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II

「僕の交通手段を調べたって言っていたけれど、そういえば、才華のケータイはインターネットがつながる契約だったね」

 階段を登りながら才華と話す。夕方のターミナル駅は非常ににぎやかで、他愛無いことで言葉を交わすにも声が大きくなる。

「うん。家のパソコンで済むから、あまり使わないけれど」

 ホームにはちょうど電車が到着していて、すぐに発車というところだった。車体が見えてきたときには飛び乗ろうかと思ったけれど、そうはいかなかった。すでに超満員で、車内に人がすし詰めになっている。これに乗るのは難しそうだ。

 才華と目配せして、一本見送ることを決める。まあ、次の電車も数分でやって来る。何か話しながら待っていればあっという間だろう。ふたりで並んで、次発を待つ列の先頭に立った。

「インターネットが使えるなら、スマホにもたいした興味はない?」

「ない」

「即答だね」

 だって、と才華は理由を続ける。

「いま使っているケータイで充分満足しているし、それ以前に、スマホ自体が商品としてまだまだ未熟だもん。故障とかエラーとか、熱暴走とか、不具合のニュースばっかり。取り扱いも少ないから、値段も高すぎ」

 なるほど、値段が気になるのか。才華らしいといえばそうか。

「でもさ、チャットとか興味ないの? 仲の良い人といつでもどこでも簡単に連絡が取れるのって、良いと思わない?」

 あ、向かいのホームの男の人がスマホを使っている。羨ましいなあ、指で操作するところがなんともクールだ。スーツを着ているから、仕事帰りだろうか。家族と連絡を取っているのかもしれない。

 その姿は、才華の目には留まっていないらしい。

「わざわざ新しいのに変えなくてもできるでしょ?」彼女のスマホに対する態度はあくまで厳しいものだ。「それに、わたし別にチャットなんて使わないから」

「え! どうして?」ぼくには彼女の考えが理解できなかった。「環境があるんやろ? それなのに使うてへんなんて、もったいない」

 遠足と同級会の件で思い知ったが、世の中コミュニケーションで後れを取ると非常に痛い。その輪に加わることができないと、最初からいなかったとみなされるに等しく、気がつかないうちにものごとが決められてしまう。たぶん、彼ら彼女らにその不条理を訴えても、こう返ってくるのがオチだろう――「やっていないのが悪いでしょ?」

 チャットへの参加はある種の自己防衛だ。「みんながやっている」はそれだけで充分理由になる。特に高校生活においては。

「もったいないって言われても……使ったところで、そんなにいいことがあるの? 面倒くさいだけじゃない?」

「ああ、そういうこと。才華も平馬と一緒なんや」

 一匹狼でも意に介さないタイプ。

 これも本物の天才の資質なのかもしれない。孤独とはいわないまでも、クラスメイトくらいの相手だったらおべっかを使い媚びへつらってまで輪に加わろうとはしない。そういうことをしなくても、自分自身に満足している。そのあたり、周囲から大袈裟に誉めそやされて良い気分になっていたぼくとは正反対だ。

 反対側で電車を持つ彼も、ぼくと同じような心情だったりするのかな。

「へいま……くん? と同じってどういうこと?」

「才華が気にすることやないよ」

 微笑んで返して見せると、解せないような顔をした。他人にあまり興味のない彼女は、平馬が誰だったか思い出せないのだろう。

「ところで」

「ところで、何?」

「そろそろ電車、来てもいいころだよね?」

 時計を確認すると、電光掲示板に表示された到着時刻より二分を過ぎている。

「せっかちなんじゃない?」

「そうかな? まあ、もうすぐ来るよね」



 スーツの男性がスマートフォンを鞄に仕舞った。聞いた話では、スマホを操作できる時間はほんの数時間なのだそうだ。充電があまり長持ちしないらしい。電話というよりパソコンを使っていると思えば、そんなものなのか。

 さて、手元の時計を確認する。

「もう五分過ぎちゃったね」

 電車はまだ到着しない。

 大都会東京のダイアグラムは緻密にして正確である。これがもっと田舎の、利用者も少ない路線だったなら何も思うことはなかった。しかしここは都心部、東京を貫く大動脈だ。それも、土曜日とはいえ、本数が増える夕方の時間帯である。そのような場所で五分も電車が来ないとなると、何らかのトラブルがあって遅延が発生したのだろうと想像してしまう。

 いや、ただ運行が遅れているだけならいい。混雑を理由に発車が遅れることだってある。腹を立てることはない、いずれ電車が来るのだから。でも、この遅延にはおかしなところを感じる。

 運行の状況についてアナウンスが一切ないのだ。

「どうして遅れているんだろう? 理由くらい教えてくれてもいいのに」

 半分独り言のつもりで、才華に問いを投げかける。いったい何が起こって、五分も到着が遅れているのか。待っていれば電車は来るのか、来ないのか。単に混雑しているだけならマシなのだけれど、トラブルでもあったとすれば、違う経路からの帰宅も考えなければならない。

