II
「待っていたよ。外に出ていたの? 結構雨で濡れているみたいだけど?」
校外から戻ってさっそく、約束の人物と会っていた。
才華が呼びだした相手は、足立愛莉先輩。傘を差して立つ彼女は、サイドテールを揺らしてぼくらに笑顔を向けた。そこは、ぼくも才華も滅多に訪れない部室棟、演劇部部室の真正面である。
「才華ちゃんのほうから連絡をくれるなんて嬉しい。私のこと好きじゃないみたいだから、連絡なんかくれないと思っていたのに」
いつだったか彼女が才華にアプローチしたときを思い出させる、猫なで声だった。毎回会うたびに印象が違うような気がする。
「そういうのは要りません」呼びだした側は足立先輩の軽口を切り捨てる。「それに、頼んだものを持っているようには見えませんよ?」
恐れを知らない才華は先輩を睨みつける。後輩の無礼な振る舞いに足立先輩はやや唇を歪めたように見えたが、顎でぼくたちの背後を指し示した。
「済まないね、遅くなって。球技大会について会議中でね、休憩を見計らって抜け出しているんだ」
背の高い痩身、不健康そうな白い肌、堂々たる仕草ににじみ出る威厳――森崎会長だ。右手で傘を差し、左手には何やら黒く格子状のものが印刷された一枚の紙を持っている。
「金券の件だろう? 足立から言われて持ってきた」
よく見ると、彼の持つ紙には金券が並べて印刷されていた。生徒会の印も押されている。これが金券の原本なのだ。
才華はそれを確認すると、ひとり納得してこくりと頷く。
「必要なものは揃いました。早く調べましょう」
「そうね。私もさっさと話を終わらせないと、ひっきりなしに連絡が来て困ってて」
足立先輩の手には携帯電話があり、ぼくたちが顔を合わせてからのわずかな時間にも、何度か着信音を響かせていた。彼女が立ち上げる演劇ボランティア部への入部希望の連絡だろう。
演劇部の部室のノブが捻られた。きょう活動再開した部は、さっそく講堂で活動しているとのことで、部室に人の気配はなかった。中には大道具や小道具、衣装などが置かれていて、活動の最中にはあまり用事がないのだ。
「早くしてね。私も元部員として顔が利くだけでもう部員ではなくなったんだから、忍び込んでいることには違いないの。誰かに見つかったら喧嘩になるかも」
なるほど、才華は先輩に部室を見せてほしくてメールで会う時間を約束していたのか。とはいえ彼女も演劇部をあのような形で辞めたばかりの人だ、手短に済ませないと、彼女を敵視する人が怒りだす可能性もある。
部室の中は埃っぽかった。活動停止中、二週間ほど放置されていたから仕方がない。ベニヤや段ボールで作った背景用のパネルのほかに、家庭を再現するためとみられるソファやアイロン台、市中の場面に使う街灯の模型など、学校ではなかなかお目にかかれないものがたくさんある。
足の踏み場も危ういほど薄暗く散らかったそこで、才華が探すものははっきりしていた。
「見つけた、プリンター」
小道具の中には、オフィスや家庭のシーンを演出するためだろう、テレビやパソコンの箱が見られた。ただし、ひどくボロボロで古い型のものばかり。舞台上に置くだけならハリボテでもいいわけで、壊れたものを使っているのだ。プリンターも、生徒の家で調子の悪くなったものが寄付されたということだった。
才華はプリンターの箱を引っ張り出し、本体を机の上に出す。
「電源は?」
「あ、こっちにあるみたいだ」
コードを受け取り、コンセントにプラグを刺しこむ。がたがたと音を立ててプリンターが立ちあがる。この一台は、寄付されるまでに故障はしていなかったようだ。
続いて才華は手にしたビニール袋からオレンジ色の画用紙を取りだす。先ほど雨の中学校を出て訪れた、最寄りの文房具店で購入したものだ。金券の材料になった画用紙と思われるものを入手していた。
「これで調べがつく……」
スキャナに金券の原本を挟み、給紙トレイにオレンジ色の画用紙を置く。いくらか設定を確認してから、印刷ボタンを押した。
するとプリンターは起動したときよりも不穏な騒音とともに、筐体を大きく揺らしはじめた。まるでプリンターが悲鳴を上げているかのようだ。画用紙をやっとのことで飲み込むと、途中で動きを止めながら、一分くらいは時間をかけてようやく印刷の終わったそれを吐き出した。
すかさず才華はそれを手に取る。
「これを見て、演劇部員が偽の金券を作ったと言えますか?」
印刷の完成の具合は、正直プリンターに期待する出来としては最悪に近い。何か所もかすれていて、肝心の「金券」の文字がプリントされていなかったり、生徒会の印が真っ黒になっていたりと、せっかくスキャンしたものがはっきりと刷られた部分のほうが少ない有様だ。故障したから学校に持ってきたというのも頷ける、これを家庭用に使っていたら、かなりの紙が無駄になったことだろう。
それをふたりに突きつけて、天才少女は鋭く言い放つ。
「演劇部のプリンターでは、二年A組が作ったような偽物は作れません。プリンターを持っていることを利用して、偽造の犯人に仕立て上げましたね?」
確信しきった彼女の口ぶりにも、天保のトップのふたりは冷静で、飄々としていた。
「何枚かうまく切り取れば使えそうじゃない?」足立先輩は首を傾げる。
「再現したとは言い切れないな、条件が違うから。インクの状態も変わるだろうし、放置されて埃を被っている」森崎先輩も頭を掻きながら否定する。
才華の見解に対するふたりの態度は明らかだった。
もちろん、それで引き下がる彼女ではない。問い詰める剣幕で続ける。
「調べはついています。本当は生徒会と実行委員が主導して、金券の不足を補うためと偽って、委員を利用しながら写真部のプリンターで印刷したんでしょう?
