IV
「で、その新谷って人と鉢合わせたらどうすればいいわけ?」
連休の初日、窪寺でゲームセンターといえばここ、という場所の入口。
ぼくと江里口さんは、ここで平馬を待ち構えていた。才華の考えがまとまったので、あとは本人に確認するだけになり、江里口さんに待ち伏せを提案した。尾行をすることと変わらないのではないかと渋っていたが、結局ついてきたあたり、才華の推理をそれなりに信用しているのだ。
「もし浮気だったら、その相手とご対面なんて勘弁してほしんだけど」
江里口さんはここに来てからずっと、新谷さんと対面することを心配していた。曰く「容赦できないかも」とのこと。確かに、自制を失い怒り狂う江里口さんはさぞ恐ろしいのだろうと想像がつく。にこやかに迫られたって相当怖いんだもの。
「可能性は低いと思うよ。まあ、一緒だったとしても、ぼくだけ出て行って話せばいいんだよ。才華の推理が間違いだったらぼくは引き下がるから、そのあとは江里口さんが出ていって、あとはお任せ」
責任は取りたくないからね。
「その言い方だと、家入はシロって言っているわけ?」
「まあね。あ、あれ平馬じゃないかな?」
駐輪場に向かってさっと走り抜けた自転車に、平馬が乗っていたように見えた。ぼくと江里口さんは分かれて自販機と電柱の陰に隠れた。
駐輪場から歩いてきた彼は手荷物を持っておらず、財布だけ持ってきているとみえる。ポケットに手を入れて、警戒はしていない様子だ。加えて、周囲に興味がないというか、遊びに来る楽しみの色が彼の表情からは一切感じられない。まるで通勤電車に乗るサラリーマンのようだ。
咄嗟の隠れ場所は平馬に気がつかれるリスクがあったけれど、幸い彼はそれに気がつかないで店に入ろうとした。江里口さんの隠れ場所が彼の位置から悟られないことを確認してから、アイコンタクトで合図を送り、ぼくは彼を引き留めるために飛び出した。
「ちょっと待った、平馬」
足を止めると、首だけこちらを振り返った。
一瞬面食らった気配を見せたが、それをすぐに引っ込めると、何か見透かしたようににっと口角を上げた。
「こんなところで奇遇だな。お前もよく来るのか?」
「いや、そんなことはないね。平馬を待っていたんだよ」
「……それは面白そうだ」
平馬は踵を返し、こちらに数歩歩み寄った。彼が離れたことでセンサーが反応し、自動ドアが閉じられる。立ち位置が変わったので咄嗟に自販機のほうを確認してしまったが、大丈夫そうだ。この位置でも江里口さんが隠れていられる。
平馬はにやにやとしたまま、ぼくの言葉を待った。無言で、ぼくの待ち伏せの理由を尋ねている。
「話があるんだ」
「そうだろうな」
「まあ、ぼくは頼まれて話すだけなんだけどね。依頼人と、シナリオライターが別にいる」
ふうん、と平馬の口元が一層いやらしく歪んだ。
「そうか、そういえば久米も穂波と知り合いだったな。穂波がおれを問い詰めたいってわけだ」
「理解が早くていいや。これなら話が早いね」
おそらく彼はシナリオを担当した人物もわかっているだろう。
「話したいのは、平馬がその依頼人とのデートをすっぽかして、ゲームセンターに足を運ぶ理由についてさ。これについて一考、聞いてもらえるかい?」
「一考って……まあ、そういうこともできるか、あれほどの天才だからな」
――天才。平馬も才華の思考力には一目置いているということか。
それはそうと、話を続けよう。
「念のため訊いておくよ。自分で江里口さんに説明するつもりはない?」
「全部片付くまで黙っておくことにしている」
「それは残念、江里口さんは待ちきれないらしい。じゃあ、才華の推理の答え合わせをしようか」
やっぱりな、と彼が小さく呟くのが聞こえた。
天才少女の推理の筋道を思い返す。彼女がどのようにして真実に辿りついたか、ぼくはできるだけそれに沿って話を進めようと試みる。
「はっきりさせなくちゃいけない一番のことは、平馬が浮気者かどうかってことだよ。きみがどう思っているかは知らないけれど、新谷さんと噂になっているからね。そして、江里口さんという恋人がいながら、デートをすっぽかしている」
平馬は表情を崩さない。
「ここまでは否定する気がないようだね。まあ、それもそうだ。ノートを貸すことがあるみたいだから、無関係ってわけじゃない。噂にしたがる人もいるかもしれない。江里口さんとデートの約束をしないのも、覆しようがない事実だ」
「ああ、そうだな。嘘を吐いたって面白くない」
