III
「簡単な話だね」
「……つまらない話」
ぼくが迫真の演技でドラマチックに語って見せた物語に対し、美人姉妹の感想は淡泊なものだった。
長い音読で乾ききった喉を麦茶で潤してから、推理大会の本番といこうじゃないか。
「その感想、ふたりとも真犯人がわかったのかい?」
うん、と才華と舞華ちゃんの声が重なり、首を縦に振る仕草も重なる。
せえの、で真木殺しの犯人を言ってくれるよう頼むと、ふたりはちらりとお互いを見てタイミングを計り、声を揃えた。
「堂前」
夕飯の肉を焼く良い香りが漂う中に似合わない殺人事件の物語。その真相を言い当てようというふたりには、まったく迷う様子がなく、さも当然という表情だ。ちょっと口を尖らせるその顔は、「どうしてわからないの?」と問うてさえいる。
犯人として挙げられた名前は同じ。しかし、どのような根拠でそう考えたのかが一致していない可能性もある。推理合戦に勝負をつけるには、ふたりの説明の合理性を比較してみるのが良さそうだ。
「じゃあ、ふたりには堂前を犯人だと思う理由を教えてもらわないとね」質問をしておいてから、審判としての立場を明確にするために付け足す。「あ、ぼくは一応まだ真犯人を知らないという建前で訊かせてもらうね。ぼくはこの短編を実際には最後まで読んでいるけれど、読んでいないものと仮定するんだ。だって模範解答は、真犯人を知らない人でも理解できるくらい明快な説明でないといけないだろう?」
回答者二名は承諾の意を示した。
最初に、舞華ちゃんに回答を促す。才華の実力はよく知っているから、妹がどれくらいのものか見てみたかったのだ。発言を求められると、彼女はテーブルに閉じて置かれた部誌を見つめながら、ぼそぼそと口を開いた。
「ひとりだけ……知っていたから」
「何を?」
「……いつ落ちたか」
真木が転落したタイミングを知っていた、ということか。事件現場についての描写には、暗さのあまり誰がいつ突き落としたのか定かではないという旨があった。「気がついたら真木さんの姿が見えなくなっていた」とも説明されている。この事実の裏を返せば、真木を突き落とした人物であれば、その瞬間がいつかわかっているともいえる。
でも、そのようなことを堂前が言っただろうか? どこだったかと考えているとふと才華と目が合って、彼女は自分が発言を求められたと思ったのだろう、ずばり指摘する。
「『転落から少しあと、俺にも聞こえました』と言っているよ」
包丁を探す前の場面と教えられて、冊子からその一文を探す。それは確かにあった。しかも、才華は一字一句そのまま抜き出していた。
なるほど、堂前の発言では、真木の転落とそれに続く金属音との順番が整理されている。いつ真木が落ちたかわかっていたということだ。
「でも、それだけだと根拠として弱くはないかい? 落ちた瞬間を知っていたことと、自分の手で突き落としたのとではイコールではないよね? しかも、金属の音を聞いたという証言は、包丁の存在を肯定していることになるから、犯行方法の一部を自ら明かすも同然! 犯人としては不合理だよ」
舞華ちゃんが首を傾いだ。
「……堂前は菅野を犯人にしようとしている。菅野が料理当番ということも知っていただろうから、包丁の存在はむしろ肯定したかったはず……証言の仕方に致命的なミスはあったけれど」
おお、きょう一番長く喋った気がする!
