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I

「へえ、じゃあその(うらら)ちゃんとも久しぶりに会えるのね」

「はい、三月以来久しぶりに。ぼくが帰ったら、きっとお好み焼きをやりますよ。この前ぼくが焼いたのも、実は二ツ木(ふたつぎ)家流の焼き方なんです」

 点けっぱなしにした居間のテレビが帰省ラッシュの見込みを報じている。ピークにはまだ早いとはいうけれど、すでにラッシュは始まっていて、ぼくのこれからの旅路も過酷になると想像される。

 靴紐を結びなおし、長旅に備える。通学用の革靴と一緒に三月に買ったこのスニーカーも、すっかりくたびれてしまった。この帰省を最後に買い替えるようかな。

「そういえば、おばさん。才華は?」

 同じく実家に帰る才華とは一緒に出発する予定で、東京駅まで同行するつもりだった。支度を先に終えたぼくは、玄関で彼女を待っていた。ここで汗をかきたくないので早く用意してほしいのだけれど。

「さあ、また何か調べ物を始めちゃったんじゃないかしら?」

「そんな、出がけなのに……」

 お盆を跨いで二週間ほど大阪に戻るので、その前に才華とは顔を合わせておきたかったけれど、この調子だと叶わないかもしれない。共同生活が始まって数か月、この二週間の別れを長いとみるか、短いとみるか。

 まあ、才華が本当に調べ物に没頭してしまっているのかはともかくとして、女の子なら出発直前でもいろいろとやることがあって準備が長引くこともあろう。

 ボストンバッグを肩にかけ、リュックサックを背負い、紙袋を手にする。黄色の紙袋の中身は、幼馴染の希望で買ってこいと命じられた、雛鳥をかたどった東京銘菓である。駅で大荷物を背負いながら土産物店を物色するのは億劫だったので、きのうのうちに隣町のデパートで買っておいた。久米家用と二木家用の二箱、大きな黄色の紙袋に入れられている。

「あれ? どうしてふたつ?」

 ぼくの持った袋には二箱ちゃんと入っているから、もうひとつは別の用ということになる。才華がこのお菓子を持って帰るとは聞いていない。

「お店で袋を二枚もらっておいたでしょう? 才華ちゃんがひとつ欲しいっていうからあげちゃった。困るかしら?」

「ああ、そうなんですか。別にいいですよ、どうせ隣の家ですし、正直ちゃんと袋に入れて渡すほど気を遣う付き合いでもないので」

 見ると、余ったもうひとつの袋には、何やら布のようなものが入っている。

「これ、洋服ですか?」

「そうみたい。才華ちゃん衣装持ちだから、バッグに入りきらなかったのね」

 才華の荷物はすでに玄関に置かれていて、小さめのキャリーバッグとリュックサックが置かれている。それだけあって入りきらないとは、いったいどれだけ持って帰るつもりなのか。洋服がかさばらない夏、自分の家に帰るのだからそんなに要らないはずなのに。

 とはいえ、外泊するのに荷物を多く持ってしまう気持ちはわかる。ぼくも何かと大荷物になってしまった。

「弥くん、急いだほうがいいんじゃない? 大阪でお父さんたちと約束した時間があるんでしょう?」

「あ、そうや! いつまでも才華を待っていられへん!」

 新大阪駅に到着するぼくを、両親が車で迎えることになっている。乗車券は自由席でも、乗る予定の便は伝えてあるから、遅れないように乗らないといけない。窪寺駅から東京駅までの移動も考えると、そろそろ急いだほうがいい。

「じゃあ、才華! 悪いけどぼくは行くよ!」

 はあい、と二階から返事が聞こえたような聞こえなかったような。

 顔を合わせておきたかったなあ。

「またね!」

 おばさんにも挨拶してぼくは家を出た。



 えらいことになった。

 富士山を横目に眺めながら、ぼくは心の中でそう呟いた。

 本当に大変なことなのでもう一度。

 えらいことになった。

 家を最初に出たときは、急ぎはしたもののまだ余裕はあった。しかし、まさか新幹線の切符を自分の部屋に置き忘れているとは思わなかった。不幸中の幸い、窪寺の駅前で忘れ物に気がついて、ぼくは大慌てで取りに戻った。

 そのときだ。

 そのときに慌てすぎて、確認を怠ってしまった。

 入れ替わったのはそのときに違いない。最初に家を出たとき、ぼくは自分の持つべきものを手にしていた。ぼくがチケットを回収したとき、確か、才華はまだ家を出ていなかったはず。

 間違いない、ぼくは紙袋を取り違えてしまった。

 ぼくの手元には、お菓子の箱の代わりに才華の衣類が入った紙袋がある。

 これは参った、これでは麗から大目玉を食らう。ぼくの幼馴染はあの素朴な饅頭が大好物の甘党で、しかも不機嫌にさせると非常に面倒くさい。些細なことでも根に持つきらいのある彼女が一度拗ねてしまえば、あの手この手で三日は機嫌を取らないといけない。

