うん、お正月に買った余りだって。それより麗、見ていないで働いてくれよ。大阪代表として手伝ってもらうよ」

「ええ、どうして? ゲストやろ?」

 茶髪の幼馴染は、八重歯になった鋭い犬歯を覗かせながら、総指揮のぼくに歯向かった。

「確かに麗もお客さんかも知れへんけど、主役ちゃうで。主役は才華や」

 むくれて抗議する麗には、調理を始められるように準備してほしいと頼んでおく。

 大阪の幼馴染は、東京に戻るぼくに「冬休みの旅行」と言ってついてきていた。もともと東京訪問を考えていたところ、ぼくが才華の誕生日を祝うことを話したものだから、興味を持ってしまったのだろう。二泊三日の旅程を、ぼくの知らないうちに両親や秦野のおばさんに根回しして許可をもらっていたあたり、彼女の手際の良さは侮れない。

 しかし、幼馴染に命令するだけでは現場監督は務まらない。キッチンにも顔を出す。

「久米くん、材料は切り終えました。どうですか?」

 秦野家のキッチンには、将棋部の部長が立っていた。姫川先輩もぼくの招きを快諾してくれて、面倒な準備まで手伝ってくれていた。礼を言って、刻んでくれた食材の入ったボウルを覗きこむ。

「ああ、やっぱりこれでは足りないでしょうね。買い足しに行ってもらって正解でした」

 そうですか、と先輩は意外そうな顔をする。確かに、材料は充分、もしくは多すぎると感じるのが常識的だ。粉物だし、今回は餅まで生地に混ぜるのだから。でも、麗の胃袋を甘く見てはいけない。彼女が来ると知っていれば、おばさんに事前の準備をお願いする材料を倍に増やしておいてもよかったくらいだ。

「ちょっと、弥くんこそ働いているの? 指図ばかりしているんじゃない?」

 キッチンからは、ペットボトルを抱えた蓮田さんが現れる。ぼくは才華の誕生日会に呼ぶ約束を守って、冷たく当たられることを承知で彼女も招いていた。いや、約束をしていなくても、彼女なしのパーティは考えていなかったかもしれない。

「もちろん働いているよ。ホットプレートはちゃんと準備したんだから。もう始められるように、火をつけて温めてあるよ」

 テーブルの中央には、にぎやかに並ぶ食器や食材、ドリンクを押しのけて、ホットプレートが座っていた。友人たちを招いて開く盛大なお好み焼きパーティが、誕生日の才華を迎えるのだ。

 蓮田さんにホットプレートを指し示すと、麗がその上に手をかざしていた。

「電気入れ忘れてるから、入れなおしたわ」

「あ、ごめん……忘れてたん?」

 背後は振り返らないことにする。蓮田さんと姫川先輩がどんな顔をしているかわからないから。

 そこにちょうど、助け舟の如く玄関のドアが開かれる。予定の時間より早いから才華が帰ってきたのではない、食材の買い足しに出かけた三人が戻ってきたのだ。

「ただお好み焼きをたくさん作るのも芸がないから、焼きそばも買ってきた」江里口さんがマフラーを外しながら報告する。

「予め用意した材料で足りないなんて、お前の大阪の同級生はどれだけ食うんだ?」平馬は不思議がるようでも、呆れるようでもある。

 ふたりはいっぱいになったビニール袋をひとつずつ手にしていた。買い物のセンスが良い、焼きそばならモダン焼きもできるし、大食いを満足させることもできるだろう。

「それにしても、そんなに買い足してくるとは思わなかった」

「おばさんが来週ぶんの買い物もしておいたんだって」

「あ、なるほど。ごめん、荷物持ちにさせちゃったみたいだね」

 重い荷物の高校生の傍で、手ぶらの秦野のおばさんが「助かった」と悪びれず笑う。高校生ふたりを下宿させているだけあって、扱いに慣れているし、それどころかちゃっかり利用してしまう。ぼくや才華の友人たちなど、客人とも思っていないのだろう――これ以上ないもてなしである。

 三人が買い物から戻ったので、暖まったリビングには人がごった返す。下宿でのぼくと才華の同居を知らない蓮田さんや姫川先輩を招くにはちょっとばかり勇気が要ったけれど、楽しいパーティになると思えばワクワクが勝った。

 大げさな誕生日会なのかもしれないけれど、それだけぼくは、尊敬する天才少女を祝福したかった。彼女がぼくのような凡才にお願いしてきたのだから、それに応じないわけがない。