茶化しているのだろうか。ペースを乱されてはいけない。
「協力的で助かるよ。さて、きみにかけられた嫌疑はまだ残っている。ゲームセンターに通っているという噂――これも事実のようだね、現にここで会えた。きみがここで新谷さんとデートしているという話もあるけれど……実を言うと、これはあまり重要ではないんだ。もっと大事な疑問は、なぜここに来るか、だ」
ひと呼吸。平馬はまだ泰然と構えている。
「平馬の人格でゲームセンターに来るということは、ぼくとしても、江里口さんとしても、まず想像がつかない。新谷さんとの交友が深まったって同じこと。何か特別な目的がなければ、こんなところには来ないだろうさ。じゃあ、その目的とは? 答えはね、実は新谷さんとの関係にある」
平馬がここでぼくの話を制した。おかしい、と前置き。
「話が矛盾している。新谷と親しくなっても、おれがゲームセンターに通うようになる可能性は低い、そう言っているよな? なら、どうして新谷との関係から、おれがここに来るようになる?」
「ああ、そうだね。ふたりともゲームセンターに行くタイプではない。でも、同じ目的を持つ可能性ならまだ残されている。目的を共有する出来事がふたりのあいだに起こったのさ。だから、最近よく話すようにもなった」
平馬はゲームセンターに行かない。新谷さんはゲームセンターに行かない。このふたりが親しくなっても、デートの行き先にゲームセンターは選ばれない。しかし、何らかの出来事からふたりがゲームセンターに通う理由を見出したのなら、うまく説明がつく。同じ目的を共有するうち、親しくなることもあるだろう。
具体的に話してもらおう、と平馬がしびれを切らした。
少々回りくどかったか。ここからが話の核心である。
「ズバリ言っちゃうと、目的はUFOキャッチャーだ。UFOキャッチャーで、限定品のフィギュアを手に入れようとしている。なぜなら、以前新谷さんが手に入れて妹にプレゼントしようとしたそれを、平馬が壊してしまったからさ」
ゲームセンターでしか手に入らないものは限られている。かつ、それらはたいてい、ゲームで遊んだ景品である。その中でも特に明快なのは、景品を取ること自体がゲームとなっているUFOキャッチャーだ。
新谷さんは以前、妹にプレゼントするためのフィギュアを苦労して手に入れたと語っていた。そのフィギュアは、UFOキャッチャーの景品くらいしか入手方法のない限定品だったのだ。いま平馬が狙っているのはそれと同じもの。では、なぜ同じものがまた必要になったのか? それは、平馬と新谷さんが急接近するイベントとつながる。
「身体の右側に怪我をしているよね? いつかは知らないけれど、雨上がりの日、自転車で転んだ怪我と言っていたね。ぼくはてっきり、ひとりで倒れたものと思っていたけれど、本当はそうではなかった。新谷さんが持っていた、フィギュアを入れた紙袋を車輪に巻き込んでしまったのさ。そのときにフィギュアは台無しになってしまった。これを妹に渡すわけにはいかないっていうんで、きみと新谷さんは、入手難度の高いそれを再び手に入れようと、ゲームセンターに通いはじめたんだ」
とはいえ、簡単に手に入る品ではなかった。獲得に手こずって、何日もチャレンジしなくてはならなくなる。ひとりで行くこともあれば、新谷さんと一緒に行くこともあっただろう。そうして、いつしか平馬がゲームセンターに出入するという珍しい状況が目撃されるようになり、噂になった。新谷さんとデートをしている、という尾ひれもついた。
平馬は未だにフィギュアを入手できていない。しかも、限られた小遣いでそれを手に入れようというのだから、日程的な理由に加えて金銭的な理由でも、平馬は江里口さんとのデートどころではなくなってしまった。
「結論を言おうか。目的から言えば、きみはシロだったわけだ。一応、浮気ではなさそうだね」
当たっているかい? と尋ねると、しばらくポーカーフェイスを作っていた彼の口角が再びぐっと上がっていった。
「これは面白い。理屈だけでここまで? まるで尾行していたみたいだ」
自分の潔白云々より先に感嘆の言葉が発せられたものだから、ぼくは正直面食らってしまった。
それに、また「面白い」だ。
「じゃあ、才華の考えた通りだったわけだね?」
「ああ、降参だ」
言いながら、彼はけらけら笑いはじめてしまった。
