表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.11 しんぼう
54/64

IV

「演劇部員、初日だけで一五人が辞めてしまったようですね」

 月曜日の放課後は、姫川先輩の胸を借りて将棋を指せる楽しみな時間だ。きょうは火曜日なので通常なら休みだったが、前日が祝日で休みだったから代替の活動日だった。

 世間話をしつつ、愚痴を漏らしつつ、彼女の魔法瓶から漂う紅茶の香りを嗅ぎつつ、持てる頭脳のすべてを尽くして刃を交える。駒は五月の紛失騒動に伴って申請した部費で買いなおした、ピカピカの駒である。

 きょうの話題は足立先輩が新部活を立ち上げたその後について。世捨て人と言うと言いすぎだが、趣味に生きる彼女でも天保高校のスターが起こした大騒動には、無関心でいられなかったようだ。

「部員の四分の一が退部……部員が六〇人を超える大所帯でしたが、このままではいつか新しい部に取って代わられてしまうでしょう」

 いいや、違う。彼女は普段、校内の噂話に興味がない。足立先輩の話をしたいのではなくて、ぼくに話題を合わせようとしてくれているのだ。ぼくが盤面の展開に頭を痛め、言葉を発せないでいるのを気遣っている。

 その気遣いに答えて、ぼくは強気の一手に出た。先刻角と交換した飛車を、相手陣内の奥深くに打ちこむ。この飛が龍となり、どれほどの働きを見せるかで勝敗は明らかになるだろう。

 先輩は持ち駒で対応しようと駒台に手を伸ばしかけるが、やめた。大きく息を吐いて、その手を膝の上に運ぶ。

「……私が気を遣っていることには気がつきましたか。でも、この対局はもう長く続きません。きょうの久米くんは攻めすぎです。二学期になってから良い勝負が増えてきたと思っていましたが、これでは負け筋を喜んで突き進んでいるのと変わりませんね」

 無理に指していることは自覚していた。飛車を打ったのも、それでぼくが攻撃の手を指し続けていれば、先輩の攻め手を止めて延命できるというだけ。自陣はすでに壁を剥がされて、まもなく敗走を始めるところだった。

 守りを捨てて夢中で攻めるなんて、麗と将棋を指していたころではあるまいに。

「そうですね、投了します。ちょっと気分がおかしいみたいで」

「……帰りますか? それとも?」

 冷淡なようだけれど、ぼくには嬉しい問いかけだった。

「相談させてもらってもいいですか?」

「もちろん。私でも役に立てるのなら」

 深呼吸してから、事の顛末を語った。

 話の最初は文化祭当日、金券の騒動に出会ったところから、土曜日のことまで順を追って伝えた。どういう経緯でぼくたちが関与することになったのか。どういう証拠で以て、金券偽造が行われていると森崎先輩が指摘したのか。どういう反証を持ちだして、才華が騒動の収束を覆そうとしたのか。どういうことを言って、ぼくが才華を咎めたのか。

 才華のことは何度か姫川先輩に話したが、ぼくが思う彼女の人格をわかってほしくて、彼女の言行はとにかく仔細に伝えようと試みた。二週間以上もの出来事を振り返っている割には、誰が何を言ったのかがすらすらと克明に思い出される。頭の中で早送りに同じことが再生されているかのようだった。

 気がつけば、ぼくの説明だけで三〇分以上は話し続けていた。

「疲れたでしょう。飲みますか?」ぼくの長い語りにほとんど口を挟まなかった姫川先輩は、紅茶の香る水筒を差し出した。「コップに注ぐタイプなので私は口を付けていません。注ぎ口から飲んでもらって大丈夫ですから」

 お言葉に甘えて水筒を受け取り、喉を潤した。そうして喉に水が通るとちくりと痛み、喋り疲れていたことに気がつく。興奮せずにこの話をすることはまだできないようだ。

 落ち着いたかと問われ、ぼくは頷いた。

「その件なら、私から話すべきことが数多あると言えるでしょう。森崎とは、不本意ながら長い付き合いがありますから」

「そうなんですか?」

「久米くんは高校から天保なので、知らなくても無理はないですね。私と森崎は初等部から天保に入学した同級生で、中等部ではともに生徒会役員を務めていました」

「先輩が生徒会!」

 初耳だった。

 でも、考えてみれば合点がいく。成績優秀で品行方正な彼女には然るべきポストである。天保をリードする森崎先輩が役員なら、それに続く姫川先輩にもその資質は充分にあるといえる。現在彼女が趣味の時間を謳歌しているのも、ひょっとすると、中等部時代生徒会活動に費やしていた時間が高等部に進級してからなくなって、趣味に充てられるようになったからなのかもしれない。

