II
赤に青に黄色に緑にと賑やかな看板が躍るトンネルを、オリジナルのTシャツやらゾンビやらユニフォームやらと様々な装いの生徒たちに揉まれて進む。誰もがはやる心を抑えられずにあっちへこっちへと急ぐものだから、ときたま互いの肩をぶつけるのだが、ぶつかるほうもぶつかられたほうもまったく気に留めない。ここはもはや学校の廊下ではない、激しく不規則に流れる人間の海だ。油断したら溺れてしまう。
開会直後から蓮田さんに会うまでよりも、人口密度がずっと増している。学外からの来客が増えはじめたのだろう。
不承不承江里口さんについて歩きながら、先刻の疑問、どうして平馬と会えないのかを尋ねる。喧騒の中で言葉を伝えるため、交わされる声は自然と大きくなる。
「梓はな、秋穂祭が嫌いなんだ」
「嫌い? こんなに楽しいのに? そういえば、うるさいのや賑やかなのは好かないんだっけ?」
「それもあるけど、それ以上に、あいつは自分に自信がないからだ」
「へ? あの平馬のどこが自分に自信がないって?」
意味深長な彼女の発言をもっと深く掘り下げたかったが、立ち止まった彼女の背中にぶつかりそうになって、会話を中止させられる。
「最初はここに来たかったんだ。漫研」
特別教室の集まった校舎の二階。段ボールで象った、ピンクでポップな「うぇるかむ」の文字が迎えてくれた。その文字のところどころには、アニメか漫画かのキャラクターがこちらを覗きこむような恰好で描かれる。最後の「む」の字のはらいの部分には、漫画研究部と書かれていた。
しかし、単純に漫画研究部のブースと思えばそうではない。左に目を向けると、同じように段ボールで作られた「ようこそ写真部」という文字が躍っている。
どういうことかと思ってパンフレットを確認すると、すぐに合点がいった――「大教室 漫画研究部(中学)・写真部(高校)合同出展」とある。
つまりここでは、中等部にしかない漫画研究部と、高等部にしかない写真部とが一緒になって出展しているということだ。右手の出入り口が漫画研究部で、左の出入り口は写真部だ。
「中等部のころに入っていたんだ。高校にはサブカルチャーを前面に出した部活があまりなかったから、いまは美術部だけど」
「へえ、そういうのが好きだったんだ」
「まあね、趣味程度に」
高校でそういうことが楽しめる部活というと、ぼくの知る限りでも文芸部くらいか。その文芸部も四月のことで入りにくいから――次点で美術部。なるほど。
彼女はすぐには教室に入らず、階段の前で周囲を見まわした。
「今年はすごいな、大教室を抽選で当てたんだ」
屋台や屋外で出展する以外は、教室は各出展団体の希望と抽選で割り当てられる。生徒会が出展の規模をある程度勘案するから、人数が少ない部活は希望の教室が取れないことも多い。漫画研究部と写真部はいずれも部活として認められる五人の部員を集めるのがやっとで、文化祭の出展で毎年協力して規模を大きくしているそうだ。それでも大教室が当選したことはなく、例年からすれば奇跡的だという。
江里口さんは右のドアから入室するので、ぼくも続いた。
内装はシンプルで、派手な装飾は少ない代わりに展示には力が入っている。何枚も並べられたパネルには、写真部の撮った写真と漫画研究部の描いたイラストとが交互に織り交ぜられてアーティスティックに飾られていた。部員がお気に入りの漫画のレビューを書いた模造紙と、その手前に全巻揃えて綺麗に並べられたコミック本からは、部員たちがいかにその作品を愛しているかが伝わってくる。
展示のみならず、依頼したキャラクターの絵を即興で描いてくれるコーナーもあった。すでに初等部の子どもたちが群がっていて、彼ら彼女らに見守られながら部員がせっせと手を動かしている。ただでさえキャラを描けることに関心してしまうけれど、自分の好きなキャラではなく注文されたキャラを、目の前で、素早く仕上げてしまうというのは驚きだ。特にリクエストはなくても頼んでみたくなってしまう。このブースの目玉といっていいだろう。
さらにその背後にはパネルが仕切りのように置かれ大教室ゆえに生じたデッドスペースを、スタッフルームとして用いているようだ。女の子の楽しそうな話し声が聞こえてくる。
「穂波先輩! お疲れさまです」
入口すぐのところに受付があった。その脇には、黄色い表紙の冊子が積まれている。
「お疲れさま、帆乃佳。今年も部誌は金券一枚?」
「はい、ぜひ買ってください」
江里口さんはさっと金券を差しだした。秋穂祭で現金の代わりに利用する、一枚一〇〇円の金券だ。帆乃佳と呼ばれた中等部の女の子はそれを受け取ると、気障そうな金髪のイケメンが表紙に描かれた冊子と交換する。漫画研究部の部誌だ。ぼくも一応購入した。
「後輩の帆乃佳。中学三年生」
帆乃佳さんは何かのアニメのものと思しき、魔女が被るような帽子を頭に乗せている。制服を着ているが、ささやかなコスプレといったところか。その恰好で実行委員会指定の台紙に金券を貼っているところはちょっと面白い光景だ。
「先輩と一緒にいるその人って」スティック糊のキャップを閉めながら、帆乃佳さんはわずかに頬を赤らめてOGに問う。「中学のころから付き合っている平馬って人ですか?」
「違う違う」江里口さんは少々強調しすぎるくらいに、手を横に振って否定した。「その友達の久米って同級生」
ぼくも念のため手を振って、「ちゃうで」と付け足しておく。
「浮気ですか?」
「先輩に向かって失礼な! 成り行きだよ、成り行き。……そっちこそ、愛しの佐那はいないの? シフトが一緒だって聞いたから来てみたのに」