そういえば堂前は、会計の立場を利用して団体のお金を盗んでいたことをダシに、真木から強請られる菅野を目撃している。菅野が殺人を犯したとすれば動機はそれしかないといえるほどの、有力な情報だ。これを利用して堂前が菅野を犯人として演出しながら犯行に及んだなら、彼の矛盾をはらんだ発言にも説明がつく。料理当番が疑われるよう包丁を使ったのだから、包丁が捨てられた音を聞いたと証言したかったのだ――議論を包丁から遠ざける、より安全な選択肢もあったといえど。転落のタイミングを知っている旨口を滑らせなければ、菅野が犯人とされていただろう。
堂前が菅野を犯人にしようとする積極的な動機、それが堂前自身の殺人というわけだ。なるほど。
いや、これでも充分とはいえない。天才姉妹にはもっと有力な説明が期待できるはずだ。
「まだまだ納得するには遠いよ。もっと直接的な何かがないと。たとえば、ふたりにバレないように殺すための細工とか、真木を殺そうという強い動機とか」
ワイヤーを使って凶器が飛んでくる仕掛けで人殺しをするドラマを観たことがある。推理小説はそういうものがあってこそ盛り上がるものではないだろうか。また、来たる犯人を前にして推理を披露する場面では、追い詰められた犯人が感情を露にして殺人に至った心理を語るシーンがつきものだ。
そうしたワクワクするもうひと工夫を、ふたりなら見抜いているはずだと思った。
「……動機は後回しでも構わない。トリックそのものじゃないから」
ミステリにおいて先達である舞華ちゃんにそう言われ、ぼくは肩を落とすしかなかった。殺人マシーンも断崖の懺悔も、単にぼくの好みの問題であってミステリの本質ではないと切って捨てられてしまった。
「でも、正直ぼくはまだ腑に落ちていないよ」
すると、才華がにっと口角を上げた。
「わたしも腑に落ちないよ。堂前が犯人だっていうのは、ただ作者がそうしたかっただけだろうってことだから」
「は?」
舞華ちゃんをちらりと確認すると、これといって疑問を感じているふうではなく、澄ました顔。姉の意見に同意しているようだ。
「だって、状況証拠しかないって明らかじゃない。唯一物的証拠らしいキッチンの包丁だって、当番でなくても隙を見て持ちだせると菅野が否定しているでしょ? 指紋が調べられているわけでもない。これじゃ状況証拠と変わらないもの」
「ということは、この物語には状況証拠ばかりあって、核心に迫る伏線はないということ?」
「そういうこと。読んだだけではいくらでも説明をつけられる状態だね。事件の真実は客観的には存在しなくて、物語が進んだようにしかありえないの」
それでは推理小説として致命的ではないか! いくら姫川先輩でも執筆に本格的に取り組んでいるわけではないから、完璧なものを書きあげることができなくても仕方がない。中等部三年生のときに書いたというし、クオリティもそれ相応なのだ。
「だから、トンデモ推理もできる」舞華ちゃんの声が明るくなる。「……たとえば、増川が犯人とか」
トンデモ、というからには物語から当然予想される筋書きからかなり逸脱した推理ということだろう。「来なければよかった」と何度も語る主人公の増川を犯人にするという発想だけでも、なかなかとんでもないものだ。
才華にはその発想はなかったらしい、舞華ちゃんに続けて話してもらう。
「堂前が犯人なら、増川と塩崎が車を調べたところは無駄な描写。でも、増川が犯人だと思えば、証拠隠滅をしたともとれる。増川は真木のジュースをこぼしているから。たとえば、ジュースに睡眠薬を混ぜていた……とか。
増川は料理当番。包丁を持ちだせる。包丁を持ってきたのは推理を攪乱して証拠隠滅のチャンスを伺うため……とか。
実は小森を殺したかったのかも。睡眠薬の包装を車の中で塩崎に見せて、動揺した塩崎に殺させたのかもしれない。となれば、包丁もそのために……とか。
動機としては、真木と小森の関係に自分も絡んでいたから、なんてのもアリ。増川が男か女かはっきりする描写はなかったはずだから、真木と小森、どちらでも殺したかった理由に結び付けて説明できる……とか」
「……めっちゃ話すね」
いきなり饒舌になったものだから、呆気に取られてついそう呟いてしまった。指摘されて耳まで顔を真っ赤にした彼女は、表情を隠すようにして手近にあったクッションを抱きかかえる。正直、この子のかわいいさときたら反則ものだ。
クッションの奥でくぐもった声が最後に付け足す。
「……あ、ありえないけどね。語りが犯人なんて……アンフェアだもん」
恥ずかしさのあまりの否定だろう――話すのが苦手なのにあれだけ雄弁に推理を語ったのは、推理の展開で姉に勝って舞いあがっていたからに違いないから。
羞恥に悶える妹には一度落ち着く時間を与えるとして、姉のほうにも意見を訊かなければならない。犯人を言い当てるところまでは横一線の推理対決、このままだとトンデモ推理を披露してくれた舞華ちゃんの側に軍配が上がることになる。
「才華、答え合わせに続きを読んでもいいかな?」
挑発的に問いかけてみる。すると、彼女もまたぼくを挑発するように、にやり。
「嘘言わないでよ、弥。続きなんてないのに」