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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.10 せいさん
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IV

「遅くなってすみませんでした、受け取ってください」

 イベント尽くめの二学期は、秋穂祭の興奮も冷めないうちに次なるイベント、中間テストを迎えていた。その最後の科目を終えた食堂では、「試験を受ける気分ではなかった」「対策する時間がなかった」など言い訳を枕詞に、生徒たちが文化祭の思い出を語らっていた。

 学園に滞留する祭典の熱気は、高等部の食堂に現れた中等部の制服の下でも燻っていたらしい。

「描きなおしてくれたんだ。きっと江里口さんも喜ぶよ、今度会ったら渡しておくね」

 お願いします、と帆乃佳さんは小さく礼をした。

 漫画研究部員の中学生は、OGの江里口さんから依頼されたキャラクターのイラストを出来あいのもので済ませたことを反省し、手書きで改めて描いたものを渡しに来ていた。運悪く先輩には会えなかったけれど、ぼくが当時一緒にいたことを憶えていて、ぼくに声をかけることができた。

 新しく描かれた銀髪の少女は、そういえば文化祭で江里口さんが受け取っていたのと同じキャラクターのようだった。ただし構図が違っていて、色彩にも手書きならではの粗さとぬくもりがあった。

「二枚あるね。もう一枚は?」

「先輩のものですよ」

「え、ぼくも?」

 ぼくももらえるとは思わなかった。先日のものと同じ、ぼくでも知っている有名なキャラクター。しかしポーズや表情には変更が加えられ、工夫が凝らされている。

「よく見ると手書きって感じがするね。この前は、江里口さんが言わなかったら印刷だなんて正直気がつかなかったよ。すごく綺麗にプリントされていたんだもの」

「写真部にプリンターを借りていたんです。なんでも、今年申請が通った部費で新しく買ったばかりのものみたいで」

 へえ、それなら高画質で印刷できそうなものだ。

「それにしても、大変じゃなかった?」ふと心配に思って、尋ねてみる。「テスト期間中にこれを描いていたわけだよね?」

「そんなことはありません。お詫びなので当然やるべきことでしたし」健気な後輩の返事は、声が躍っているようだった。「それに良い気分転換になりました。テストには全然影響なし、むしろ絶好調でした!」

 羨ましい限りだ。手ごたえに基づく予想値において数学二科目と化学に加えて生物まで赤点が見込まれるぼくと大違いである。後輩とはいえ見くびってはいけない、帆乃佳さんもまた天保の「天才」のひとり。

 やるせない敗北感をぼくが味わっていると知る由もない帆乃佳さんは、なすべきことを済ませた爽やかな笑顔を見せ、軽快な足取りで中等部の校舎へと去っていった。明るい様子からすると、まだ佐那さんの進路については知らないだろう。ぼくが詮索していいことではないけれど。

 ため息をついて椅子に座る。食べかけの醤油ラーメンはまだまだ熱々だったが、現実を思い出して気持ちが冷めてしまうと、美味しいものも不味くなる。正面の才華の手元にあるミートソースのスパゲッティのほうが美味しそうに見えてくるくらいだ。

「才華? 食べないの?」

「へ? ああ、うん、食べるよ」

 思い出したように、才華はフォークに麺を絡めた。

 天才少女はここのところ上の空で過ごすことが多く、食事する手も時々止めてしまう。彼女がそうなる場面はこれまでに何度も見てきた、すなわち「気になる」ことがあって頭がいっぱいになっているのだろう。

 彼女のこの様子は、文化祭以来続いている。森崎先輩、足立先輩と会ってからだ。そのことで気になることがあるのだと思うけれど、何が引っかかるのかはよくわからない。才華にありがちな、疑問を解消するための行動に乏しいからだ。本人も不思議に思っていることが曖昧にしか浮かんでこないのかもしれない。

 そのとき、校内放送が流行りのポップスを再生した。放送部の昼の番組である。突然の大音量に驚いてしまったが、文化祭前とそのあとのテスト期間での休止が明けて初めての、久々の放送だ。

『きょうはゲストから部活動の紹介をしてもらいます。よろしくお願いします』

『こんにちは。文化祭ではお世話になりました、足立愛莉です』

 天保のスターの挨拶に、生徒たちは沸き立った。「話を聞かせろ」「静かにしろ」と口々に上げる声がむしろ食堂を騒がしくする。それだけ、彼女がこの日表に出てくることには、特別な深い意味があった。

『お礼に加え、部を代表してお詫びしなければなりません。金券の件についてお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした』

 演劇部は文化祭後、中間テスト終了まで活動停止になっていた。

 理由は、偽の金券を作って取引したから。

 文化祭二日目、後夜祭の前にゴミ捨て場から発見された金券。偽物の金券に置き換えられて不要になったものが捨てられていたのだと森崎先輩と足立先輩、そして才華は結論した。ただし、その時点では偽物を作った犯人まではわかっていなかった。

 犯人捜しは実行委員と生徒会に委ねられ、演劇部、とくにその男子部員だったとまもなく結論された。大きな根拠として、演劇部は校内に専用の更衣室が設けられていたことと、小道具としてプリンターを持っていたことが挙げられたという。

 森崎先輩が言っていたように、文化祭中はどの教室も来客が出入りするから、偽の金券を作っていたらバレてしまうおそれがある。よって偽造の現場は密閉された空間だろうと見当がつけられた。その絞り込みに該当するのが演劇部――校舎の一階に割り当てられていた部員専用の更衣室は、それにぴったりだった。

