その6
密集する商業施設をつなぐ駅前のペデストリアンデッキには、週末とあって家族連れやカップル、休日を楽しむ学生のグループなどが行きかっている。炎天下を避けて建物に入ろうとして、人々は心なしか早足だ。
日陰に見つけたベンチに座り、持参していたペットボトルのお茶で喉を潤す。すでに半分も飲んでしまった。当然カンカン照りの日差しの下にいたくはないのだけれど、人が多いビルの中ではかえって落ち着いて座って休めない。疲れた脚を休めるには、しばし暑さに耐えたほうがいい。
笑顔でぼくの前を通り過ぎていく人々を眺めながら、ひとり、ぼくは寂しさ……いや、虚しさを噛みしめる。ぼくはどうしてひとりにならなければならない? 本来ならぼくも休日を楽しく過ごす側になれたのに。
お昼もひとりで食べることになるかな。駅の立ち食いソバでいいだろう。この天気なら、冷やしたぬきなんかがおいしいだろう。でも、まだお昼ご飯を食べるには早い。
「お、奇遇だな。久米じゃないか」
デッキを歩く若者のうちのひとりは平馬梓だった。
「平馬はひとり……ではないよね」
「うん、あたしもいるよ」
ぼくに気づかず行き過ぎようとしていた江里口さんが数歩戻って顔を見せた。夏休みの日曜日、平馬と江里口さんはデートをして過ごしていたらしい。高校一年の夏の過ごし方としては、羨ましい限りだ。
「こんなところで何してるの? 家入と待ち合わせ?」
待ち合わせなんかしなくても、才華とは家から一緒に出掛けられる。
才華のことを話題に挙げられて、はあ、と息が漏れた。
「え、どうしたの? 家入と喧嘩でもした?」
江里口さんが心配してくれるほど深刻な事態ではない。それに、喧嘩とは言わないまでも、ぼくがこうして単独行動する羽目になる原因を作ったのは、才華ではなく別の女の子だ。
「ふたりは蓮田さんって知ってる? F組の」
すると、目の前のカップルは苦笑を浮かべて、「よく知ってる」と声を揃えた。
「中等部で二年間クラスメイトだった」と平馬。
「梓と仲が良かったから、そのつながりで」と江里口さん。
これなら話が早い。やりきれない思いを話せると思うと気分が高揚して、ぼくはふたりに一時間ほどの経緯を捲し立てた。
「あのな、才華が蓮田さんと補習で知り合って、蓮田さんから買い物に行こうって誘われたんや。才華はお洒落だから、洋服選びを手伝うてほしい言うて。そやけど才華は蓮田さんがあんまり得意やなくて、ふたりきりは気が乗らへんから、ぼくも一緒を条件にOKしてん。それで三人でここに来たんやけど、蓮田さんは自分が才華を誘ったのに、ぼくが買い物についてきて、才華と仲良うしているのがおもんないみたいで。邪魔者やって冷たい視線で訴えてくるから、こうしてひとりに……」
蓮田さんを知っているふたりであれば、ぼくの不遇に共感してくれるのではないかと思った。しかし、実際に顔を上げてみたときのふたりの表情には、好奇の色が浮かんでいた。
「家入がクラスメイトと買い物なんて――」
「家入ちゃんのファッションセンスか――」
凸凹コンビのイメージが強いふたりは、ここぞとばかり声を重ねていた。
「面白そう!」
エスカレータでビルを上る。デパートが多いこのあたりでも、駅ビルの上のほうの階なら高校生にも手の届く値段の洋服屋さんがある。まだふたりと別れてからさほど時間は経っていないから、まだ別の店に移ってはいないだろう。
ぼくについてくるカップルは、友達とお出かけ中の才華をひと目見ることを楽しみに声を弾ませている。
「家入ちゃんが友達と買い物かぁ。しかも相手は蓮田」
「祥子のことだから、いろいろ振り回して困らせているんだろうな。家入の困り顔は見ものだぞ」
「家入ちゃん困るだろうなぁ、ファッションにも興味なさそうだし」
「いや、それが家入って案外洋服のセンス良いんだよね、悔しいけど」
「中学三年間の友達だけあってよく見ているな」
「梓の目は節穴か?」
また犬も食わない言い争いを始めそうなので、ぼくが話題を軌道修正する。
「才華ってお洒落さんなの?」
「そう思う。校外学習のときに着てくる私服とか見ると、侮れないなって。たぶん、流行に興味はなくとも、直感的に自分に似合う服をわかっているよ、あれは」
江里口さんが才華を褒めるとは珍しい。しかし言っていることには心の底から同意できる。
才華は雑誌ひとつ読まないくらい、流行には鈍感だ。それでも洋服を選んで着ることは大好きなようで、それゆえ衣装持ちだ。彼女が外出するときの服装は常に適切に季節を先取りし、同じものを着ていても同じようには着ない。毎回違った趣のあるコーデを完成させて現れる。
だから江里口さんの意見には同意したいのだけれど、ぐっと我慢して知らなかったふりをするのがむず痒い。彼女の服装の仔細を知っていることがバレると、同居生活を示唆することになりかねない。
ただ、ふたりが才華に対して抱いているイメージにちょっとだけ異を唱えるくらいはさせてもらう。
「でも、それだけお洒落が好きなら、売り場でもきっと――」
「あ、この階だよ」
江里口さんの声にぼくの指摘は遮られる。目的のフロアに到着だ。まあ、ふたりには驚いてもらったほうが滑稽かもしれない。
バカップルは身を屈めてフロア内を移動しながら、才華と蓮田さんを捜索する。物陰からふたりを覗き見して面白がるつもりなのだろう。さっきまで一緒にいたぼくまで隠れる必要はないとはわかりつつも、ぼくもこっそり移動した。