察するに、佐那さんとは帆乃佳さんと親しい同級生だろうか。
「開会式では一緒にいたんですが……終わってすぐはぐれちゃって。そのあと一度も会っていないんです」
おや、帆乃佳さんも人がいなくなって困っていたのか。
「クラスか美術部に顔を出しているんじゃないの? 佐那、兼部しているでしょ?」
しかし、とんがり帽子の中学生は首を横に振った。
「佐那のクラスは空き缶で大きな恐竜を制作して出展しているので、店番のためにいなくなることはないんです」
空き缶の恐竜――おお、そういえば昇降口の脇の巨大なそれに感心したのを憶えている。
「中等部美術にも行って訊いてみましたが、きょうは顔を見ていないという話でした。もしや体調を崩して保健室にいるのかな、とも思ったんですが……やっぱりいなくて」
帆乃佳さん曰く、佐那さんは委員会に所属していないし、漫画研究部のシフトより優先するような交友関係にも心当たりがないという。
「メールはしてみたの?」
部誌をぱらぱらめくりつつ、話を無視するわけにもいかず問うてみる。
「佐那はケータイを持っていません」
メールで確認することができない――平馬の失踪と似たような状況だ。これを乗り越えて連絡をとる方法があるなら、ぼくも教わりたいところだ。
漫研OGと現役部員は困り果てて唸っているが、正直なところぼくにとっては他人事だ。中学生でも綺麗な絵を描くものだな、物語を考えて絵に描くなんてすごいものだ、コマ割りもよく工夫されているな、などと才能を羨みつつページを進めていると、ひとつ異質な作品が目についた。
画力がまるで違う。中学生離れしているといっていい。その華麗で繊細な線は、もはや漫画のためのそれではない。物語の内容よりも絵のほうが際立っていて、ぼくは内容も読まずに先のページをめくってみた。そしてまた、手が止まる。
黄昏る少女がページ一枚を広く使って描かれていた。
これは漫画の中の一コマではない、この一枚だけでひとつの作品だ。
「あ、それが佐那の絵だよ。すごいよね」
高等部美術部に所属する先輩も画力を褒めたたえる。素人のぼくの目でも、見誤った評価はしていなかったようだ。
四月にも美麗な絵を見て心を奪われたものだ。その絵の裏側には、作者が自分の文章にコンプレックスを抱いているという、素直に感動するだけでは見落とされてしまうエピソードが隠れていたのだが。
「塾通いで忙しいのにこのクオリティか……あたしが漫研にいたころから、佐那に教えられることはなかったんだよ」
江里口さんが佐那さんをべた褒めすると、帆乃佳さんは自慢げに頷くのだった。自分のことでもないのにこの様子、無二の親友なのだろう。
「佐那と帆乃佳は漫研一番の仲良しでね。高等部に進級したら、高校でも漫研を立ち上げようって言っているんだ」
先輩も先輩で、後輩たちの友情を自慢する。微笑ましい関係だ。
「高校漫画研究部ができたら、穂波先輩も入ってくださいね」
「もちろんとも」
仲良しな先輩後輩の前では、当人たちにそのつもりがなくても除け者にされた気分になってしまう。趣味を共有する友人との絆に、学年も何も壁はないということだ。ぼくに入りこむ隙間はない。
「あたしたちは午後まで自由に行動できるから、佐那を見つけたらここに来るように言ってあげるよ」
「本当ですか! お願いします! それまでにここに来たらメールしますので」
わかった、と江里口さんは後輩と固く約束する。またぼくは人探しに学校中を彷徨わなければならないのか、参ったな。
でも、ほかにすることもないし、遊びがてら見つけられたのならちょうどいい。佐那さんを探すうちに平馬も見つかったらラッキーだ。
「そうだ、ついでだから何か絵を描いてもらおうかな」
江里口さんは部屋の奥のイラスト依頼コーナーを振り返った。小学生に囲われる中から、部員が声を飛ばす。
「何を描きますかぁ? すみません、順番なので時間かかっちゃいますけどぉ」
「ううん、じゃあ、テンシちゃんでお願い」
「いいですねぇ、わかりましたぁ。そちらの方はぁ?」
ぼく? いや、興味はあるけれど、描いてもらいたいキャラクターなんてわからないよ。
「お任せでもいいですよぉ」
「なら、そうしてください」
一時間以内に書きあげておくというから驚いた。なかなか仕事が早いのではないか。ブースにやってくる来客は少しずつ、されど絶えず増えていているというのに。殺到する小学生の注文を捌くのもかなり大変と思われる。
そのくらいにまた来ようか、と教室の時計を確認して、江里口さんは再度イラスト依頼コーナーの女子部員に声をかける。
「ねえ、佐那が行きそうなところに心当たりはある?」
「ええと……あまりわかりませんねぇ。最近会っていないんですぅ。このごろ佐那先輩、塾が忙しくて部活に来られていないので。だから思い当たることもなくてぇ、お役に立てず申し訳ないんですけどぉ」
帆乃佳さんを振り返って確認すると、彼女も首肯した。
「じゃあ、もしかして文化祭を休んで塾に?」
「それはないと思います。塾に行くのはいつも夕方なので。あと、きょうは土曜日ですが、土曜日には通っていないと聞いています」
手掛かりはかなり限られているようだ。現時点ではほとんどゼロ、校内にいない可能性さえ考えられる。ただ、外に行ったと想定するにも塾ではなさそうだから、どこに向かったのかわからないと、戻ってくるのかどうかも想像がつかない。
しらみ潰しに探すことになるのかな?
「ま、とりあえず遊んでまわってみればいいよ」
目的地も言わず出発する江里口さんを、ぼくは渋々追いかけた。