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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.06 かんげき
29/64

IV

「またね! メールするから!」

 大きく手を振って、蓮田さんが遠ざかっていく。一日中しつこいほどの好意を浴びせられて疲れ気味の才華は、メールアドレスを交換することで別れを惜しむ彼女を満足させた。さんざん邪険にされたぼくも連絡先を渡してある。彼女は正直にぎやかすぎて、言動が極端な傾向のある人だけれど、悪く言うことができないのは、人柄がすこぶる良いからに違いない。癖になりそうなくらい、楽しい魅力がある。

 そんな彼女のおかげもあって、きょうは結局最後の団体までプログラムを見てしまった。最初に来るときにはあまり期待していなかったのに、最後まで見てみれば大満足だった。演劇ファンになってしまうかも。

 ぼくたちも踵を返して、駅に向かう。帰り道の話題には、足立先輩の心情に関する才華の一考について聞かせてもらおうと思っている。どうして些末な痴話喧嘩が気になったのかも訊いてみたいところだ。

「ねえ、そこのふたり」

 ぼくの思惑は中止となる。

 ぼくたちを呼び止めたのは、文句のつけようがない正統派の美女。大きな瞳と左の目元の泣き黒子、細い眉や透き通るような肌、長い手足といったパーツの均整がとれていて、ぼくより少し背が低いにも拘わらず才華と同程度かそれ以上にスタイルが良い。大人っぽい水色のブラウスと白のロングスカートが眩しく、黒く長い髪も傾きかけた陽光に輝いている。髪をサイドテールにまとめる紫のふわふわとした髪留めは、このごろ流行りのシュシュといったか。全身どこを見ても美しさのあまり、向かい合うだけで気恥ずかしくなり、目のやりどころに困ってしまう。

「お茶しない? 少し話してみたいと思って。もちろん、先輩として奢るから」

 足立愛莉、天保高校の大女優だ。



「きょうはありがとう、わざわざ観に来てくれて」

 足立先輩に連れられて入店した喫茶店は、木目調の内装や観葉植物、天井のファンなどがお洒落な、テレビか本でしか見たことのないような、綺麗な店だった。中学生のころに何度か利用したコーヒーチェーンとは段違い。正直落ち着かなくてきょろきょろしてしまう。

 隣に座る才華は落ち着き払っている。足立先輩の誘いに乗ったのも、ぼくというより才華の気が乗ったからだ。

「ケーキとか頼んでもいいよ」

「ええと、ぼくたちは夕飯もあるので」

「真面目だね。まあ、私が引き留めたんだから、長居させたら悪いか」

 くすくす笑う姿は上品で、一歳しか年上でないとは信じがたい。

「舞台からぼくたちが見えるものなんですか?」

「それなりにね。きょうは天保の生徒も多かったね。その中でもふたりはいつも見ない顔だったし、イベントの最後までいる人はいないと思っていたから、声かけたくなって」

 お冷を持ってきた店員さんに注文を伝える。三人ともコーヒーだ。

「で、本心は?」

 唐突に才華は先輩に問う。問われたほうは、一層にこやかに口角を上げる。

「本心って?」

「わたしたちに声をかけようとした理由です。わたしたちでなくても、そういう人はいたと思います」

 先輩は短く声を出して笑った。訊くまでもないだろう、ということだ。

「それは当然、藤宮と話していたから。なんていうの? お礼というより、ごめんなさいだよね。演技と違って、見苦しいところを」

 足立先輩は藤宮先輩の動きを見て予測していた。店内から劇場前での出来事は見えていたように、先輩からも店内にいる四人組が見えていたということだ。座席で見つけたときは特に意識しなくても、藤宮先輩と一緒にいたなら印象にも刻まれよう。

 謝るほどではないにせよ、恋人との喧嘩を見られて相当恥ずかしかったのだろう。先輩は気まずそうに、どこか寂しさを浮かべながら声を細くする。

「わかったと思うけれど、ああいう奴だからさ。気分を悪くしたと思って。コーヒーくらいでお詫びにしようっていうのも図々しいかな?」

 気まずそうな先輩に、ただ恐縮するしかない。奢ってもらうつもりはないし、謝罪されると知っていたら付いては来なかったと伝えると、彼女は小さく首を横に振って、穏やかに微笑んだ。

