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IV

 ぼくは炎天下を走っていた。

 ゆっくり歩いて家まで戻っていると、一〇分ほど道のりのうちにせっかく買ったアイスが溶けてしまうおそれがある。いつもならコンビニまで自転車に乗っていたが、いまその愛車は東京だ。ゆえに、やむを得ず歩いて罰ゲームに出掛けていた。

 麗のやつ、ぼくが頼んでも自転車を貸してくれなかった。勝ったのに自転車を貸すために外に出たくないとか、負けたくせに自転車で楽をするなとか。自分が負けたなら自転車に乗っていただろうに。

 麗の好みを鑑みて、バニラ味のカップ入りアイスを購入する。一五〇円也。自分には九八円のアイスキャンデー。

 滝のように汗を流して家に戻ると、勝者はさっきまでぼくが座っていた座布団を枕にして部屋に寝転がっていた。部屋の持ち主たるぼくでさえ、こんなにだらしなくくつろぐことがあっただろうか。

「遅い! しかも携帯持っていかんかったな!」

「え、ケータイ?」

 リュックに触れたくない一心から、ぼくはコンビニに出かけるときも携帯電話に触らなかった。

 身体を起こした麗は、口を尖らせている。

「冷凍庫の写真撮らせようと思ったのに」

 自分の好きなアイスを買わせようと目論んでいたのか。正直持っていかなくて正解だった、きっと一番高い商品を買わせるつもりだったに違いない。

 早く寄越せと手を振るので、ぼくは渋々アイスと木製のスプーンを手渡す。自分のぶんの袋を破くと、中身はすでに溶けかかっていた。カーペットを汚してはならぬと気をつけながら、舐めとるようにソーダ味を頬張る。

 文句を言った割には黙っておいしそうに食べはじめるところは、幼馴染ながらかわいいところであり、同じくらい憎たらしいところだ。

「ぼくがこんなに汗をかいたのに、麗ときたら」

「しょうがないやん、負けたのは弥やもん」

「……そうやけど」

 そんな短い会話のうちに、麗はもうカップの半分を食べ終えている。さすが甘党。

「そうそう、いまさっきベッドの下調べたんやけど、全然エッチなものとかあらへんな。東京に持っていったんか?」

 危うくアイスを食べこぼすところだった。

「なんてことをするんだ! それに、変なものは最初から持っていないよ!」

 知ってる、知ってる、と麗はにやにや笑う。前にも見たことがあるのか、ひどいな。

「いやな、エロ本の代わりにこれを見つけてん」

 麗は早くも空っぽにしてしまったカップを手元に置くと、すっと立ち上がって黄色の紙袋を手に取った。ぼくの心臓は止まりかける。

「ぼ、ぼくの荷物に触ったんか?」

 アイスを食べるのを中断する。汚さないよう置いておく方法を考えて……コーヒーが入っていた空のコップに入れておく。

「弥が何か隠してるみたいやったから、もしかしてここなら弥のお宝が見つかるかと思ってん。そしたらなぁ……これはさすがにあかんわ」

 心臓がおかしな鼓動を打つのを感じながら、ふたりのあいだに横たえられた紙袋に触れる。中を詳しく調べるまでもなく、衣類が入れられているとわかる。ぼくの意識が遠のきはじめた。

「えらい乱暴にしてあったから直しといたで。大事なもんをあんなにしたらあかんよ?」

 ぼくがリュックやボストンバッグに入れておいたはずの、才華の衣類。それらがなぜか、もとあった東京銘菓の紙袋の中に戻ってきている。

 麗が戻したというのか?

「どうしてバレたん?」

 すると、幼馴染は絶望的な嘆息とともに、この夏にして氷点下を感じさせる冷たい視線をぼくに投げかける。怒りっぽい性質のはずの彼女が冷静にしているのを見て、ぼくはまさにヘビに睨まれたカエル、言い訳を考えることもできない。

「いや、ずっとおかしかったやんか。その袋で饅頭やなくて宿題持ってきたんは百歩譲ってホンマやったとしても、通信簿だけリュックに入れてきたのは変や。あのファイルにはそれ以外にも宿題らしきプリントが入ってたのに、わざわざ別にしとくなんて。全部一緒にしとくのが自然やろ?」

 通信簿を入れたファイルは、もとはほかのノートと一緒に勉強道具としてひとまとめにしていた。麗の言うように「自然な」その状態が崩れてしまったのは、紙袋が想定より小さかったからだ。

 麗はいつの間にか通知表とファイルも持ちだしてきていて、ファイルが袋の口より大きいことを実演してみせる。ファイルを平行に袋に入れようとしても、かつん、と縁のところがぶつかってしまう。

「最初に見たときでは気づかんかった。それこそ偶然も否定できへんやろ? でも、リュックサックにファイルが入ってるとわかって、これは怪しい、と」

「そうだよ、どうしてファイルがリュックにあるとわかったの?」

 麗は今度、リュックサックごと引っ張ってきた。そして、紙袋を倒して置いておいた上に、鞄を横たえる。

「こうなってた」

「はあ……?」

 黄色と黒色とが重なった状態。それがどうしたというのだろう?

