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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.06 かんげき
28/64

III

 これ以上演劇のことを思い返すと頭が痛くなりそうで、それよりか現実に起きている面倒ごとのほうがマシに思えてきた。

 蓮田さんと藤宮先輩との混乱したやり取りはようやく落ち着きを取り戻そうとしている。吹奏楽部の先輩と後輩のふたりは、どういうわけか、足立先輩――藤宮先輩と付き合っている――から浮気の疑いをかけられた。

 わけがわからなくなったふたりは、大声を出すのに疲れ、気まぐれな大女優の疑惑に反論する気力も失いつつある。

「どうやって誤解を解けばいいっていうの……? もう、私が藤宮先輩と付き合うなんて、天地がひっくり返ってもありえないのに」

「本当だ、俺が二股をかけて何の得をする? するにしても蓮田はありえない!」

 ふたりにしてみれば、そもそも不義理な関係なんて考えられないので、足立先輩から濡れ衣を着せられるのは理不尽そのもの。蓮田さんは、藤宮先輩と恋愛関係になることはありえないし、もしそんなことになっても自分は足立先輩から嫉妬を受けるに値しないと主張する。藤宮先輩は、足立先輩との関係がうまくいかない気配は近頃多少あったとはいえ、誰もが羨む恋人を持っておきながら二股をかけようという気は起こさないという。

 誤解を解けばいいだろう、というほど単純な事態ではないのは、藤宮先輩のスマートフォンの液晶に表示されている。

 そこには、藤宮先輩が後輩女子を抱き寄せるような写真があった。

「愛莉先輩も、私みたいな美人でも何でもない平凡な後輩女子に対してそんなに嫉妬します? 焼きもち焼きだとしても、藤宮先輩にそこまでぞっこんだなんて信じられないし」

「お前は先輩に向かって余計なことを言いすぎだが、愛莉が頭を冷やしてくれないとどうしようもないのは確かかもしれない。こんな写真じゃ誤解もするよなぁ……切り取るところが悪すぎる」

 眼鏡にやや不精な髪形と、文科系部活の部員のステレオタイプにぴったり当てはまる彼は、写真は故意ではなかったことを述べている。眉根を寄せる彼の睫毛は長く、どちらかといえば美形だ。

 しかしぼくも正直蓮田さんに賛成で、彼と足立先輩が釣り合っているようにはあまり思えないのだけれど。

 ふと正面の才華を伺う。とうにジュースは底をつき、啜っているふりをしてストローを咥えているだけだ。ぼくに見られていることに気づいた彼女は、ぼくにだけわかるように小さく首を傾げる。そこでぼくは「出ていかない?」とアイコンタクトで伝えてみるが、意思疎通には失敗した。

「セイコさん、それはどういう写真なの?」

 才華の問いに、ぼくは驚いた。自分の関心以外には目もくれない彼女が、自分とは関係のない男女に降りかかった、犬も食わない騒動に興味を示したのだ。ぼくの目配せを「解決してくれ」というサインだと勘違いしたのだろうか。

「私、セイコじゃなくて祥子ね。ええと……」祥子さんはしっかりと名前を訂正してから、状況を振り返って説明する。「午前の公演が終わってお昼食べようってなって、建物を出てすぐ藤宮先輩に捕まったたじゃない? 才華さんたちに先に行ってもらったあと、話している途中に車が来て、そのときに。私の背中から来たから気づかなくて」

 声をかけるだけでいいのにこんなことをするから、と蓮田さんは口を尖らせる。

 昼休みの時間、さあ店に行こうというとき、道路を横切るだけの短い道中で蓮田さんは部活の先輩から声をかけられた。パートが同じクラリネットらしく、そのことについて話す様子だったので、彼女はぼくたちを先に店に行かせた。あとで彼女が入店してすぐぼくたちを見つけられるよう窓際のテーブルを選んだから、道路で何が起こっているかは見えていた。それなのに、シャッターが下ろされた瞬間をぼくたちが見ていないのは、つまり、ぼくたちが注文している最中の出来事だったからだろう。

 その抱き寄せる瞬間を目撃してしまった足立先輩は、咄嗟の判断で隠し撮り。しかも運悪く、通り過ぎた車はフレームアウト。藤宮先輩が両肩をがっしりと掴んでいるところを蓮田さんの背後から撮影しているから、いかにも先輩後輩の男女でイケない逢瀬をしているような写真になってしまった。

 その写真を突きだしてきた愛莉先輩と口論になるのは、部活の話を終えて蓮田さんが店内に入ってからだ。写真はメールに添付されて、藤宮先輩の端末にも保存されている。

「で、それなら状況を説明すれば誤解は解けたのでは?」

 そうもいかなかった、と眼鏡の先輩は否定する。

「愛莉はかんかんに怒って聞く耳持たず。しかも『次に変なことがあったらこの写真をあんたが困る人に送ってやるから』ときた。だからさっきは話を切り上げるので精いっぱいだった。……はあ、あの感じだと、改めて説得しようにも怒らせるよな」

 脅しということか。第三者が愛莉先輩の訴えを聞いたなら、普通、その人は愛莉先輩の味方をするだろう。その人から見れば、被害者の立場にあるのは愛莉先輩なのだから。ましてや、全校の人気者の訴えをそう簡単には突っぱねられないこともあろう。ぼくなら、正直できない気がする。