金券が不足した、なんて話がそもそも嘘。文化祭では利益が出ないようにものを売る。その売り上げ予定の金額や材料費はすべて実行委員に申請するルールだから、実行委員が持っている情報をもとに、売り切れるぶんだけ金券を発行すれば足りる。むしろ、事前にわかっている金額よりたくさん金券を発行することはできない。だって、何も買えない金券を生み出してしまうから。余剰を作れないのだから、金券不足はありえない。
計画は写真部への根回しから始まる。部費の申請を承認して、実質的にプリンターを買い与える。写真部が欲しいプリンターは、写真を高画質で印刷できる性能の良いもの。偽金券を刷るにはちょうどいい。
写真部は小規模で、部費の申請が通らない年度も多々あったはず。そこに突然高性能のプリンターを買える多額の部費を与え、しかも、文化祭実行委員と通じて滅多に割り当てられない大教室での展示までサービスした。これで写真部は言うことを聞くようになる。これなら、『偽の金券を作れ』と命令されても断りにくいんじゃない? 写真部は合同出展の漫研と一緒に、スタッフルームのような空間を作っていたから、その中でこっそり金券を作れる環境を準備していたくらいだもの。
そうして従順になった写真部に、金券の材料を与える。まあ、委員長自ら行くわけがないよね、腕章もあって目立つから足がつきかねない。だから仲の良い委員を適当に選んで、金券が不足しただの先生方にお願いできないだのともっともらしい理由を付けて運ばせた。
生徒会のハンコを間違って原本に押した? これも嘘。間違えることもあるだろうけれど、計画のうちでしょ? 偽造しやすくしておいただけ。もちろん生徒会や実行委員が自ら偽造することもできたけど、わざわざ写真部にやらせたのは、教員の目を盗むため。委員や生徒会としてやろうにも、先生が立ち会っていただろうから。
ただし、自分たちでやらなかっただけに、予想外のことも起きていた。それが二年A組とD組の取引。写真部の部長はD組の人だから、金券を製造できる立場を利用することで交渉を可能にした。A組は売りたい材料を持っていて、D組は偽物ではあるけれど『使える』金券を持っていた。偽物がなければできなかった交渉が実行委員と生徒会の意図に反して行われていたの。
でも、これは偶然起こった話。これが起こったのはラッキーで、目的を果たしやすくなったんだろうね。その目的こそ、偽の金券を作ってその罪を演劇部に擦りつけること。
演劇部の男子たちをあらかじめ唆していたんでしょう? 今年の金券は偽造しやすくて、演劇部にはプリンターがある。しかも更衣室という人の目につかない場所がある、と。そしてまんまと、演劇部は偽物を作った。それがA組とD組の取引で使われたものではない根拠ならちゃんとある――取引で使う金券なら、全部をまとめて持っているはず。でも、偽造を疑われた七人は、使っていない金券をそれぞれ持っていた。個人的に使う予定だったということでしょう?
でも、作ったことには違いないからそれを認めている。代わりに、二年生の屋台の取引には関与していないと否定していたはず。証言としては奇妙だったけれど、偽造の主体がふたつあったとすれば頷ける。森崎さんは、文化祭のときも、いくつかの団体が偽物を作っている可能性を示唆していませんでしたか? どうして知っていたのやら。
さて、これだけ話せば充分ですよね? 目的は演劇部に偽造の罪を被せて、活動を妨害すること。そろそろ動機を教えてください――今度もまた、色恋沙汰の駆け引きか、腹いせですか?」




