I
天保高校では入学後最初の中間テストを終えると、フィールドトリップという行事がある。
名前だけは恰好良く横文字を使っているけれど、要するに遠足だ。行き先や内容は、クラスごとに作られる委員によって、予算内に日帰りできる範囲で自由に企画される。学校側としては、新しい仲間たちと一緒に遠足を作り上げ、テストも終わったころに一日遊びに出かけて仲良くなりましょう、という狙いがあるのだろう。
「仲良くなるため、というか、仲が良いのを追認するためなんだよなぁ」
平馬と一緒に電車に揺られる帰り道。疲れた脚で踏ん張り、半ば吊革にぶら下がりながら、窓の外を流れていく都心の街を眺める。ぼくたちのクラスは時間いっぱいまで企画を詰め込んだ結果、現地解散となった。「家に帰るまでが遠足」とは誰が言ったものか。
「お前もそう思ったか。まあ予想できていたけどな」
正直、ぼくや平馬は蚊帳の外、という感じだった。
企画立案はほとんど委員の独断と偏見に基づいて進められていた。ホームルームでの会議は活発化せず、クラスメイトたちは放任している様子だった。そのような雰囲気にあると、ぼくのような非内部進学生は大いに不利だ。彼ら彼女らは特に話し合いなどせずとも、委員に一任できるほどの信頼関係が成り立っている。加えて、発言力の強弱を把握しているから、どれだけ意見すればいいかうまい塩梅を知っている。
委員たちはいろいろと考えを巡らせて、ぼくと平馬は同じ班になった。女子二名は、クラスで目立たないサブカルチャー好きの仲良しふたり。彼女たちが悪いわけではないし、嫌いということもない。でも、言っちゃ悪いけれど、僕たちは「イケてない」グループだったのだ。お昼のバーベキューの盛り上がりも、イマイチ。
「久米はめでたくこっち側に分類されたわけだ。ようこそ」
「まあ……ぼくがあっち側でないのはわかっていたけれど」
あっち側になり得ない根拠は、まず所有するデバイスにある。
すなわち、携帯電話だ。
クラスメイトたちはケータイを用いてコミュニケーションをとっている。ホームルームが形骸化されていたのも、これがひとつ大きな理由。
この時点で平馬は脱落だ。平馬はそもそも携帯電話を持っていない。
ぼくはそのハイテク機器を持っているだけまだマシだ。平馬は珍しいほうで、イマドキ高校生がケータイを持つのは当たり前。両親が共働きだったぼくや、下宿生活をしていた才華などは、中学生のころから持っていたくらいだ。でも、契約内容は別問題だ。
ぼくが携帯を利用する場面といえば、メールか通話が主体。一方でクラスメイトたちの多くは、インターネットの契約を結んでいる。高校生たちはその通信環境を生かして、掲示板を用いて大人数で同時に会話を交わしているのだ。
チャットに加われないと不便が多い。チャットでの出来事をまったく知ることができないから。遠足についても多くが決められていたことだろう――特に班分けなんかは。
「いまやスマートフォンという代物も現れてしまった」平馬は演技めかして、大げさにため息をついて見せる。「俺たちはいまでこそ時代遅れで済んでいるが、近いうちに原始人扱いになるだろうな」
「ああ、あれって要は電話付きの小型パソコンなんだよね」ぼくは携帯電話ユーザであるぶん平馬よりは楽観できる立場にいるけれど、危機感は共有している。「平馬の言う通り、ぼくたちはますます仲間外れになるかもね」
インターネットは便利だ。才華など、家の本や事典で調べ物が済まないと、パソコンに飛びついて検索を始める。ぼくも野球の情報を早く知りたいときに使うことがある。そんな便利なものが薄くて四角いあれによって、いつでもどこでも見ることができるとしたら――素晴らしいではないか。
ああ、きょうのタイガーズの試合はどうなったのかな。交流戦の真っただ中、土曜日だからデーゲームだったはず。インターネットをすぐにでも見られるなら、このじれったい思いもしなくて済むのに。
野球はともかく、チャットも現在以上に活発に使われるだろう。よく知らないけれど、スマホのアプリケーションとやらにはチャットと同じようなものが何種類もあるそうだ。
「気にしないで過ごす、そういう根性もいるってことだ」
ぼくが思っていたよりも、平馬はそれほど危機感を抱いていなかったらしい。そういえば、彼の恋人たる江里口さんは携帯電話を持っていた。カップル間で歴然たる格差を感じていたから、気にしない根性が鍛えられたのだろうか。
――いや、ぼくなら恋人とはチャットを使って、いつでもどこでも親しく話せるならそのほうがいい。
「ぼくは気にするんだよ」
「ああ、そういえばこの前言っていたよな。大阪の中学の同級会があったことを、事後報告されたって」
「そうそう。そのうえ写真の一枚も撮っていないなんて、ひどいじゃないか」
スマホがあれば写真を撮ってメールで送るのも気軽だそうだ。しかもいまの写メと比べてとても画質がいいのだとか。スマホさえあれば、ぼくの東京生活の悩みや不安も幾分かは和らげられたのではないだろうか。
ブレーキがかかり、体がぐっと傾く。扉が開くと、混雑していた乗客たちがぞろぞろと降りていく。さすが東京の中心に位置するターミナル駅である。
「じゃあ、おれはここで。私鉄だから」
平馬は改札を出ていき、ぼくは人の少ないところに避難して携帯電話を開く。ここで才華と合流する予定になっているのだ。クラスが違うので出かける先も別々だったけれど、同じように現地解散になって、ほとんど同じ時間にこの駅に到着する見込みだった。
メールは……届いていないか。駅に着いたらメールをくれる約束だから、ぼくが先に到着したということだ。自分がいまどのあたりにいるか、メールを送っておこう。
「弥?」
名前を呼ばれて振り向くと、才華だった。
「なんだ、もう着いていたのか」
ぼくの顔を覗き込む彼女といえば、薄い紫色の半袖シャツに重ねて、黒のサロペットを着こむ。足元はアクティブな印象を与えるスニーカーがかわいらしい。さすが衣装持ちのお洒落さんである。毎度チェックのシャツを着ているぼくとは大違いだ。
「メールをくれればよかったのに」
「わたしの携帯、弥のとはキャリアが違うから」
つまり、パケット代をケチったということか。倹約家の才華らしい。メール一通、ものの数円だというのに。
「でも、それならよくぼくを見つけられたね」
「なんてことないよ。事前に弥が乗る駅と電車にはだいたいアタリがついていたから、ちょっと調べれば予想できるもん。それぞれ出入り口と停車位置さえわかれば、弥がどのドアから乗り降りるかだいたいわかる。ここまで電車に乗っている時間があれば、この駅で下りる階段を絞り込むにも充分」
「これっぽっちのことでそんなに頭を使ったのか!」
そうでもないけど、という顔で首を傾ぐ。この子にとっては、この程度の思考を巡らせるくらいなら、呼吸をするのとさして変わらないのだろう。
首を傾けたまま、才華は口を開く。
「さ、帰ろう?」