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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Extra.03 天才少女の思い出
15/64

その3

「はあ……終わったぁ!」

 終わったよ、いろいろな意味で。

 高校入学後初めての中間テスト、ついに最終科目である英語の解答用紙が回収された。さすが天下の天保高校のテストで、まるで入試を受けているかのような高難易度。記憶力に自信があるとはいえ、何度も「こんなこと聞いた覚えがないわ!」と内心叫んでいた。特に数学は解法すら思いつかない有様だったから、赤点は間違いない。学期末には補習が待っていることだろう。

 驚くべきは、天保の高校生たちが非常にリラックスして試験を受けていたことだ。そのレベルの高さからは想像がつかないほど、教室から緊張が感じられないのだ。この異常な環境にすっかり慣れてしまっているのだろう。

 平馬もまた、何事もなかったかのようだ。

「よう、久米。どうだった? 聞くまでもなさそうだが」

「そうだね、聞くまでもないよ。あかんかったわ。ノート貸してもらったけど、そういう問題やなかったね。全然答えが書けなくて、ずっと心臓がバクバクしとった」

 この悲しさ、虚しさときたら涙も出ないくらいだ。笑えてくる。

「それはそうと」

 彼がこうも簡単に話題を切り替えたのも、テストをどうとも思っていない証左であろう。ぼくは一瞬意識が遠のく思いがした。

「昼飯はどうするつもりだ?」

「お昼ご飯?」

 テストは午前中で終了。教室では、クラスメイトたちがぼくたちと同じように昼食の相談をしていた。切り替えが早い。

「ラーメン屋でも行くか? いつも学食だろ、たまには違うのもアリじゃないか」

「ああ、正直まだ食欲も湧かない気分だよ。そうだね、どうしようかな……?」

 きょうは土曜日。普段なら家に帰っておばさんの作ったご飯を食べるのだけれど、きょうはたまたまおばさんが用事で出かけていて、ぼくと才華は昼食代を受け取っている。それにちょっと小遣いをプラスすれば、たまの贅沢も可能なわけだ。

 なるほど、悪くないね。

「あ、梓。いたいた」

 承諾の返事をしようとしたところ、教室に江里口さんがやってきた。

「ねえねえ、学食行こうよ」彼女が彼氏を誘いに来たのだ。ただ、すぐにぼくの存在にも気がつく。「あ、久米くんとご飯するつもりだった?」

「いやいや、気にしないで」ふたりの邪魔をすることになりそうなので、ぼくは慌てて手を振った。「ぼくは先に帰ることにするよ。ひとりでラーメン屋さんに行くくらいの根性ならある」

 と、せっかく遠慮したのに、ふたりは意外そうな顔をして互いを見合わせる。

「え、別に三人で行けばいいじゃん」

 嘘やろ? 嘘やと言ってくれ。



 結局ふたりに押し切られて、ぼくは料理を待つ列に並んでいた。

 テスト後は先ほど平馬が提案したように窪寺の街へ繰り出す生徒が多いらしく、学食を利用する人数はやや少ないように見える。ただし、そのひとりひとりの興奮の度合いは高く、いつもより何倍も賑やかだ。

「なあ、久米と家入ちゃんって本当のところどういう知り合いなんだ?」

「ううん……しっくりする言い方はないけれど、幼馴染?」

 ぼくが気を遣っていることなど気がついていないのか、それとも面白がっているのか、平馬は暢気にぼくと一緒に料理を待っている。ぼくはカレーライス、平馬はチキンカツがメインの日替わり定食を注文して、同じ列に並んでいる。ひと足先に注文を済ませた江里口さんは、カレーを持って座席に戻っていた。

「穂波は家入ちゃんと張り合っているけれど、おれは家入ちゃんのことをよく知らないんだよな。一年だけクラスメイトだったが、頭が切れるちょっと変わった子というくらいの認識しかない」

