その10
「よし、追加点や!」
タイガーズが一イニング五点の猛攻でリードを六点に広げる。ビジターを思わせない闘いぶりには、鬱憤が晴れるかのようだ。
土曜日は午前中で授業が終わるから、午後には野球中継を見ることができる。デーゲームだけに、つい数時間前まで学校にいたことを忘れるくらい興奮できるのがポイントだ。デーゲームが再開される秋にだけ味わえる、一週間のご褒美のような特別な時間である。
「元気だね、弥。きのうは『タイガーズにはがっかりや!』って大騒ぎしていたのに」
脇に抱えたクッションで肘をついて、才華は呆れ顔だ。
「……いや、まだ傷は癒えていないよ。完封負けで優勝を逃すだなんて、ひどすぎる。今年は期待が持てるチームだっただけに、失望も大きいよ」
「はあ……? 嫌いになったわけではないの?」
「野球ファンはな、贔屓のチームが負けるたび『せっかく応援したのになんでやねん』とか『ひょっとして応援しているせいで負けたのか?』とか『もう野球は見ん!』とかいろいろ思うねん。でも結局は応援せずにはいられないのも本能なんや。応援してやらないと負けるかもしれへんやろ?」
わけがわからない、とばかり才華は表情を歪める。
そういえば、東京に来てから野球を語る友達がいない。大阪にいるころには共感してくれる友達がいたものだ。土地柄タイガーズファンはたくさんいたし、勝負所に弱いだけにぼくと同意見だと肩を組んでくれる同級生も多かった。
そこまで濃厚な野球仲間に出会えるとは思っていないけれど、共通の話題を持った友人は当然欲しい。それが家でテレビを一緒に見られる才華だったら、どれだけ楽しかろう。シーズン終了まであとわずか、駆け込み需要で野球に興味を持ってもらえないものか。
すると、ぼくの顔に「才華と野球の話がしたい」と書いてあったのか、才華のほうから話題を振ってきた。
「野球ってよくわからないんだよね。打つ人もいれば投げる人もいて、捕る人もいる。投げる場所もまちまちだし、打つのもホームランくらいしか見ていてもわからない」
おお、野球に馴染めない人が言う典型的な台詞ではないか。
「そんなに野球に親しみがなかったの?」
「うん、お父さんはスポーツ観戦よりも映画を観るほうが好きだったから」
女のきょうだいしかいない家入家でお父さんが野球好きでないなら、野球に接点がないまま興味も持たずにいることだってありそうだ。父の影響で映画を観てきたおかげでいまの才華があるとすればそれも頷ける。
「でも、ちょっと意外だよね。才華、運動は得意なのに」
「ルールはそのときだけわかっていればいいからね。興味がなければ忘れちゃうよ」
なるほど、才華らしい。
「で、野球ってつまるところ何?」
「気になる?」
茶化してみるけれど、彼女は自分が茶化されている気はしなかったらしい。攻守交替に走る選手たちを眺めながら、淡々と続ける。
「知らずに観ているよりは楽しくなるかと思って。それで、野球を一言で言うと何?」
「一言か……」
なかなか無茶な説明を求めてくるものだ。
「より多く点を取って勝つゲーム?」
「それだとサッカーでも同じ。野球らしいところは?」
競技としてのミニマムな説明では、やはり満足してもらえなかった。しかし、説明を付け加えようにも難しい。野球好きとしてもルールが複雑なのは間違いないから、どこまで取りだせば本質的と言えるか定まらない。何を抜粋すればいいのだろうか。
「投手が投げたボールをバッターが打ち、打ち返したバッターは、ボールをキャッチした野手に進む先のベースや身体をタッチされないようにベースを走り、一塁から三塁を回ってホームベースを踏むことで得点、交互に攻守を繰り返してその合計を競うゲーム」
「……同じ説明をもう一回してくれる?」
「無理やね」
二度とできない説明とは、本質を捉えられていないことの証左である。
まあいいや、と才華は再び画面に目を向ける。
「とりあえず見ていて何となくわかるルールはある。ピッチャーと、後ろの選手が味方なんだよね、同じユニフォームだし。で、ピッチャーは打たれないように投げるし、もし打たれても後ろの野手は打った人を『アウト』にしようとする、と」
「わかってるやん」
「でも、『アウト』が何かわからない」
そうきたか。才華にとっては攻撃のルールのほうがわかりやすかったらしい。
「バッターはつまり攻撃の人だから、ピッチャーと仲間たち守備側が勝つためのポイント、とでもいえばいいのかな? アウトを三つとると守備が成功、攻守交替になる。だから、守備側のチームは点を取られる前にアウトを三つとろうとする」
「どうすればアウトを稼げるの?」
これはピッチャーと野手とを場合分けして説明することにした。ピッチャーは三振を奪えば自力でアウトをとれる。三振ならわかりやすいだろうと思ったが、案外そんなことはなく、ストライクの説明を要したものだから骨が折れた。
