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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.12 かいちょう
56/64

I

 グリップの感触を確かめ、土を均して足元を固める。

 金属バットは想像していたよりもずっと重たかった。最初はこんなものでボールを打ち返せるのかと心配したけれど、構えてみると興が乗って、スイングしてみれば案外軽く感じられた。

 ソフトボールの心得はないから、打ち方も投げ方も見様見真似だ。それでも野球なら飽きるほどに見て知っている。大阪仕込みの根っからのタイガーズファンでいままでやってきた。優勝を逃したショックは未だ拭いきれないのが正直なところだけれど、バットを握れば血が騒ぎだす。

 緊張をほぐすべく目を閉じて息を吐き、再現する構えは虎の四番打者。今年不動の四番の怪我でその座を譲り受けた彼は、三割一〇〇打点の好記録で立派に重責を務め上げた。スタンドまで打球を飛ばす彼のようなパワーはぼくにないけれど、ひと振りにかける熱き想いにあやかることならできる。

 一年B組は今大会ソフトボール部門のダークホース。野球部や経験者を多く配し、一年生男子が出場するもう一方の競技のバスケットボールを捨て、ソフトボールで勝ちに行く采配だ。この試合でも、初回で九番打者のぼくに打順が回る、一イニング五得点の猛攻を見せている。まるでリーグ最強の攻撃陣を誇ったタイガーズのようだ。

 ワンアウト、ランナー一、三塁。まさに虎の四番にあやかるにはこれ以上ない場面だ。

 高くバットを上段に構え、足は大きく開く。

「猛虎魂、見せたるで!」

 初球、相手の投じるボールがど真ん中に来た。

 ぼくはそれを見逃さず、力いっぱいに振りぬく!

 打球は鋭いゴロで一二塁間へ転がり――二塁手の真正面。

「あ、あかん!」

 瞬く間にスリーアウト、攻守交代となる。悪癖のダブルプレーまで虎の主砲にあやかるつもりはなかったのに。



 一一月の祝日の前日は、天保高校では球技大会と決まっている。雨が心配されていたけれど、何とか持ちこたえてくれた。生徒たちは制服の代わりにジャージ姿でグラウンドに飛びだし、それぞれがエントリーした競技でプレーしている。

「平馬、いまの試合で三振が八回目だ。三振王のタイトルは確実だね」

「久米こそ併殺がもう四回目、打席より多くアウトを献上しているんじゃないか? どんなベテランでも普通なら二軍送りだ」

 運動で目立つところのない八番レフトの平馬と、九番サードのぼくは、試合の主役とは無縁のところで打撃成績を競って遊んでいる。どんぐりの背比べというもので、ワースト記録を争っているのにも近い。笑いを提供した回数で言えばトップに立てそうなものだけれど。

 午前最後の試合をB組は一四対三で勝利し、全勝で昼休みを迎えていた。試合は順調に消化されているとのことで、ソフトボールを含めたいくつかの競技について、午後には学年を跨いで最多勝利チームが争うエキシビションマッチが行われると、校内放送が報せている。B組は学年首位が決まっているから、二年生のどこかのクラスと対戦することになるらしい。

 昇降口は人がごった返し、ぞろぞろと食堂に向かっていた。腹が減っては戦はできぬ。

 でも。

「ごめん、平馬。ぼく、このあと行くところがあるねん」

「は? 昼飯は?」

「ええと、食べれるかわからん」

 いいのかよ、と背中に声をかけられるのを感じながら、ぼくは校舎を奥まで進んだ。

 明かりが消されて人影もない廊下を、制服ではなくジャージを着て歩く。文化祭とはまた違った、普段ならざる校内の状況に、きょうが特別な日であると感じられた。ちょっとした違和感が心細い。