 それにしても恋人からもこの言われようとは、藤宮先輩もよっぽどの人だ。交際がうまくいっていないからだろうか? まあ、藤宮先輩の性分が褒められたものではないことには頷いてしまうわけで、そのせいもあって面倒は多かったと想像できる。

 アイスコーヒーが届けられて、一旦話を中断する。上等な店のおいしコーヒーは、優しい気持ちになる香りを感じられる。

「それくらいの相手なら、ひと思いに別れを告げればよかったのでは?」

 ずばり核心を衝く問いを投げかける才華に驚いて、危うくコーヒーを噴き出すところだった。せっかく一服して緊張がほぐれたところだったのに。

 怒らせるのではないかと思ったが、直球を受けた先輩も豆鉄砲を食っていた。

「ま、まあそう言われればそうね。脅しなんかかけちゃって、熱くなりすぎ。浮気だって詰め寄るそのときは、まだ好きだったってことかな」

 つまり、いまはもう好きではない、と。それもそうか、復讐に写真を撮ろうとする彼には、千年の恋も冷めるというものだ。

「熱くなったって、本当ですか?」コーヒーには目もくれない才華は、先輩の顔をじっと見つめている。「藤宮さんに写真を撮られないよう先回りして、後ろ手にメールを送るようなことができたのに?」

 才華が妙に好戦的な気がする。肘で軽く小突いて咎めてみても、顔色ひとつ変えない。確かに、ぼくとしても先輩の本心が「気になる」ところではある――あの騒動を起こしたのは嫉妬なのか、駆け引きなのか。

 さてどのような態度に出るのかと思えば、足立先輩は平然としている。それどころか、ちょっと面白がったふうに照れ笑いする。

「私にそういうところがあるのは否定できないかな。カッとなると、ついやりすぎちゃうっていうか」

「走り去る車を写さないようにうまく撮りましたね」

 車は蓮田さんの背後から来たと聞いた。足立先輩は蓮田さんを後ろから写真を撮っているので、走り去る車をフレームアウトさせるには工夫が要ったはずだ。

 それを含めて、足立先輩が藤宮先輩を困惑させるためにとった行動には、計画性があったとも考えうる――ということを才華は言いたいらしい。

「私を名女優だと言ってくれているのなら光栄ね」天保の大女優は動じない。「私も普通の女の子だから、そこまでできないと思うのだけれど」

 才華は首を振った。そうではない、と険しい表情で訴える。

「写真もメールも、事前に計画して、冷静に状況を見ながらやっていたとしか思えません。藤宮さんはもちろん、文化祭実行委員の後輩のリョウコさんもきょうのイベントに来ることは予想できたはずです。藤宮さんが自分も写真を撮ってやり返そうとすることだって、付き合いの中で性格を理解していれば予想も不可能ではないでしょう? 誰かに写真を送るなんて警告、本当にそうする気はなくて、藤宮さんを煽るためだけのこと」

 リョウコさんじゃないよ、祥子さんだよ。

 演劇部員のみならず実行委員長の顔を持つ二年生は、へえ、と感心したように声を漏らした。

「そっか、そう思ったのね。なら、私の目的は?」

「そんなの簡単な話――別れること。それも、自分の落ち度でない口実を作ったうえで。藤宮さんに浮気の疑いをかけ、なおかつそのあとの写真のことがあれば、愛莉先輩は自分から別れを切り出し、しかもそれを相手のせいにできるほど有利な立場に立てる」

 浮気の疑いはそれだけで、破局の口実にはなる。ただ、それが疑惑に終わって、周囲が足立先輩の勘違いだったと判断したなら評判はがた落ちだ。それを避けるには、より決定的な藤宮先輩の汚点を見つけたい。それが彼の未遂に終わった仕返し――これを根拠に、性格に難があって別れたくなったと主張できる。

 才華の解釈の通りなら、それこそ「やりすぎ」ではあるけれど、足立先輩が高度な駆け引きを展開していたことになる。藤宮先輩とは別れたい、でも自分の恋愛遍歴に傷をつけたくはない。ゆえに、彼が彼氏として不適格であると示すエピソードを演出した。