続いて野手のアウトのとり方を説明する。フライのキャッチとランナーへのタッチを原則として説明し、ベースに投げるアウトのとり方についても話した。ちょうど相手チームの攻撃中の映像が流れていたので、実例を見せながら教えることができた。
しかし、順調だった解説は思わぬところでストップさせられる。
「ねえ、弥。さっきからバットに当たっているのに試合が進まないことはない?」
「試合が進まない? ……ああ、もしかしてファウルのこと?」
「ファウル?」
ぼくも幼いころそのルールが理解できず、父さんに教えてもらったのを思い出す。ストライクから順に野球のルールを勉強していくと、ファウルは非常に例外の多いルールとして初心者の壁となるものだと思う。
父の説明を思い出しながら伝えてみる。
「守備する野手の人数は限られているでしょ? だからどこへ打ってもいいルールだと、打者が有利すぎる。そこで、打ってもいい範囲を決めた。その外側に打球が飛ぶことをファウルといって、そうなった場合、まあ、打ち直しになると言ってもいいかな」
カウント次第ではストライクになるとか、スリーバントなら三振になるとか、細かいことはとりあえず伏せておく。ややこしさに混乱してしまっては、せっかく持ってくれた興味が離れていってしまう。
「具体的にどういうときにファウルになるの?」
「ファウルになるのは、基本的に打球がファウルゾーンに行ったとき。ほら、バッターのいる位置の脇から球場の端までラインが伸びているだろう? それをファウルラインといって、その外側がファウルゾーンという。ゴロの場合、一塁か三塁の手前でファウルラインを超えて自然に止まるか、一塁か三塁より外野側に飛ぶとファウル。フライの場合、最初に地面に触れるのがファウルゾーンならファウル」
へえ、と才華は気の抜けた返事。難しすぎただろうか?
いや、むしろ才華は何か興味を持ったらしい。
「じゃあさ、転がった打球が一度ファウルゾーンに出て、一塁か三塁を過ぎる前にファウルゾーンから戻ってきたらどうなるの?」
「ファウルにならない。フェアといって、試合は続行される。打球がフェアと判断される範囲をフェアグラウンドと呼ぶんだ」
「さらに転がって、フェアグラウンドからもう一度ファウルゾーンへ行ったら?」
「あ、それはファウルになるね。あくまで、止まった位置が大切なんだ」
「なるほど……」
感心したように才華は何度も頷く。野球に興味がない、と話はじめたときとは全然態度が違っている。たかがファウルの何がそんなに気になるのかわからない。
待てよ?
そうか、才華は「気になる」のか。
ということは……嫌な予感がする。
「野手がファウルゾーンに立っていて、ファウルゾーンに転がってきたゴロに触ったらどうなるの?」
「ファウル」
「もしその状況で野手がボールを落としたり弾いたりしてフェアグラウンドにボールが戻っても?」
「ファウル」
「フェアグラウンドに転がったボールを、フェアグラウンドに立っていた野手が弾いて、ファウルゾーンにボールが転がったら?」
「フェア」
「野手はフェアグラウンドに立っていたけれど、ファウルゾーンを転がっているゴロに触ったらどうなるの?」
「ふぁ……え?」
考えたことのない状況だ。バント処理の場面などを思い思い浮かべればいいのだろうか? でも、ぼくもそこまで注意して観ていない。タイガーズの野手はどのように動いていただろうか――まったく思い出せない。
「ええと、どっちだろう?」
「反対の状況でどうなるかも気になる。ファウルゾーンに立つ野手が、フェアグラウンドのボールに触ったらどうなるの? ううん、もっといろいろなケースが考えられるよね。フライを弾いてファウルゾーンからフェアグラウンドに落ちたらどうなるか、とか。……ううん、複雑なルールだね、気になる」
才華は抱えていたクッションを置いて、ふらふらと立ち上がる。それからぼくと話していたことを忘れてしまったかのように、ぼくの前を通ってリビングから出て行ってしまう。階段を上る音が聞こえるから、伯父さんの書斎に手掛かりを求めているのだろう。
そのとき、テレビから大きな声が聞こえてきて身体が跳ね上がった。実況のアナウンサーが興奮した声を上げている。知らないうちに、タイガーズの頼れる正捕手がソロホームランを放ち、点差をさらに広げていたらしい。
「ああ、見逃した!」
野球観戦は、当分ひとりで楽しめれば充分そうだ。
【登場人物たちで打順組んでみた】
1 三 二ツ木麗
2 遊 姫川英奈
3 中 森崎博士
4 一 秦野朝子
5 二 足立愛莉
6 右 蓮田祥子
7 左 平馬梓
8 捕 久米弥
9 投 家入才華
リリーフ
投 江里口穂波
投 家入舞華