「ふうん……」

 気が張っていて平馬の話など頭に入らない。こんな状況でなければ、平馬の「家入ちゃん」という変な呼び方にもしっかりとツッコミを入れられるのに。

 平馬と江里口さんは、ゲームセンターの件でバカップルだということがはっきりした。そんなふたりと一緒にいれば、気苦労して当然だ。目の前でイチャイチャされても困るし、反対にぼくが邪魔者のようになっても困る。ぼくにも恋人がいれば、もっと余裕を持っていられるのか? まったくもう。

 先に平馬が定食を受け取って、座席へと向かった。ぼくもカレーライスを受け取り、座席に戻る前に、調味料の置いてある台に立ち寄る。ここには信じられないほど多様な調味料が置かれていて、誰も使ったことがないものまで含まれているに違いない。

 ぼくの目当てのウスターソースもすぐに見つかった。それをカレーにかけながら、このまましらばっくれてひとりで食事を済ませようかと、悪い思い付きがよぎる。

「弥……カレーにソースかけるの?」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、才華がうどんに七味を振っていた。ぼくの手元を見て怪訝な表情を浮かべている。

 才華も学食に来ていたのか。確かにここなら、特に最安値のうどんなら、非常に安く昼食を済ませられる。倹約志向の才華には、選択肢として学食が最有力。だったら、事前に約束して一緒に食べに来ればよかった――そうか。

「ねえ、才華。いま、ひとり?」

「そうだよ」

 よし!

「一緒に食べない?」

「いいよ」

 よし!

「江里口さんと平馬もいるけど、いい?」

「気にしないよ、わたしは」

 よし!

 才華がいれば、カップルとオマケという状況は改善されて少しは気が楽になるだろう。江里口さんは才華との同席を嫌がるかもしれないけれど、ぼくだって三人の食卓は嫌なのだ。

 さっそく座席へ案内しようとすると、才華は何か思いついたのか、一旦調理台に戻った。

「江里口がいるんだよね」

 そう言うと、才華はおもむろに瓶をひとつ手に取った。



 才華と一緒に座席に戻ると、料理に手を付けずに待っていてくれた平馬と江里口さんが、それぞれ驚嘆と嫌悪の表情でぼくらを迎えた。

 才華は江里口さんの表情など見ていなかったかのように、平然と彼女の隣に座る。ぼくと才華、平馬と江里口さんが向かい合い、ちょうど男女で分かれて座ることになった。カップルと同席するのはどうしても避けたかったとはいえ、真正面で険悪そうなふたりを眺めながらの食事になってしまった。

 食卓は楽しいほうが好きだ。

「ねえ、みんなテストはどうだったの?」

 無理矢理に話題を提示してみたが、誰も箸やスプーンを動かす手を止めようとしない。

「まあまあ」と江里口さん。

「そこそこ」と平馬。

「どうでもいい」と才華。

 三人が三人とも乾いた返事。まるで会話が弾まない!

 そのとき、誰かの携帯電話が鳴った。呼び出されているのは、ぼくでも才華でもなく、当然、通信デバイスを所持していない平馬でもない。

「おっと、家に連絡してなかった」

 昼食を食べて帰ることを知らせていなかったらしい、江里口さんは母親からかかってきたのであろう通話に応じ、賑やかすぎる食堂をあたふたと出ていった。食べかけのカレーが残される。

 そのとき、才華が動いた。

 先ほど調味料の台からくすねていたタバスコを取り出すと、どばどばと信じられない量を江里口さんのカレーに投入していく。

「ちょっと! 何やってるのさ!」

 いや、聞くまでもないな。嫌がらせだ。もう少しソフトに言えば、イタズラ。

 カレーは一時赤い液体が浮いたいかにも毒々しい姿になってしまったが、才華がスプーンでいくらかかき回すと、元通りとはいかないまでも一見しただけではタバスコに気がつかない程度に誤魔化された。才華は満足げにタバスコの蓋を閉め、瓶を隠した。