 上京したころには思ってもみなかった――こんな日が来るなんて。

「さて、買ってきたぶんはあとで調理しましょうか。余るぶんにはうちの冷蔵庫に入るだけだから」

 おばさんが手を叩いた。ぼくにはわかる、これは彼女が面白いことを思いついて提案するときの仕草だ。

「となれば、あとは才華ちゃんが来るのを待つだけね。そのあいだに、弥くんに教えてもらいましょうよ。どうして才華ちゃんの欲しいものがお好み焼きだとわかったのか」

 一二の瞳がぼくに向けられる。集まる視線はくすぐったくて、一方ではちょっとだけ誇らしい。滅多に味わえないこの快感を、才華はときに独り占めにしていたなんてズルいではないか。

 恰好つけた咳払いをひとつ。それから胸を張って、天才少女がそうするのと同じように、ちょっと勿体ぶって語った。



 才華の出題した暗号は、暗号を解く鍵がわからないという前に、そもそも暗号化されたキーワードを抜きだすところから始めなくてはならない。あの問題は、暗号化された部分を発見することが最初のタスクになっていて、それゆえ鍵はあらかじめ示されていた――ただし、ここが才華の問題のいやらしい点で、その鍵も隠されている。姫川先輩が「鍵も暗号化されている」と直感したのは、このためだ。

 その証拠に、彼女がぼくにくれたヒントの一文が「解読すべき暗号と鍵」の存在を示す。言葉尻を捕らえるなら「暗号の鍵」ではなく「暗号と鍵」であることから、暗号そのものと解読用の鍵とが両方とも文中に隠されていて、それを探すようぼくに指示していたとわかる。

 とにかく、最初のタスクを解決しなければならない。それが「文章の頭から読」むことだ。江里口さんが提案してくれたように、暗号の問題らしく、各文の一文字めを取りだしてみるのがいいだろう。


 く、え、お、し、ま、ゆ


 平馬は無意味なこの文字列を解読にはつながらないものとして切り捨てようとしたけれど、ぼくはこれが探すべき第一、暗号の本体であると考える。これを復号する手続きを踏んで初めて、才華のリクエストが明らかになる。

 というのも、シーザー暗号で綴りを変更する示唆と、その鍵が示されていたからだ。平馬の言ってくれたように、シーザー暗号を用いることは、文中にやや強引に登場したカエサルが示唆しているのだろう。そして、文の頭を読むことで取りだされるもうひとつの文字列が、探していた「鍵」であり、その鍵の形からシーザー暗号で「くえおしまゆ」の文字列を解読する手続きの必要を教えてくれていた。

 では、その鍵をどう取りだしたのか?

 文字通り文の頭を読む――つまり本文の最初を読むのだ。

 これこそがおそらく、ぼくにしか気づけないヒントである。

 才華はぼくを呼ぶとき、「くん」を付けないのだ。手紙だからそういうものだと才華も書いているからといって、捨て置いてはいけない。むしろ、才華はそう書くことによって、ぼくに強烈な違和感を抱いてほしかったのだ。

 つまり、文中の「くん」に注目しなければならないのだ。ただし、ぼくの呼び方ではない。もうひとつ、注目すべき「くん」がある。

 漢字の「訓」である。

 文章は奇妙なほどに平仮名を多用していた。よくよく考えてみると、平仮名にされている多くは、漢字で書くほうが自然な、平易な訓読みの箇所なのだ。「かきます」「ちがう」「つたえて」「わすれない」などは、漢字で書かないと幼稚な印象を与えがちである。

 その代わりに、漢字が訓読みで書かれた部分もないわけではない。数か所だけ存在するそれらをピックアップすることで、シーザー暗号の鍵が発見される。


 色んなことに好奇心を……色「いろ」

 場所がちがうだけなのに……場「ば」これは便宜上「は」だろう。

 一月にわたしの……一「いち」


「いろは、いち」と分けてみれば、これがシーザー暗号の鍵とわかる! 文の頭を読んで導いた暗号文「くえおしまゆ」について、同じく文の頭を読んで導いた鍵の通り「いろは」順に、「一」だけ文字をずらせばいいのだ。


 いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ つねならむ

 うゐの「お」「く」や「ま」 けふこ「え」て

 あさき「ゆ」めみ「し」 ゑひもせす


 要するに、「く」から一文字進めるなら「や」、一文字戻るなら「お」が復号される。

 一文字をずらす向きが進む方向か戻る方向かは示されていないけれど、そう大変な作業ではない。進めてみたならば、「やてくゑけめ」なる意味不明な文字列になってしまうので、失敗。では、戻ってみればどうか。こうすれば、はっきりと六文字で、彼女の希望するプレゼントが浮かびあがる。

 すなわち。


 おこのみやき



 語り終えたリビングは、どうしてか静まり返っていた。

 ぼくに感心して拍手喝采で称えてくれるものと思っていたのに、拍子抜けだ。表情を見るに、感動のあまり言葉を失っているという様子でもない。呆れ、嘲る雰囲気が漂っている。