 高等部校舎の突き当り。そこに生徒会室がある。

「才華は……まだ来ていないのか」

 携帯電話を開く。才華からのメールはない。やはりぼくが先に着いていたようだ。

 深呼吸。

 このあと、ぼくと才華は生徒会室に侵入する手はずになっている。球技大会の運営で留守になっている部屋から、生徒会長森崎博士の深謀の証拠を掴むことが目的だ。推理で導いた真実を引っ提げて闘ったところで敵わない相手だと見せつけられてしまったから、強引な手でもやむを得ない、物的証拠を押さえてしまおうという作戦である。

 演劇部の部室で森崎先輩と足立先輩に対峙した才華を諫めたぼくとしては、この強硬手段にも反対すべきだったのだろう。証拠を掴めるという保証はどこにもないし、もし侵入しているところを見つかったり、部屋にある大切なものを紛失したりしたら、それこそぼくたちに大義はない。嘘も真実も関係なくなって、誰もぼくたちの話を聞いてくれなくなるだろう。

 それでも賛同して協力することになったのは、やはり、姫川先輩の話を聞いて才華の言うことを信じたくなったからだ。才華の狙い通り、決定的な証拠が見つかってくれるのではないかと、ぼくも期待している。

 姫川先輩に話を聞いたあと、才華の体調が戻る頃合いに、ぼくは自分の持てる限りの誠実さで以て彼女に謝罪した。才華の考えに耳を傾けず、信じようとしなかったこと。そのくせ傲慢にも、自分は正しいという態度で接してしまったこと。そして、先輩の話を聞いてようやく才華が正しいと思い、遅すぎる謝罪をする気になったこと。風邪で寝こんでいるからと謝ることを先送りにして、遅きに失したかと思えば、彼女の反応はぼくの予想を超えていた。

「うん」

 たった一言で、ぼくは許された。

 それでも、「気にしない」とは口にしなかったあたり、申し訳なく感じている。

 高熱から回復した才華は、再び森崎先輩と足立先輩の「嘘」を見抜くための調査をはじめた。リスクを負ってでも今度こそ証拠を掴むと覚悟を決めて、三週間。球技大会は待ちに待った侵入のチャンスだった。

 正直、ぼくもちょっとばかりワクワクしている。

 廊下の反対側から、足音を抑えながらも急ぐ足取りで才華がやってきた。学年カラーの赤色のラインが入った紺色のジャージは、ダサいと言われて評判が悪いものの、彼女が着ていると覆されそうになる。長身の彼女を一層すらっと見せるのは、運動神経に優れる彼女だからこそなのか。

「さっきの試合、スパイクを何本も決めているを見たよ。すごかったなぁ」

「ありがと、でもそれはいいから」

 ぼくのちょっかいに困った顔で笑って、額に滲んでいた汗を拭った。

「さっさと入って済ませよう。施錠はされていないでしょ?」

「うん、開いているよ。才華が予想した通りだ」

 生徒会室が無人であることは、高等部全生徒に配布された球技大会のタイムテーブルから明らかだった。そこには生徒会や実行委員のスケジュールまで併記されていて、昼休みの時間は午後の運営に向けてミーティングしていることがわかっていた。

 部屋の扉を開けると、まず中央の大きな長机が目につく。普段役員たちが囲んで座って会議をしているのだろう、テーブルの上には様々な書類が重なっている。部屋の左手に並ぶ棚にも、紙の束が溢れんばかりだ。反対側には行事の予定が書きこめる黒板が備えつけてあり、チョークも一式揃えられている。高等部の中枢というだけあって、充実した設備だ。

 しかし、才華は部屋を見回すこともせず、傍にあったパソコンに飛びついた。彼女が探すのは、森崎先輩が計画に関して残した文書ファイル。彼のボランティアプロジェクト復興計画は数年がかりで、しかも費用の計算をも含むから、全体像としてのロードマップや今後提出する企画書などがあると睨んでいた。