 ただ、彼女の発言に含まれた棘も感じられる。彼女は以前「森崎くん」と呼んでいたのに、いまの文脈では彼を呼び捨てをしているのだ。「不本意ながら」という言葉も強調されていた。

「証拠というわけではありませんが、話しやすくするために見せたいものがあります。図書室にあるはずなので、彼にお願いしてみましょう」

 そう言って鞄から取り出した携帯電話を開くと、メールを飛ばした。誰に送ったのだろう?

 用済みになったケータイをまた仕舞うと、彼女は背筋を伸ばし、眼鏡の奥の怜悧な瞳を鋭くして話を再開した。

「初等部のころは互いにあまり関心がなかったので、会話をする時間もそれほどありませんでした。彼に対する私の評価が定まってくるのは、生徒会で一緒に活動するようになってからです」

「評価とは?」

「私の認識では、森崎は平気で嘘を吐ける人間です」

 嘘――才華も言っていたことだ。

 とはいえ、選挙によって生徒会長に選ばれるような人だ。そうやって人前に立つ彼が嘘吐きであるとは信じがたい。彼の立場は、周囲の人からの信任があってこそのもの。嘘を言う人間がそれほどの信頼を得られるだろうか。

「彼は自分が良く評価されるように行動します。本当にそうであるかは横に置いて、結果として周囲からそう思われればいいのです。生徒会役員として間近で彼の働きぶりを見れば、一目瞭然でした。彼は決して良い人間ではなく、良い人間に見えるように動いたり、ものを言ったりしているだけだと。私が高校で役員を辞めたのは、彼と反りが合わなかったからです」

「はあ……」

 先輩らしからぬ過激な主張にぼくは面食らっていた。そんな曖昧なリアクションを見て、ふふ、と先輩はいつもの調子で笑う。

「私の主観的意見ですから、信じられないならそれでも結構です。久米くんに納得してもらうには、そう、私の立場を明確にしておいたほうがいいですね。私は、家入さんの行き過ぎた言動を止めた久米くんに反対するわけではありませんが、森崎が嘘を吐いているという家入さんの見解には賛成しています。……ちょうど来ましたね」

 国語科資料室のドアの摺りガラスに人影が映り、こんこんとノックされた。はい、と返事をした姫川先輩が扉を開けると、会ったことのある顔――久しぶりだ、文芸部の阿南先輩ではないか。

「言われたものを持ってきたぞ。何だよ、人を使い走りにして」

「ありがとうございます。文芸同好会なら暇だろうと思ったので。この借りはそうですね、次の部誌に短編を一本、寄稿してもいいですよ」

「同好会に降格したからってバカにするなよ、まったく。まあ、原稿をくれるなら歓迎するよ。お前の小説は評判が良いから」

 扉を閉める彼にもう一度礼を言うと、先輩は彼から受け取った冊子をぼくに見せてきた。薄い冊子の表紙には「天保学報」と印字され、天保学園の各キャンパスの風景写真がプリントされていた。一〇月発行の秋号と書かれている。

「天保の卒業生向けの会報です。図書室に毎号保存されているので、私たちが中学二年生のころのものを持ってきてもらいました。……このページを見てください」

 先輩がめくって開いたページは、学校の取り組みを伝える特集ページだった。

 そこには、大学のサークルと高等部、中等部の生徒会が協力して行ったボランティア活動について大々的に報告されていた。天保大学が合宿所を所有するある地域で過疎化に伴う耕作放棄が増えていて、敷地のすぐ隣にあった広大な放棄地とその斜面も、土地の維持のために利用方法が問題になっていた。そこで大学のサークルが主導し、中高の生徒会と有志の生徒を募って、さらに地元の小中学生や有志の住民と協力してその土地に巨大な花畑を作ろうというボランティアプロジェクトが立ちあがったという。

 毎年夏休みにその地を訪れ、土地を整備し花を植えていく長期計画だ。その年の花壇を華やかにするため開花したものも植えかえていたが、メインは多年草や樹木の苗を植えること。五年区切りの予想図に沿って進められ、年々花畑らしくなっていくのだ。