 でも、それほどの相手の本心を言い当てたのなら恐ろしい目に遭わされそうだし、濡れ衣であったならそれはそれで怒らせそうだ。ドキドキしていると、足立先輩は大きく息を吐いて、

「大丈夫、怒っていないから」

 とぼくに向かってウィンクした。

「まあ、別れたかったのは本当ね。藤宮のせいにして別れを切り出したかったのも」

 彼女が気を立てていないようで、ほっと胸を撫でおろす。正直、口封じの条件でも言ってくるかと思った。

「藤宮にバレないように演技していたけれど、藤宮の挙動を見てそう気づかれたんじゃ敵わないなぁ。私これでも、演技派を自負しているつもりなんだから」

 演技。彼女は日常生活の中でも演技をしているというのか。それはもはや、演技派という括りで語れるものではない。

「でも、さすがに私の演技に期待しすぎ。脚本はなかったの、つまりアドリブ。だって、祥子ちゃんと藤宮が遭遇することはある程度予想できたとしても、車が来てあの写真が撮れるという保証はなかった。それに、もし藤宮が仕返しの写真を撮ろうとしなかったら、私の目的は完全には果たされなかった。結局のところ、偶然の積み重ね。こんなに都合よくいくなんて、自分でもびっくり」

「…………」

 これには才華も口籠る。才華の考えにおいては、足立先輩がその通りに行動するという期待が大きすぎる。偶然に頼るところが多かったから、推理というよりは、筋道を通せる一説に留まっていたかもしれない。

「わかる? 事実そうだったんじゃなくて、そう見えただけってこと」

「そう見せていたのではなくて?」

 しばらく神妙な顔つきだった先輩が再び相好を崩した。

「そんなに私の演技を評価してくれるなんて、嬉しい」

 才華の追及は続かなかった。

 じゃあ、とぼくから切り出してみる。

「少なくとも意図については才華の理屈を否定しないんですよね。なら、どうしてそうまでしたかったんですか? 恋愛沙汰で悪い評判が立つのは嫌だろうと思いますが……」

 怒っていないというので訊いてみたものの、危うく琴線に触れかねない質問だったようで、彼女は「大胆に訊いてくるね」とチクリ。心臓が縮み上がる。

「女優はイメージ商売だもの、スキャンダルはご法度。でも同時に、モテないと話にならない。これは二律背反ともいえるけれど、私としては、どちらも取りたい。言ってみれば、恋の綱渡りをするのが大好きなの」

 後輩二名、唖然とするしかない。

「私が男をとっかえひっかえするとは噂で聞いたことがあるんじゃない? でもね、誤解してほしくないの。私は移り気に恋を愉しんでいるわけじゃない。私はね、誰かと恋をすることそれ自体が好きなんだ。私のために誰かが熱を上げているのを見ると、ああ、幸せだなって思えるから。しかも、その人にできるだけ自分を好きでいてもらえるようにする駆け引きって――すごくスリリングで気持ちがいい。この快感、わかってくれるかな?」

 共感も何もない、ぼくは恐ろしくなってしまった。男を手玉に取りたい、と言っているようにしか聞こえない。

「変態って思った? ……そうかもね。誰かに愛される刺激を求めて飢えているなんて、女子高校生としては異常。自分でもそう思う。でも、やめたくないの。本当に気持ちのいいことだから」

 隣の天才少女を伺う。口元がひきつっている。彼女でさえこのリアクション、ぼくはどんな顔をしているのやら。

 ぼくたちの反応を見て、面白がるようににっと白い歯を覗かせた足立先輩は、ぐっと身体を乗り出す。才華に顔を寄せ、ぼくの心拍が急激に早くなる。

「私これでもヴァージンなの。このことも勘違いしないでね」

 囁くようなひとことに、いよいよ身体が強張ってしまう。からかうにしても程度というものがある。まず、からかわれているということは、主導権はすっかり彼女の手中にあるということだ。彼女の恋愛観に怯みすぎた。

 笑いが止まらない様子の先輩は身を引いた。

「いやね、冗談なのに本気にしちゃって。ピュアでかわいい」

 そ、そうだよね? 冗談だよね?