「そうだよね……うん、気になる」

 才華の相槌。それを聞いて、「しまった」と思った。彼女の好奇心に火がついてしまったようだ。

 気づいたときにはもう遅い。才華はべらべらと自分の考えを整理しはじめる。

「確かに、なんの連絡もないのは不思議。遅延の理由なんてだいたい限られているもん、すぐにわかるはずなのに」

 才華らしく声に出すのは思考のごく一部で、ショートカットされてしまう部分を補わないと何を思いついたのか追いつけなくなる。今回はそれほど難しくない。遅延の理由は多くの場合ほんの些細なもので、しかも駅員がその場で状況を確認できる例ばかりだ。たとえば傘が挟まれたとか、人が乗りすぎてドアが閉められないとか。駆け込み乗車なんかも。ホームでのささやかな面倒が積み重なって、やがて数分の遅延になる。その程度ならすぐに駅員どうしで連絡がついて、アナウンスが遅れるほどの事態にはなりにくい。

「そうじゃない、もっとけったいな理由があるんだね」

「そう思うよ」

 周囲を見ると、ケータイを取り出して操作している人が多い。そのうち一割くらいの人がスマホを使っている。彼ら彼女らは、インターネットを駆使して遅延の原因を独自に調べたり、迂回ルートを確認したり、家族に帰りが遅くなるのを連絡したりしているのだろう。退屈しのぎにチャットを使って誰かと話しているということもありそうだ。

 こうしてみると、才華のように自ら原因を追究しようということがいかに異質であるかがわかる。多くの人は、受け身になって情報を待っている。ネットで検索するのだって、誰かに教えてもらうのを期待しているだけだ。この場において、思考を巡らせているのは才華だけかもしれない。

「でも、もうじき放送があるんじゃないかな。たぶん『非常停止ボタンが押されました』ってだけだろうけれど」

「ああ、なるほど。発表が遅れるほどの何かが起こっているとすれば、とにかく電車はすでに非常停止されていて、原因はまさに調査中ってことだもんね」

 そのときちょうど、ざざ、と構内放送の電源が入れられる雑音が聞こえた。どうやら才華の予感が的中したらしい。放送に耳を傾ける。

『現在下りの電車が遅れております。隣の駅で非常停止ボタンが押され、電車が停止しているとの情報が入っております。ただいま原因を調査中です。お急ぎのところご迷惑おかけします。運転再開までしばらくお待ちください』

 ぷつん、と接続が切られる音も響いた。

 内容まで才華が予想した通りだった。

「それで、この情報から何かわかることはあるかい?」新しい情報を得た彼女は、何を語るのか。その内容によって、次の行動を決めなくてはならない。「ぼくたちは迂回したほうがいいの? それとも、ここで待つべき?」

「ひとつわかるのは、まだ解決まで時間がかかること」探偵少女は腕を組み、隣の駅で起こることを頭の中でシミュレーションしているのかもしれない。「原因がはっきりしていないみたいだし、安全確認もまだ始まっていないから」

 なるほど、非常停止ボタンが押されて電車が停止したなら、駅員は次のように動くだろう。まず、トラブルの起こった場所を把握し、駆けつける。そこで問題を解決し、必要に応じて原因を明らかにする。原因がわかったならば、それに基づいて安全確認が必要だ。そうして安全が確かめられてはじめて、運転が再開される。

 いまの構内放送によると、まだ原因を調査している段階とのことだ。安全確認にはそれなりに時間をかけなくてはならないので、電車はしばらく来ない。

「状況はかなり厄介かもしれない」

「どうして?」

「車内で発生したトラブルだから」

 説明が足りない。もう少し具体的に伝えてほしいと請うと、才華はううん、と唸ってから、ぼくにもわかるように言葉を選びながら続けた。

「原因を調査している、というのが現在の最新の情報。つまり、原因はまだ見つかっていない。鞄が挟まる程度の、すぐに見つかってすぐに解決できるトラブルではないということだよね」

 なるほど、その通りだ。しかし、多くの人に影響を与えるアナウンスだから、慎重にものを伝えているのかもしれない。

 ぼくの考えを踏まえて、才華は問いから論理を立て直した。

「じゃあ、弥。非常停止ボタンはどこにある?」

「ホームだね。当たり前だよ」

 車内にも緊急用のボタンはあるが、連絡を繋いで指示を仰ぐものであって、電車が止まるかは判断を待つことになる。非常停止ボタン、といったらホームにあるものだ。

「そう、だから大変なの」

「ええと……また説明が足りないと思うんだけど」

「ホームの人がボタンを押した。つまり、ホームの人が異常に気づいた。でも、原因はまだはっきりしていない。ということは、ホームで異常があってボタンが押されたのではなくて、車内で何かが起こって、それに気づいたホームの人がボタンを押したということにならない?」

 確かにそうだとすれば解決には手間がかかりそうだ。原因調査中というだけで時間がかかりそうな状況だとわかるけれど、車内でのトラブルとなればそれ以上だ。事のあった車両を見つけ、かつ車両の中の異常に対応しなければならない。

「じゃあ、乗り換えようか。才華、どうやったら帰れるか、案内してもらっていい?」

「え? あ、ううん……」

 おや。

 微妙な態度。路線を変えることに気乗りしないのか。才華に限って、違う路線から帰宅する方法を知らないことはないだろう。ということは、もしかすると、現在進めている推理に則れば、まもなく状況が好転する予想が立っているのかも。

 才華の考えなら信用できる。ちらほらと踵を返して階段を下りていく人々を見送りながら、ぼくたちはホームに居残ることを選択した。

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