 それにしても、気がつくのが遅かった。熱海を過ぎたころにようやく紙袋の感触に違和感を覚えるなんて。焦りのあまり気が回らなかったのはまだ仕方ないにしても、新幹線に乗ってからリラックスしすぎたのは完全に失策だ。

 問題はそれだけではない。

 袋を取り違え、お菓子を持っていないだけならまだ弁明の余地がある。

 しかし、その袋に下着が入っていたとなると……麗に言い訳しても聞いてもらえないかもしれない。

 取り違えた袋の中に大切なものが入っていたら才華が困るだろうと思った。だからぼくは、袋の中に何があるか、隣に座る人の迷惑にならないよう気遣いながら調べてみた。中身を取りだすことはできなかったから、手を突っ込んで探るような方法になって……奥のほうにあった手触りに、ぼくは肝を冷やした。

 ごめんよ、才華。図らずも才華の下着に触れてしまった。これが家族ならまだしも、幼き日に会った記憶も定かでないほどの遠い親戚、まして同い年の異性だなんて、ひどい話だ。同居人として申し訳ない。

 しかし、間違えて持ってきた事実も、触ってしまった事実も覆せない。

 過ぎてしまったことはどうしようもないのだから、それよりも、このあとの対策のほうがよっぽど重要になってくる。

 麗の目をどうやって誤魔化すか!

 事態をさらに悪化させるのは、幼馴染の彼女にはぼくと才華との同居を伝えていないという事実だ。久米家と二ツ木家は家族ぐるみの付き合いだからその話が共有されている可能性は高いものの、麗からその話を振ってきたことが一度もない。もし麗が知ったなら電話やメールでからかってきそうなものだから、そもそも知らないということだ。

 事情を知らないあの子がぼくの荷物から女性下着を見つけたら?

 想像するだけで恐ろしい。

 麗はきっと、ぼくの家の前で待っている。彼女の自宅のすぐ隣にあるぼくの実家は、彼女にとって第二の自宅といっていい。ぼくと一緒に家に入り、ぼくの部屋に入り、そこに置かれる荷物を目にすることになる。

 置いておくだけなら問題はない。中身が見えなければいい。ぼくが女性の下着を持っていたとしても、麗が気づかなければ問題にすらならないのだから。

 しかし、紙袋は口が閉じない。そこから覗く、明らかに女物の洋服。目敏い麗なら、当然気がつくことだろう。そして、万が一にも中を調べることになって、下着を発見しようものなら――ああ、ぼくは二度と大阪に帰れなくなるかもしれない。

 ということは、麗の目に触れさせないために、この紙袋をまず部屋に入れないことだ。たとえば、車にわざと置きっぱなしにするとか。でも、それではまだ危険だ。誰かが置き忘れに気がついてしまうと意味がない。それなら、そもそも家に持ち帰らないために、新大阪駅のロッカーに入れておくとか。これが最善手か?

 いいや、ダメだ! 両親は入場券を買ってホームで待つと言っていた。これではロッカーに入れている暇がない。高校生の息子にそこまですることはない、と待ち合わせの約束をしたときに釘を刺しておけばよかった。

 そもそも、ロッカーがすべて使われていたらこの作戦は使えない。一切のリスクを想定して回避しなければ、どこかで綻びが出てしまう。完璧な方法で隠しきらなければ。

 家から離れた別の場所に置いておくことはできない。持ち帰ったうえで、麗にバレないようにするのだ。とはいえ、話術で麗を遠ざけておくというのでは不確実。

 せめて家の中で麗から遠ざけるには? 彼女はきっとぼくの部屋に入る。だからぼくの部屋から黄色いブツを離しておけばいい。どこに置けば自然だろうか? そうだ、両親に先に渡してしまえばうまくいくかも。「お菓子買ってきたよ、お茶と一緒に出してあげてよ」という具合に。そして、「弥! これお菓子じゃないよ!」となれば、麗に見つかるよりはマシだ。両親は才華との同居について知っているから、笑ったり驚いたりすることはあっても、怒ることはなかろう。

 でも、根本的な解決にはなっていない気がする。麗のことだから、ぼくが同級生の女の子との同居を内緒にしていた事実に立腹するだろう。ぼくはそもそも彼女を怒らせたくないのだから、それでは失敗と変わらない。

 仕方がない、この里帰り中に本当のことを話すとしよう。そのかわり、下着の件がバレないことが保証され、落ち着いた状況をつくってからだ。

 さて、問題解決はまだ遠い。手立てはないものか?

 せめてこれが紙袋ではなく、ファスナーなどで密閉できるものだったらよかったのに。すぐには気づかれないから、麗がぼくの家を去るまでの時間稼ぎさえすれば済んだ。黄色い袋にデザインされた無表情の雛鳥が忌々しい。


 うん?

 そうだ……!

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