「あ、いたいた」
最初に才華たちを発見したのは江里口さんだった。
ファストファッション店らしい大量の洋服が並んだ棚から蓮田さんが探しているのは、どうやらトップスのようだった。柄や色に違いはあれど、似たような形をしたその中から自分に似合うものがないか迷っているらしい。
「Tシャツなら数があるから大丈夫なんだけど、上に着るものにバリエーションがないんだよね。組み合わせによっては一緒に着られないものもあるじゃない? もう秋物を買わないといけない時期だし……そうなると一層自由がないというか」
才華にアドバイスを求めているのだろうけれど、その才華は一歩引いたところで棚を眺めているだけで、興味がなさそうだ。
「思った通り、テンション低めだな」
「ああ、蓮田が困っていてなんか面白い」
江里口さんと平馬が感想を述べる。ぼくとしては意外なのだけれど、もう少し見守ることにしよう。
蓮田さんは適当に手に取ったシャツを広げて身体に当ててみる。ミントのアイスを思わせる水色と黒のチェック柄は、それ自体は悪くないデザインなのだが、蓮田さんに似合うかと言えばイマイチだ。鏡を見た彼女もそう思ったらしく、才華の意見を聞くまでもなく畳んで棚に戻した。
あれはないな、と江里口さんが呟くので尋ねてみる。
「蓮田さんのセンスってどうなの?」
「微妙。無難にやって何とかするか、お洒落をしようとして子どもっぽくなる感じ」
彼女のファッションは袋小路ということか。
見るに、子どもっぽいというのもわかる。ジーンズ生地のシャツと白いスカートの組み合わせ自体はちょうどいいのだが、スカートの形が悪い。膝上の丈で、ふわりと広がる形が上衣と併せて制服を思わせてしまう。
いや、何よりもまずいのは――髪を束ねるリボンだ。ファッションに疎いぼくでもわかる。トレンドとはいえ、さすがにまずい。
蓮田さんはコーナーを移ってブラウスを手に取るが、これも気に入らないらしい。
「どうしよう、どれを着ても子どもっぽい。才華さんみたいにはいかないよね」
自覚はあるようだ。
それから彼女は、諦めたような嘆息を吐く。
「やっぱり顔が悪いのかな? この童顔、どうにかできればいいのに」
すると、その言葉につかつかと才華が歩み寄ってくる。突然態度を変えて近寄ってきた才華に、蓮田さんは怯んでしまう。
「さ、才華さん?」
「子どもっぽいとわかっているなら、こんなもの外すこと。これが致命的なの」
そう言うと苛立った剣幕の才華は、蓮田さんの髪からリボンを外してしまった。「わあ」と悲鳴を上げて頭を押さえる蓮田さんだったが、間に合わない。ハーフアップにまとめた黒髪が広がって肩に落ちる。
「え、でもこれ流行りだし……」
「じゃあ、アツコさんは流行に殺されていたのね」
祥子なんだけど、と訂正する彼女を無視して、才華はいくつかブラウスを取りだす。反対側の棚にも行って、シャツも二枚取りだす。それから蓮田さんを引き連れて別の棚にも行き、ワンピースやスカート、ショートパンツまで持ちだしてくる。ほんのわずかな時間のうちに、蓮田さんの両手は洋服でいっぱいになった。
「はい、これ持って試着室に行く」
「え」
「全身改造するくらいでないと解決しないから。ほら、早く」
「は、はい……」
これは予想以上だ。着道楽の気がある才華ならノリノリで洋服選びを手伝うだろうとは思っていたけれど、まさか蓮田さんの全身コーディネート指導までしてしまうなんて。
乗り気ではないだろうと思っていた江里口さんと平馬にとってはこれ以上ない光景だったらしく、ふたりはなんとか声を殺そうとしながらも、堪えきれずに口を押えて肩を震えさせている。目に涙を浮かべるほどとは、よっぽど面白かったらしい。
しかし、これでバレないはずがなかった。
「で、弥たちは何をしているの?」
蓮田さんを試着室へ押し込んだ才華が、輝かんばかりの意味ありげな笑顔でこちらを振り返った。
「ありがとう、才華さん! 自信がついたよ!」
才華の手をがっちり掴んだ蓮田さんは、その手を激しく上下に揺する。彼女は、それまで挑戦したことのなかった大人っぽい着こなしを才華から学び、才華が提案した三組の洋服をすべて購入していた。当初予算の倍以上の出費になったそうだが、彼女は満足そうに「お年玉を奮発する価値はあるよ!」と笑顔で話した。
頑張れ蓮田さん、大人の着こなしまで道のりはまだまだ続く。
ちなみに才華に見つかった江里口さんは、才華が「罰ゲーム」と称して買ったリボンを頭に付けていた。最初抵抗した江里口さんだったが、面白がった平馬にも押し切られ、白黒の水玉模様の大きなそれを付けざるを得なかったのだ。
それは確かに、正直言って――致命的だった。
【登場人物 File.05】
○蓮田祥子 ――1年F組 吹奏楽部、文化祭実行委員
才華のクラスメイト。F組の出席番号は、才華が最初で祥子が最後。周囲に迷惑をかけておきながら好かれてしまう、一種の超能力を持つ。ドジで要領が悪く童顔な自分を乗り越えて、カッコイイ大人の女性になることが目標。いまのところ、憧れの女性につきまとってその秘訣を実証研究中。
「女の子が好きというより、男が嫌いなだけだよ?」
☆蓮田(←レストレード)+祥子(←George、レストレードのファーストネームの推定)