 また、偽造には当然機材が必要だ。金券の本体となるオレンジ色の画用紙や、ナンバーを振るスタンプはそう高い買い物でなく誰でも入手できたとしても、プリンターはすべての団体が保有しているわけではない。演劇部はその設備面で偽造の条件を満たしていた。舞台を演出する小道具の中に、部員が家で不要になって寄付した古い型のものが一台見つかった。

 これをもとに演劇部員を聴取したところ、男子部員から金券偽造を認める声が上がったのだ。男子更衣室で印刷しているのを見た、と。二年A組と実際に取引したのは二年D組――タコスを販売しており、材料が一部共通していた――と明らかになり、両クラスの演劇部員男子計七名が首謀者とされた。

 ただし、噂によると七人は疑惑を否定している。A組とD組の取引に用いられたほど大量には作っていないし、作った偽物は使ってもいない、材料の売買にも関与していない、と。事実、七人はまだ未使用の偽物を持っていた。

 その結果、演劇部の活動停止という中途半端な最終判断となった。七人が否認したことで両クラスの取引の首謀者はわからず、ただ演劇部の男子部員が偽金券の製造を黙認していたことにしか責任を追及できなかったのだ。七人の部員は偽の金券でものを買うような詐欺行為をはたらいておらず、偽物の存在によって収支がおかしくなる事態にも至っていないから、犯人捜しは曖昧なまま、事は収まったということになっている。

 才華はこの解決が腑に落ちていないらしい。でも、決定的な証拠はどこにあるのか。どこにも残っていないだろう。証言に頼るにも、誰が進んで自分のクラスを不利にするだろうか。

『ところでみなさん、近頃、私は新しいことを始めたいと思っています』

 演劇部の騒動について謝罪し、部の今後の予定などを話していた足立先輩が話題を切り替えた。食堂の生徒たちは騒ぐのをやめ、聞き耳を立てている。

『私は演じることを楽しみ、力を注いできましたが、先日、その演劇を社会貢献につなげようという試みを知り、驚かされました』

 スピーカーの向こう側で、ごそごそと人が動く音や、がさがさと紙が擦れる音、それにひそひそ話が聞こえてくる。

 もしかして、足立先輩は予定にないことを話しているのだろうか?

『天保大学に「ボランティア劇団Inter-Act(インターアクト)」というサークルがあります。このサークルは、演じることは役という他者を理解することだと信じ、様々な背景を持つ方々と交流するボランティア団体です。子どもや高齢者の方、社会的な援助を必要とする方向けに、ときにはメンバーが演者として演じてみせて、ときには相手の方々とともにひとつの劇を作り上げることで、社会問題をわかりやすく伝えたり、大切な想いを共有したり、楽しむ時間を演出したりするお手伝いをしています。私はサークルの幹事長の方と以前から交流があって、いつもお話を聞きながらこのサークルで一緒に活動したいと考えていました』

 台本にない話を、足立先輩は立て板に水で語る。感情のままに捲したてる感じだ。

 はじめ放送室内の焦りがスピーカーから漏れ聞こえていたが、やがて混乱は収まり、足立先輩に自由に話させることにしたようだ。ここで話を切り上げようものなら顰蹙ものだ、校内の誰もが先輩の話を聞きたがっている。

 演じることで社会貢献か。何かになりきるということは、その何かを深く理解し自分の中に落としこんでいるともとれる。なるほど他者理解ともいえそうだ。演技の経験に乏しいぼくでも興味深く感じる。

 足立先輩にそんな関心があるとは知らなかった。一般には実行委員長を務めるようにアクティブな人と思われているようだけれど、ぼくの中ではスリリングな恋に身を投じるイメージが強すぎる。Inter-Actとやらの幹事長と大恋愛の最中というなら話は別かもしれないけれど。

『大学に入学してから、とも考えましたが、私の気持ちはすぐにでもメンバーに加わって、社会に貢献したいという思いでいっぱいです。幹事長や、高校の先生方とも相談して、私はInter-Actで活動することを決めました』

 この宣言に食堂が再びざわつきはじめる。「部活はどうするんだ」とか「一緒にやりたい」とか。

『そのために、私は新しい部活を作ることにしました。予算がつくのは来年からで、しかも現在のところ私しか部員のいない同好会からのスタートです。名前は仮に「演劇ボランティア同好会」としました。きょうから校内にビラを掲示しています』

 熱っぽい言葉がぼくたちを心を揺さぶり、煽りたてようとする。

 びりびりと空気が震えるような興奮が充満する。文化祭のときとは様子が違う。そのときの興奮は、何かを待ちきれないというものだった。しかしいまは、そう、端的に言えばこういう興奮だ――「いいぞ、もっとやれ!」

 そして、足立先輩はぴしゃりと言い切った。


『私は演劇部を退部しました。新しい部で一緒に活動する仲間を探しています』


 悲鳴とか雄たけびとか、そういう類の声が食堂中を駆け巡った。中には座席を立って駆けだす者もいる。文化祭で盛り上がって、テストのために消化不良になった熱が一気に噴きだしているのだ。

 生徒会役員選挙の演説のときも似たような空気に包まれていた。足立愛莉という女優の演技力、いや、それ以上の何か凄まじい力を感じずにはいられない。ぼくだって、直接会うことなく、舞台の上の憧れの人として彼女を認識していたなら、同じように乗せられていただろう。

 一歩引いて冷静だったぼくの真正面にも、熱に当てられた少女がいた。


「こんなにおかしな話はない。あの女、それに森崎は、絶対に嘘を吐いている」

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