「この状態はいつのこと?」

「お昼ご飯を食べて、この部屋に来たとき」

 部屋に来て最初、将棋を始める前にぼくは何をしただろうか? 通知表を鞄に戻した? いや、確か荷物が置いてあったところにファイルごと放り投げておいたはずだ。そのとき、鞄は紙袋の上にリュックがあった。

「ああ、そうか」

「な、変やろ?」

「麗が言うようにファイルと宿題を一緒にしていなら、ぼくは通知表を取りだすとき、紙袋だけ触れば充分だった。でも、ぼくはリュックにファイルを入れていた――紙袋の上に重なったリュックがそれを物語っていたということか」

 本来なら、紙袋のほうが上になっていて然るべき。その反対になっているということは、ノートや参考書とファイルとを別々に片づける、少々違和感のある片づけ方をしていたと考えうる。

 麗の説明は続く。

「弥はずっと荷物を気にしてた。携帯電話にも触れへんかったし。写メさせようとメールしたらリュックからメールの着信音が聞こえて、半分はがっかり、半分はやっぱりと思うたわ。携帯というより、リュックに触りたくなかったんやろ?」

 リュックは強引に詰めた荷物のせいで、外から見ても歪に膨れていた。麗に違和感を持たれないためには触らないほうがいいと思ったが、逆効果だったか。

 しかし、リュックに触れなかったのにはもうひとつ理由がある。

 そして、それも麗にはバレてしまっていた。

「もしそうやったら、紙袋には最初何が入ってたか? 荷物を調べたらこれや。さあ、ここからが本題。弥、全部説明してもらおうか? ふたつ隠そうとしてたんやろ? ――女物の服と下着を持っていたことと、同じくらいの歳の親しい女がいること」

 その通り。才華からの着信だと知られたくなかったのだ。



「はあ? なんやそれ!」

 案の定、ぼくの釈明が終わるより早く、麗はいきり立って声を荒げた。

「同級生の女子と暮らしてるなんて聞いとらん! 親戚のところに下宿してることしか知らんかった!」

「ぼくも麗が知らないとは思っていなかったよ……」

 麗にはやはりこうして大声を出して怒っていてもらいたい。ぼくの幼馴染といえば頭に血が上りやすい、賑やかな女の子だ。静かに問い詰めてきたときはどれだけ恐ろしく感じたものか。そういう意味では、怒ってもらってちょうどよかった。怒らせないようになどといろいろ考えを巡らせていたけれど、そうやって思案すること自体楽しかったし、少なからず憤る彼女を楽しみにしていた節もある。

 これでこそ大阪に帰って来たと実感できてしまう。

「え? どうして秘密にしてたんや? しかもこんなものを持ってくるなんて……説明できんような関係とちゃうんか?」

 ガラの悪いチンピラのような口調に、ついつい笑いを堪えきれなくなる。

「だから、秘密にしていたわけではないよ。それに才華ははとこ、いやらしい関係なんてありえない」

「秘密にしてたやんか、たったいま! しかも、また下の名前で呼び捨てに!」

「ええやん、才華がそう呼べと言うてるねん」

 呼び捨てに、似非大阪弁。あえて麗の逆鱗に触れる。そうそう、こうやって怒った彼女に挑発することが日常のささやかな娯楽だったのだ。

「この……アホ!」

 ついに尋問が意味のない罵倒へと成り下がり、ぼくに素足で蹴りを入れてくる。ぼくは寸でのところでそれをかわす。しかし蹴りは何度も降り注ぎ、やがて逃げ切れなくなって、脇腹に痛い一撃を食うことになる。大騒ぎしているとそのうち母さんから叱られてオチがつく。何も女の子に蹴られたい趣味を持っているわけではないけれど、これがまた懐かしくて心地よい。

 ああ、帰ってきてよかった! 帰ってこられてこられてよかった!



『そっか、やっぱり間違えていたんだ』

 その晩、麗がお風呂に入っているうちに才華に電話をかけた。こそこそ連絡していたと知れたらまた怒らせてしまいそうだが、ぼくの過去の経験から、彼女の長風呂のうちに通話を終えることができると踏んだ。

 昼間のうちに折り返さなかったことを詫びて、電話の用件を訊くと、やはり紙袋の件だった。間違いはすぐにはっきりした。才華の手元には、ぼくが手土産にするはずだった二箱の東京銘菓があるという。

「ごめんね、ぼくのところにあって困るものはなかったかい?」

『ううん、全然平気』

 下着については大丈夫じゃないと言ったほうがいいと思う。

 正直、今回の件は袋を取り違えたぼくだけでなく、ややこしい荷物を用意していた彼女にもある程度非があったと言わせてほしい。いくら衣装持ちでも、キャリーバッグやリュックサックがあっても入りきらないほどの衣服は、絶対に要らなかったはずだ。その余計なひとつさえなければ、ぼくは麗を騙そうと腐心せずに済んだだろう。

 しかも、普通鞄の奥底に入れておきそうな下着類まで紙袋で持ち歩こうとしていた彼女の神経には、開いた口が塞がらないというものだ。紙袋だけに。

『というか、弥は困らない? お菓子、そっちに送ろうか?』

「届いてもよう食べんわ……」

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