「平馬、いいの?」

 才華の暴挙を一度も止めようとしなかった、被害者の恋人に尋ねる。

「確かに、これは穂波にとって一大事だ」平馬は泰然と語りはじめるが、次第にその表情はにやけていく。「穂波は辛いものが苦手でな。わさびは未だに食べられないし、おでんにからしはつけない、縁日の粉ものにつく紅ショウガだって器用に取り除くくらいだ。カレーだって、休み休み食べていただろう?」

 そういえば、江里口さんはまだあまり食べ進められていない。学食のカレーはそれこそ苦手な人でも食べられるように甘口になっているから、彼女はよっぽど辛味に慣れていないらしい。でも、紅ショウガを抜いたらあかん。味に締まりがなくなる。

「つまり、才華は弱点を……」

 犯人は澄まし顔だ。性格が悪い。

「でも、そういうことならどうして、平馬は止めなかったの?」

 平馬は沸点を超えたらしく、口に手を当てて笑いを堪えながら、

「辛いものをひいひい言いながら食べる穂波は、最高に面白いからな」

 と理由を述べる。正直わけがわからない。この場で常識的に振舞えるのはぼくだけなのか。

 ふと平馬が居住まいを正した。江里口さんが戻ってきたらしい。良心としては江里口さんを苦しめるべきではないのだろうけれど、イタズラをするというなら、それはそれで興奮してしまう。

 結局、ぼくもイタズラに加担することにした。

「案外、長かったな」

「まあね、うちの親、弟が生まれて以来心配症こじらせてるから」

 江里口さんは何の疑問も抱かず座席に戻る。

 スプーンを手に取る。

 ルウと白米をひと口ぶん掬い取る。

 そのまま口へ運んだ。

 南無三。

「かっ――――!」

 声にならない叫びとともに、彼女はスプーンを手放して口を押さえた。口中を駆け回る強烈な刺激を必死になって耐えようとするが、眉間には皺が寄り、瞼には涙が溢れる。苦悶の表情を浮かべながらも、この凶行に及んだ犯人を才華であると確信し、気力を振り絞って睨みつけた。

 才華は才華で自分が犯人であることを隠そうとせず、平然とうどんを啜る。あまりにも落ち着いているから、かえって犯人としか思えない。ポーカーフェイスを貫く心の内でほくそ笑んでいるのかと思うと、何とも言い難い。うどんを啜るたび、七味が香る。

 平馬はというと、もう食事どころではなくなっている。腹を抱えて笑っているのだ。

 ぼくは心を痛めている。同時に、とてもおかしく思っている。

「家入! やりやがったな!」

 ダメージを堪えた江里口さんは才華に掴みかかろうとするが、才華は「食事中なんだけど」と窘める。これが頭にきたらしく、小柄な眼鏡の彼女は、持ち前の荒っぽい口調を一層乱暴にして、才華を責め立てる。才華はそれをわざと冷静にあしらい、余計に相手を煽る。

 イタズラはどうしようもない口喧嘩に発展する。ただ、これはいつものことなのだろう、平馬は見慣れたコントを楽しむように肩を揺らしている。ぼくも止めに入る必要はないと判断し、食事を再開した。カレーはやや冷めてしまったか。ルウが常温に近づくと、ソースのコクが効いてくる。

 まあ、犬猿の仲のふたりも、イタズラするくらいには仲が良いのか。というか、才華が江里口さんの弱点を的確に攻撃するあたり、仲が悪いどころか相当に互いをよく知った仲なのではないか。

「喧嘩するほど仲が良いってやつやね」

 ぼくの呟きに、ふたりは声を重ねる。

「江里口なんてお断り」

「家入なんか願い下げだ」

 ほら、息ぴったり。

【登場人物 File.03】

平馬梓へいまあずさ ――1年B組 帰宅部


 事あるごとに「面白い」を連発する変人……もとい穂波の恋人。弥の似非関西弁はインターネットの見過ぎだろうと思い込んでいる。穂波との交際は中学三年の夏から続いているものの、未だに恥ずかしいので「かわいい」と言う代わりに「面白い」と言ってぼやかすことがしばしば。


「おれの周囲には変人ばかりいる気がするな」


☆平馬(←ヘイスティングズ)+梓(←アーサー)

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