III
体育館のほうからエレキギターやキーボードの音が漏れ聞こえてくる。後夜祭本番まではまだ少し早いから、機材の最終調整をしているのだろう。その一方で、間近ではスマートフォンがフラッシュを焚いてシャッター音を響かせる。足立先輩が証拠として金券の入ったゴミ袋を撮影しているのだ。
蓮田さんが最初に求めた「三〇分以内」の時間制限が近づいている。その刻限に滑りこむようにして、森崎先輩は真実を語ろうとしていた。
「偽の金券は、台紙に貼りつけて使えなくなった金券を、もう一度移動させるために作られた」
抽象的なところから説明を始める。早速、江里口さんが問いを投げかけた。
「『使えるようにする』のではなくて、『移動させる』ためなんですか?」
「『使えるようにする』とは、『移動させられるようにする』ことだよ」
言葉遊びのような回答に、質問者は眉を顰める。しかし、質問を重ねることは許してくれない。
「金券で何かしら購入すると台紙に糊で貼りつけられるから、同じ金券が何度も使われるということはない。一枚一枚に振られた番号も、一回きりの制限のために機能する。つまり、偽造した金券はのちのち必ずバレる仕組みだ。
そんなことはわかっている、と言いたいか? でも、ここで考えを変える必要がある。必ずバレるといっても、それは売り上げ集計のときか、返金のときだ。文化祭の期間中に発覚するわけではない。同じ番号の金券が隣り合って台紙に貼られでもしなければ気がつかないだろう。
そのようなことになってしまったのは、生徒会の落ち度であると認めざるを得ない。生徒会の印が印刷されたものでなく、役員の手で押されたものであれば、偽造防止は強化されていた。役員しか生徒会のハンコを扱えないからね。
さて、偽の金券を作るハードルはさほど高くないとして、ではどうやって使うか? 返金のときに偽物を渡して稼ぐ方法は、さっき否定した通りだ。個人的な買い物に使う可能性もあるが……そのような偽物があったとしてもせいぜいイタズラ程度で数は少なく、別件だろう。二年A組の売り上げ、そしてゴミとして捨てられた大量の金券をも一連の出来事として考えに含むならば、もっと別の使い方が考えられる。それが『入れ替える』方法だ」
話の展開はゆっくりとして勿体ぶっているくらいなのに、すべてを受け止めきれない。彼は、偽の金券が作られても仕方がないと言ったのだ! それどころか、文化祭期間中ならバレないとまで! 金券を販売する生徒会の長たる立場でありながら、ぶっちゃけすぎてはいないだろうか。
また、何度も言われている「入れ替える」ということが不明瞭なままだ。これを詳しく説明してもらわないことには彼の見解の真偽はわからず、事は解決を見ない。発言にいちいち驚いている場合ではないのだ。
説明は彼の独壇場で続けられる。
「金券は一度しか使えない点で現金と異なっていて、勝手が悪い。現金なら何かを売買したカネでまた別の売買ができるのに、金券だと糊で台紙に貼りつけないといけない。一度貼りつけてしまったら、注意深く剥がしても使用済みのものだとひと目見てわかるような跡が残ってしまう。
要するに二年A組――いや、厳密に言うと二年A組ではなく、別の屋台をやっていた団体――は、使用済みの金券を使って新しい取引をしたかったんだ。台紙から剥がせない金券を、別の団体の台紙に『移動させ』たいと考えた」
ここまで来て、ようやく話の輪郭が見えてきた。
ものを売ればお金が貯まる。秋穂祭でいえば金券が集まる。しかしその集まった金券の用途は、金券全体の売り上げから分配してもらうために生徒会に提出するだけ。売り上げはただ文化祭終了まで保存しておくしかない。
となると、どういう不利益があるか。
売るだけ売って売り切れたら、その屋台は暇になるということだ。
「A組は別のクラスの屋台に、金券で材料を買い取らせたのだろう」
商売といえば、元手で何かを売って、儲けたお金で商品を仕入れ、また売って得たお金で何かを買っては売って……という繰り返しで拡大していくのを旨とする。文化祭の屋台はこの商売の原則を踏まえておらず、事前に申請した費用のぶんだけ商品を売り、費用を回収したらそれで店仕舞いになってしまう。それ以上商売を広げていくことが許されていないのだ。
儲けを出せないのは学校のルールだから我慢するとしよう。でも、大盛り上がりの文化祭の最中、「完売御礼」の札を出して待機しているしかないだなんて、嫌に決まっている。もっと売りたいと思うはずだ。