 どうして黙っているのかと問えば、聴衆たちは口々に痛烈な意見を述べはじめた。

「聞いてみれば、難解ということもなかったな」と平馬。

「イチャイチャしているのを見せられただけかよ」と江里口さん。

「手紙を読んでいれば、私にも解読できたでしょう」と姫川先輩。

「才華さんのそういう話、あまり知りたくなかったかも」と蓮田さん。

「二ツ木家のお好み焼きは今後一切禁止やね」と麗。

 天才たちの感想には容赦がない。

「ああ、そうかい! そうさ、ぼくは天才でも何でもないさ! 甜菜のように甘っちょろい、自惚れのお人好しさ!」

 居にくくなったぼくは、演技めかして捨て台詞を吐いてから、そのときちょうど鳴らされたインターホンに応えるため玄関に向かった。どうしよう、頬が緩んで戻らない。いくら嬉しいからといってニヤニヤして出迎えたら気持ち悪いよね。

 無理やりに笑顔を引っ込めて、ドアノブを引く。するとそこには、想像していたよりもちょっとばかり背の低い女の子が待っていた。

「…………こんにちは、久米くん」

「舞華ちゃん?」

 家入は家入でも妹のほうが顔を見せた。手荷物は大きくて、どうやら一泊くらいはしていく様子と見える。

「……おばちゃん、また話していなかった?」

「どうやらそうみたいだね。びっくりするから事前に教えてほしいよ」

 まあ、パーティが賑やかになると思えばいいか。

 才華はどうしたのかと尋ねると、舞華ちゃんは後ろを振り返る。探すまでもなかった、すぐ近くで郵便受けから郵便物を取りだしている。山ほど入ったそれを小脇に抱えて振り返った彼女は、ぼくを認めると柔らかく微笑んだ。

 せっかくの再会に生活感溢れるチラシを持ちこむだなんて、やはり才華はロマンチックな感性を欠いている。でも、そういう「気にしない」ところが彼女の個性であり、テンサイ的な資質の一部を成しているのだ。

「かわいい」とも「綺麗」とも褒められる顔立ちは、目、眉、鼻筋、唇、どのパーツを見ても美人のそれが揃い、しかも喧嘩せず豊かな表情を作り出す。ウェーブのかかったセミロングの髪は、家入才華という人を表現しているかのように輝く。ぼくより背が高くてスタイル抜群、向き合うと交わる視線から自信と才気が感じられて、天は二物を作ると嘆きたくなってしまう。

 話してみればあらゆる知識を持った頭脳が冴えわたり、見えていなかった事実を次々と言い当ててしまう。ひとたび好奇心を発揮すれば、知りたいことを知り尽くすまでノンストップ。この子を相手にしては、隠し事だってできやしない。推理力と行動力を兼ね備えた彼女は、心の中に違う宇宙を持っているのかとさえ思わせる。

 それだけの容姿と才能がありながら、接していて気の引けることなどありえない。彼女は、ひとつも繕ったところを持っていないからだ。ユニークで親しみの持てる人柄を、誰もが好きにならずにはいられない。

「久しぶり、弥」

「家に帰るとき最初に言うのは?」

「ただいま」

「おかえり、才華。久しぶりだね」

 彼女は視線を落とすと、それからぼくの姿を下から上へと舐めるように見回した。にっと口角を吊り上げて腕を組み、なるほどね、と呟く。

「捲った袖や濡れたTシャツは、野菜の下準備をした証。袖に付いた粉も見える、これも下準備のときに付いたものだね。ズボンの所々に、物置に入って大きなものを取りだしたことを示す埃。玄関に揃うこれだけの靴は、大勢で食卓を囲うことを予想させる。見たところ、どれも高校生くらいの人の持ち物みたいだね。朝子おばちゃんの靴が外に近い位置にあるのは、来客があってからおばちゃんが外出していたということだから、食材を買い足しに出かけていたとみて間違いない。食材を不足させるほどの人といえば、弥の話でしか知らないあの人も遠路はるばる来ているのかな? 下宿に人を招いたということは、この人たちには同居をぶっちゃけたみたいだけれど、まあ、それは気にしないからいいとして……」

 ぱっと花が開いたように、相好を崩した。

「これだけ証拠があればわかる。暗号は解読されて、わたしのリクエストが通ったみたいだね。どうやって解いたの?」

 その言葉に、ぼくは人生最大級の見栄を張って言い返した。


「そんなの、簡単な話だよ」





【おまけ】活動報告での次週予告集


連載前予告

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第2週

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第3週

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第4週

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第5週

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第6週

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第7週

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第8週

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第9週

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第10週

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第11週

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第12週

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第13週

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完結報告

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番外

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