ぼくも才華の推理を過不足なく伝えられて安心し、どこかすべてが終わったような安堵を抱いてしまう。でも、ここからが本番ということもできる。なぜなら、まだ「直接対決」が終わっていないのだから。
「梓! そういうことなら何で話さなかった!」
隠れている必要がなくなった江里口さんがついに平馬と対面した。
彼氏がゲームセンターに通う目的ははっきりした。これで江里口さんの依頼は達成。けれども、平馬が事実を隠していた理由もまだ明らかになっていない。ここからは本物の痴話喧嘩がはじまる。
「あ、穂波。やっぱり来ていたか」
疑惑の当人は暢気なものだ。
「あ、じゃないよ! 教えろ、どういうつもりだ! また家入に解かせるか?」
つかつかと詰め寄り、胸倉を掴む。背が低いので締め上げるというよりは、引っ張って顔を寄せる具合だ。傍で見ているぼくですら気圧されてしまう気迫だが、平馬はそれでもへらへらとした調子を崩さない。
「そう怒るなって。事実は小説より奇なり、とは言うが、事実は小説ほど気を張って読み解くものじゃない」宥めるというより、からかっている口調だ。わざと相手が腹を立てるように、長々と講釈を垂れる。「いまの話を聞いて、家入ちゃんに推理させるほどのことじゃなかったと思っただろう? ちょっと考えてみろよ、内緒にしたのだって大した理由じゃないぜ? お前に話して手伝わせるわけにはいかなかっただけだ。金も時間もかかるし、何よりおれが壊したからにはおれがもう一度手に入れるのが筋だ。話が済んだらお前にも話すつもりでいたし」
要するに、と平馬はまとめる。
「お前に話したって、面白いことがなかった」
それを聞いて、江里口さんの興奮は静まり、一転、怒りから呆れへとトーンダウンした。引っ張っていた襟から手を放し、大きく深く息を吐き出した。何なんだよ、と諦めの言葉。
「面白い」の言葉を聞いてすぐの態度の変わりよう。彼の常套句は、江里口さんの追求の熱を一気に冷ましてしまった。これを見るに、彼のその言葉の意味が少しだけわかった気がする。きっと、彼なりの行動基準なのだ。常に「面白い」ほうが良く、「面白くない」ことは絶対にしない。
広い意味を取る言葉を、彼が具体的にどういう意味で用いているのかはわからない。でも、江里口さんの言葉にヒントならあった――「あいつはあいつなりの正義が固いから」たとえば彼は、事実を隠すことはあっても嘘を言ったことはなかった。
ぼくは彼の言葉から、彼を「変人」と評価していた。そうやって、彼の言うことを話半分にしていた節がある。人と違うズレた価値観を、曖昧な言葉で誤魔化しているだけなのではないか、と。そう思っていたのは、ぼくが「天才」という曖昧な称賛に懲りていたことも一因だろう。
でも、奴は自分自身を誤魔化してなんかいない。むしろ、堂々と「変人」であろうとしているのだ。彼の中にはしっかりとした「面白い」という基準がある。それを外から観察することは難しいけれど、平均的であることを嫌っていることなら理解できる。
才華も平馬も「変」な奴だ。そのかわり、決して彼らは平均ではないし、中途半端でもない。特別な自分をしっかりと持っている。
ぼくはそれに憧れずにはいられない。
「じゃあさ、平馬。きみはゲームセンターに来て面白かった?」
変なことを聞く、とハトが豆鉄砲でも食らったような顔だ。
「全然。面白いことなんてあるか。やらなきゃいけないことをやっているだけだし、そもそもこういう場所は性に合わない」
平然と答えるあたり、ブレていない。
ぼくは彼の基準にできるだけ寄り添えるよう、言葉を選んだ。
「ええと、じゃあ、せめて楽しくしなよ。そういう場所じゃないか」
平馬はぼくの言葉を解せないようだったが、江里口さんはすぐに理解してくれた。
「よし、行くぞ。きょうはデートだ」恋人の腕をがっしりと掴んで、逃がさないように脇に抱え込む。「たまにはゲームセンターで遊んでみるのもいいじゃん。UFOキャッチャーも久しぶりにやってみたい」
唐突な提案に平馬はいくつか苦情を並べたが、江里口さんが有無を言わさずそのまま引っ張っていってしまった。ふたりは賑やかな店内へと消えていった。
結局、こんなに簡単に解決できる話だったのだ。それをわざわざ面白くないだの筋を通すだのと、ごちゃごちゃ理由をつけていた平馬のほうこそ、事実を小説の如く深読みしてしまっていたに違いない。
数日後、目的の景品が手に入ったと連絡があった。
そのころぼくは、連休明けのテスト対策と、ヒマを持て余した才華の相手とでそれどころではなかったのだけれど。