 USBメモリを使ってデータを盗み出そうとする才華を、ぼくは室外の見張りでサポートする。走ったわけでもないのに息が上がるようだった。

「やっぱり。パスワードがかけられている」

 才華の手が止まった。しかし、そこで諦める彼女ではない。

「弥、そこの黒板の引き出しを見て」

「え、そんなところを?」

 言われた通り、黒板のアルミのフレームに付属しているケースを確認する。すると、そこには小さなメモ用紙が半分に折られて置かれていた。

「これ、パスワードじゃないか! どうしてここにあると?」

 ぼくから紙を受け取り、その文字列を入力しながら答える。

「その箱の使い道といえばチョークの収納。それなのに、チョークはすべて粉受けの上に置かれていて、箱は綺麗だった。何か別のものを保存していると思ったの」

 なるほど、役員共用のパソコンにパスワードをかけたなら、誰にでもわかるところにそれを残しておかなければならない。黒板のそこは、忘れずに保管できるおあつらえ向きの場所だったのだ。

 才華はファイルやフォルダを検索してみたが、検索ワードが上手く設定できずなかなか見つけられない。何度か試してから、方法を変えてみる。デスクトップのフォルダからそれらしいものをひとつひとつ探しはじめた。

 集中する彼女を横目に、廊下を見回す。誰も来ていない。昇降口の方向からもあまり声が聞こえなくなったから、ほとんどの生徒が食事中で一階ラウンジに用事がなくなったのだろう。これなら才華も充分な時間を確保できる。

 五分? 一〇分? どれくらいファイルを探していただろうか、と時計を確認しようと周囲を見回したときだった。

「廊下だけ守って、見張ったつもりなるようでは甘い」

 窓が開く音とともに、女子生徒の声。

 まずい、こんなに早く見つかるなんて――足立先輩だ!

 彼女は身軽に窓を乗り越え、わざとらしい「よいしょ」の掛け声で生徒会室に入ってきた。サイドテールが揺れ、腰に巻いたジャージが舞う。白いTシャツ姿の彼女もまた、試合で活躍していたと想像される。この大会でもリーダー格として先頭に立っているに違いない。そうでなければ、これほど恰好つけた身なりはできない。

「もちろん森崎も来ているよ」

「参ったな、鍵をかけておくべきだった」

 これまたわざとらしい台詞とともに、生徒会長が姿を見せる。こちらは堂々と部屋のドアから。ぼくが足立先輩に気を取られ、背後の彼の気配には気がつかなかった。

 あまりにも早すぎる真打登場だ。

「バレずに終わらせるのは難しかったか」――才華は手を止めて悔しがる。

「会議は大半終わっていたからな」森崎会長はどこかこちらを見下したふうだ。

 そういえば、昼休みに入ったときには午後のエキシビションマッチについて放送されていた。つまり、その時点で午後のミーティングの議題は消化できていたということだ。ぼくがちゃんと気がついていれば、もっと警戒できたのに。

 ふたりの二年生に、部屋の右隅へと追いこまれる。

 しかし、屈してはいけない。これから問い詰められるのは、ぼくたちではなく先輩たちのほうなのだから。気持ちで負けたら、また「嘘」に呑みこまれてしまう。

 才華は、ふうっと息を吐く。一度リラックスすると、そこからだんだんと気持ちを昂らせていき、鋭い視線で敵意をあらわにしていく。

「企画書のデータは押さえました。ふたりが生徒会室に入って盗みをしたと言ったとしても、わたしはふたりの嘘を明かすことができます。相打ちですよ」

 ふん、と森崎会長は鼻で笑う。

「キミたちの意見に従う人間は少ないと思うぞ? そのデータだって、ただの企画書でしかない。生徒会が作っても何もおかしなところはないものだ。それを持ちだして、僕たちが何をしたと言える?」

 詰るような口調。もちろんこれくらいでは怯まない。真実は手中にあると信じるぼくたちにしてみれば、考えようによっては、彼のこの態度も虚勢ということだ。嘘を打ち破る理論武装はできている。

 天才少女の口角がにやりと吊り上がった。

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