 これでようやく緊張しっぱなしの時間が終わるかと思ったら、そうもいかない。

「でも、才華ちゃんだっけ? そういうところ、かわいくて好き」

「え」

 唐突に好きと言われ、才華は呆気にとられる。

「実はね、藤宮のことを謝りたかったっていうのも冗談というか、ほんの口実なの。本当は、客席に私好みのすごくかわいい子を見つけたから、声をかけたくなっちゃって。私、恋ができるなら男も女も関係ないの。あ、赤くなってる……思った通りかわいい」

 かわいいと連呼され、頬を真っ赤にする。才華のこんな表情、ひとつ屋根の下で四か月も過ごしているのに、一度だって目にしたことはない。

 きょうの才華は才華らしくない。他人の色恋沙汰に首を突っ込むし、足立先輩にペースを握られて当惑する。良くも悪くもマイペースで、自分を崩さない彼女がここまで心を乱され、隠すこともできないなんて。

「もう、冗談だって言っているのに……演技よ、演技。すごいでしょ?」

 足立先輩はもう、腹を抱えて笑っている。静かな喫茶店に不似合いな明るい笑い声が響く。

 いつどんな角度から際どい発言が飛んでくるかわからず、気が休まらない。しかもすぐに演技だの冗談だのと言って覆すから困ってしまう。いや、待った。彼女は演技や冗談の線引きについて一言も言っていない。どこからが演技で、どこからが本心なのか。それでは、演技と言ったことすらも演技かもしれないではないか!

 この人はまともに相手をしたらあかん、そう気づいたころには、この緊張の時間も終わりを迎えようとしていた。

「そろそろお開きにしよっか。夕ご飯の時間に間に合わなくなったら悪いもの。それに、私ももうひと仕事あるしね」

 サイドテールの黒髪を揺らして、先輩は立ち上がる。

 鞄に手を入れて財布を出すのかと思えば、携帯電話を手にした。ああ、そうか。彼女はこれから藤宮先輩に別れを告げるのだ。彼のことは好きになれなかったけれど、フラれるところを目の前で見るとなると、ちょっと同情したくもなる。

 会計は自分がするからと言われて、ぼくたちは先に店を出る。支払いを待って挨拶をしようと待っていると、才華の携帯電話がメールの着信を知らせる。

「ヨウコさんかな?」

 メールが来るとすれば祥子さんだよ。

「ん、知らないアドレス」

「迷惑メールなら、添付ファイルは開かないほうがいいよ」

「変なアドレスではなさそうだけれど……」

「まあ、気をつけて」

「…………」

「才華?」

 彼女は心底信じられないというような顔をして、ぼくに画面を見せてきた。

「え?」

 開かれた添付ファイルは写真のデータだった。

 抱き合うような男女。解像度が低いのか才華のケータイの処理が悪いのかわからないが、ぼやけている。でも、それは紛れもなく、昼間問題になった蓮田さんと藤宮先輩の写真だった。

「あ、画像開けた? スマホじゃないみたいだから解像度を下げてみたんだ」

 足立先輩が店から出てきた。

「どうして……!」

「未遂とはいえ、藤宮が変なことをしようとしたからね。警告した通り、写真を送らせてもらったの。撮っておいてそのまま削除するのももったいないから」

「そうじゃなくて、どうしてわたしのアドレスを!」

 才華の問いには答えず、彼女は店先の階段を降りる。その足取りのまま、彼女はぼくたちの向かう駅とは反対方向に身体を向ける。

「知っているから知っているの。それじゃあ、またお喋りしようね」



 演劇は面白かったけれど、足立愛莉という女優が恐ろしくなってしまった。

 彼女の前では、真実と虚構がわからなくなる。夢と現がわからなくなる。演技と本音が、冗談と本気がわからなくなる。あらゆる区別が大女優の存在感にもみくちゃにされてしまう。ひょっとすると、彼女は最初から、それらを区別していないのかもしれない。

 でも、彼女に動揺させられた感覚が忘れられない。怖いもの見たさだろうか、またからかわれても楽しそうだという気もしてしまう。彼女の人気は、美貌や演技力だけに由来するのではないと思い知った。

 電車の中で、才華に演劇の感想を尋ねてみた。すると彼女は、夕日を恨めしそうに見つめながら吐き捨てる。


「演技じゃなくて、あの女を見せつけられたって感じ」

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