 彼曰く、困る人というと吹奏楽部の共通の友人に何人か心当たりがあるという。部活という狭いコミュニティで、しかも部長という立場ゆえ、もし悪い噂が立てばひとたまりもない。

「送るとしたら誰なんだ? どうすればそうならずに済む?」苦虫を噛みつぶしたような表情は、藤宮先輩の性格の一端を表しているのだろう。「どちらにせよ、愛莉の意図を考えないとひどい目に遭いそうだ」

「それなら先輩で解決してくださいよ」蓮田さんは苛立ちを隠せない様子だ。「先輩の評判が落ちても知りませんけど、私を巻きこむのは勘弁してください。こうやって他人を巻きこむより、自分の彼女と向き合うほうが先ですよね」

 先輩に対しても辛辣だが、言っていることはもっともだ。正論を言われて怯んだ藤宮先輩を「注文もせずに座ってたらダメですよ」と追い払ってしまう。ふう、とようやく一息ついて、しばらくぶりに飲み物とポテトを口にする。

「見ててわかった? あの先輩、性格に難があるというか。吹奏楽部の先輩として嫌いじゃないんだけれど、はっきり言って、ひとりの男子としては好きじゃないんだよね」

 ぼくも正直、彼は悪い意味で自分が大事なのだろうと思った。

 確かに恋愛関係で噂されると痛いかもしれないが、それ以上に大切なのは、蓮田さんの言う通り、自分の恋人との関係修復だ。愛莉先輩の脅しに対して、誰に写真が送られるのか考えてビクビクしている場合ではない。

「どうして愛莉先輩があんな先輩を好きになったのやら」ため息をつく蓮田さんは、もう何度目かわからない、ふたりの関係への否定的なコメントを繰り返す。「まあ、恋多き女の評判通りと言えばそれきりか」

 そういえば、告白を受けるのは日常茶飯事、というようなことを蓮田さんが言っていた。

「恋の噂が尽きない人なんだね」

「別れたとかくっついたってときは本当によく騒がれるから。私が耳にするだけでも、学期にひとりは彼氏ができるみたい。告白したがる男子がうようよいるってことは、そういう情報が欲しがられているってことなんだよ。実際にそうなのかは確かめようがないけれど、実際に付き合っている先輩が身近にいるとは。……というか、いくらでも評判になっているのに知らないなんて。生徒会長との関係なんか、前々から話題だよ? 弥くんのアンテナ鈍すぎない?」

 それは悪かったね。

 ぼくのことはいいとして、恋多き女と呼ばれる足立先輩は、恋愛ごとにおいて百戦錬磨に違いない。そう考えれば、藤宮先輩の焦りもちょっとは理解できるようなできないような。いや、共感してはあかんか。

「はあ、むかつく。愛莉先輩が藤宮先輩にあんなに熱を上げるなんて」

 蓮田さんの藤宮先輩批判は聞き飽きてきたけれど、彼女の言う解釈も可能だ。魔性の女が恋の駆け引きをしているとみるか、それとも、純粋に嫉妬しているだけとみるか。そのどちらかわからなくても、藤宮先輩は足立先輩とあまりうまくいっていないようなことを言っていたから、彼女は彼氏の気を引きたいと思っているに違いない。

 そう考えたらぼくまでイライラしはじめた。

 なんだよ、そんなに愛されているのに藤宮先輩の態度ときたら。

「あ、あれは!」

 セットを載せたトレイを持って戻って来た藤宮先輩が声を上げた。視線は窓の外に向かっている。

「思いついたぞ、向こうがその気ならこっちもやってやればいいんだ」

 何のことかと思えば、窓の外には、劇場の前で親しげに言葉を交わす男女が見える。それはまさに、藤宮先輩を追いこんだ張本人たる足立先輩と、おそらく、別の団体の大学生と思しき人だ。水色のブラウスが清楚な印象の彼女とは対照的に、相手は耳元にピアスが輝く、髪を金色に染めた軟派そうな人だ。

「まさか、あの様子を写真に撮って、愛莉先輩と同じことしようとしています?」

 後輩女子の不安は的中してしまい、トレイを置いた彼は、携帯電話を取りだして外の男女にカメラを向けた。その思惑にいよいよ後輩三名はがっかりする。才華も口をへの字に曲げて、軽率な彼の行動を表情で批判している。

 もう止める気も起きなかったので、せいぜい恋人を怒らせて最悪の結末になってしまえばいいんだと念じたときだった。

 彼が持つ携帯電話が鳴動した。

「え……?」

 彼はがっくりと、テーブルに携帯を置いた。画面はたったいま着信したメールを表示していて、ハートの絵文字をあしらった一文が表示されている。

『うまくいくと思わないでね』

 窓の外に目を向けると、足立先輩は大学生とのお喋りを続けながら、後ろ手に持ったスマートフォンをこちらに向けて見せつけていた。彼女は自分の恋人がどういう手に出るか、先回りしてわかっていたのだ。文面をあらかじめ作成し、彼のそれらしき挙動を確認、送信ボタンを押した。

「……勝負アリ」

 ちょうど食事を終えた蓮田さんが冷たく突き放す。そのまま立ち上がるので、ぼくと才華も慌てて席を立つ支度をした。

 肩を落として呆けている藤宮先輩に、去り際、才華が一言。


「『別れてほしい』ってことですよ」

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