 先輩たちはその第一回の参加者であったようだ。集合写真からは、三年も前の写真ながら、森崎先輩と姫川先輩の姿はすぐに見つかった。ふたりとも見た目は現在とあまり変わらないし、中等部指定のジャージを着ていたので、判別は難しくない。

 天保と地元の学校と、中学生同士は近くに並んでいて、親睦を深めていたことがうかがえる。誰もが作業に使ったらしいスコップや軍手を手に、泥だらけの姿だ。よく見ると森崎先輩が姫川先輩より汚れているのは、彼が力仕事をしたのと、姫川先輩が記録係を兼ねていたからだろう。彼女は首からストラップでデジカメをかけていた。

「すごいプロジェクトですね。知りませんでした、ぼくも行ってみたいかも」

「知らなくても当然です。もう参加も不可能なので」

「今年は締め切ったんですか? そうか、夏の活動だから」

「いえ、それ以前の問題です。プロジェクトは最初の一回で打ち切りになりました」

 どういうことか尋ねると、先輩は嘆息交じりに事情を語った。

 曰く、プロジェクトを主導する大学のボランティアサークルが不祥事を起こして取り潰しになったのだとか。というのも、記念すべき第一回の最終日、大学生の宴会が度を越えて盛り上がってしまい、女子学生のひとりが急性アルコール中毒で倒れ救急搬送されたのだ。その人は大事に至らなかったものの、経緯を調べるうちに、高校生を含めた四人の未成年者に飲酒させたことが発覚。そのサークルは天保大学から活動資格を剥奪され、解散した。無論、活動の核となる学生の力を失ったプロジェクトは、継続不可能になった。

 関わりのないぼくが聞いても気分の悪くなる話だ。せっかく良いことをしていたのに、リーダーたちがろくでもないことをしでかしたばっかりに続けられなくなるなんて。

「森崎はこのプロジェクトがよほど楽しかったのだと思います。私も中学生当時の彼の性根が腐っていたとは思いません。彼が嘘を吐くようになるのは、計画が立ち消えになってからのことですから」

「ということは……」

「森崎が生徒会役員を続け、会長にまでなった目的は明白です。このプロジェクトを再興すること、これに尽きます」

 目的のためなら手段を選ばない、ということだろうか。ぼくでも怒りを感じる計画の途絶であるから、やりがいを見出していた彼ならなおさらであろう。

 しかし、立派な活動には違いないのだから、主導してくれる大学のサークルを別に見つけて、その人たちとともに学校に企画を求めればよかったのではないか。学生の起こした不祥事が中止の理由なのだから、高校生が再開したいと申し出たなら、学校側も断固許さないという態度には出ないだろう。

「良い計画だからといって自由にできるわけではありません。やるにはお金が要ります。種や苗の調達にかかる費用はもちろん、有志の生徒の旅費を一部でも負担するのが生徒会としての筋でしょう」

「そうか、お金か……」

「生徒会の活動費も部費とほぼ同じ扱いで、総会での承認を要することになっています。つまり、各部の部費と競合して資金を確保することになります。

 しかし天保は運動部を中心に大規模で活発な部活が多いため資金調達は容易ではありません。大抵小規模で遠征もない文化部が調整に利用されて、文化部は数年に一度部費を得られるか否かです。将棋部が今年一万円を得たのも珍しかったくらいですから。生徒会も似たような状況でしょう。

 森崎はこれがしたかったのではありませんか? 彼は、会長に就く前は会計を務めていました。自分の手で部費を調整して、数年がかりで生徒会の取り分を大きくしようとしたとも考えられます」

「…………」

「もちろん、それが彼の嘘の吐き方です。まともに見えるやり方で、結局は自分が得をするように誘導します」

「…………」

 過去廃止になったボランティアを復活させる。再開には新しい活動主体を要する。お金だって必要である。生徒会の活動資金は部費と競合する。天保の部活からお金を得るのは至難の業である。文化部の部費を調整するのが常である。将棋部も今年運よく資金を得ている。森崎先輩は会計あるいは会長として分配の主導権を握っている。それによって生徒会の活動費を増やせる。

 ああ、そういうことか。ようやく全貌が見えてきた。

 ここまでくれば才華の力を借りずとも、ぼくにもわかる。

「先輩、これをすぐに才華に伝えます!」

「それだけですか?」

「謝ります、才華が正しかったと!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