「A組のほうはお好み焼きが売れ残る見込みで、元が取れなくなるおそれがあった」才華が森崎会長の説明を横取りする。「儲けが出ない文化祭でも、損失の可能性はある。店の切り盛りが上手くいかなかったA組は、材料を別の団体に売りでもしないと損失が出ることが目に見えていた。そこで、どこのクラスかは知らないけれど、売り切れ間近で同じ食材を使う何らかの屋台と利害が一致した。売りたい屋台に、売りきれない材料を回せるなら、誰も損をしないでしょ?」
「そうだとして」足立先輩が加わる。写真を撮り終えた彼女は、件のゴミ袋にガムテープを貼って、捨てずに残すようにと伝言を書き残していた。「偽の金券は実際にどのように使われたの? 材料を売り渡す交渉が成立したとして、現金でそれはできない。でも、買い手側が持っている金券はすでに台紙に糊づけされていたはず」
それが移動するということだ、と生徒会長は鼻を高くする。
「動かせない金券を動かすために偽物を使ったんだ。
買い手側の団体はA組に材料費を買い取ったカネを渡そうにも、台紙から金券は剥がせない。だからA組とは合意、共謀のうえで、まず贋金で買い取りを済ませた。買い手は偽の券を渡して、A組はそれを台紙に貼りつける。
この時点では、A組と買い手とで台紙に貼られた売り上げは同額だ。A組は材料が減ったことで、残りわずかのお好み焼きを売り切って目標達成。クラス費に損失を出すリスクを回避することができた。
一方買い手側は、もともと売り切れぶんの金券が台紙に貼られている。材料の買い取りに金券を使ったとはいえ、偽の券を増やすことで形式的に行われた売買だから、剥がせずに残った金券はそのまま。買い取った材料で商品を売れば売るほど、台紙に貼り切れない、あるはずのない売り上げが増えていく。
さて、この金券はどうするか? 台紙に貼るスペースはない。そうなれば、実行委員にバレないように集めて処分するだけだ。それがゴミ袋から見つかった大量の金券ということになる」
材料を買ったのなら、そのお金はなくなっているはずだった。でもそれは現金であればの話で、金券は台紙に貼りつけられているから、そこに貼ってあっても「ない」ことにした。そのため新しく仕入れた材料で得た売り上げは、すでに貼ってある「ない」はずの金券で充当していく。よって、いま目の前でお客さんから渡された金券は、要らないことになる。
こう言うのもアレだけれど、捨てられた金券はもったいないものではなかったのだ。文化祭全体で売買された金額の合計は、偽の金券が補ったおかげで変化していないのだから。むしろ、偽札がなければ二年A組は損失を計上していた。早々に商品が売り切れて、文化祭を不完全燃焼で終えた生徒たちもいたことだろう。
もちろん偽物を作るなんて許されることではない。金券はお金だから、犯罪にも近い。しかし、それは「テンサイ」が考えた、不合理の解決方法だったのだ。手段を選ばなかっただけで、結果としては最悪を回避することに成功したのだ。
ふと傍らの江里口さんを窺う。苦虫を噛みつぶしたような表情は、きのう目にしたのと似ている。彼女は帆乃佳さんに自分の考えを黙っておくという「嘘」に苛まれ、顔を歪めた。
嘘を吐いて物事を解決してしまった不快感――いまひとつ共感しきれなかったその気持ちを、いまならよく理解できた。金券を偽造してまで損失を避けたところで、「面白くない」のだ。
「問題は犯人捜しだと思いますけど?」
ぼくたちの感情を知る由もない才華は、淡々と話を続けようとしている。確かに、お金の問題であるから誰がやったのかは明確にしておくべきだ。首謀者は先生から適切な指導を受けて然るべきである。
でも、生徒会長と文化祭実行委員長は才華の提案に応じなかった。それぞれ腕時計とスマートフォンで時間を確認すると、体育館のほうに爪先を向けた。
「安心して、それは実行委員が預かるから」足立先輩のサイドテールの髪がさらさらと揺れる。子どもを宥めるときの微笑みを湛えていた。「偽の金券が何枚使われたかを調べれば、自ずと交渉の全貌が見えてくるものでしょ?」
「文化祭中の取引のために偽物が必要になったのだから、偽造されたのはきのうかきょうだ」森崎会長も犯人捜しまで才華と歩調を揃える気はなかった。「文化祭で衆目に触れる中偽造が可能な場所は限られているから、偽造の主体はすぐに見つかるだろう。僕にはすでに思い当たるところがある。ただ、事が事だ。これ以上は先生方と協力して進めていかないとね」
話を切り上げて離れていくふたりの背中を、才華はじっと見つめていた。




