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テンサイ的少女のポートフォリオ  作者: 大和麻也
Episode.03 しんじょう
12/64

II

 放課後、江里口さんがぼくの教室にやってきた。

 才華の天敵と認識していたので、小柄で短髪の女の子の姿を見てすぐに彼女だっとわかった。教室をきょろきょろと見渡しているので誰に用事だろうかと思っていると、何度目かに目が合ったそのとき、ぼくのところへ歩み寄ってくる。そして机の前で身を屈め、耳打ちをするように口元に手を添えながら、

「ちょっと来てくれない? 時間ある?」

 と早口に伝えた。

「将棋部は活動日じゃないし、大丈夫だけど」

「うん、じゃあ来て」

 何の用? と返しても彼女は聞いてくれず、すたすたと教室後ろのドアから出て行ってしまう。まとめかけていた荷物をそのままに、慌てて追いかけることにした。

 何度か用件を訊きだそうとしたけれど、彼女は応じてくれず、ただぼくについて来いと背中で命じている。表情を窺っても、分厚い眼鏡の奥の瞳に何らかの特別な感情を示唆する輝きはなく、心なしか早足だ。

 それにしても、ぼくを連れだして何の用件だろうか。

 正直、わずかながら心躍っている。こんなシチュエーション、人生で初めてだから。

 結局、ぼくたちは裏門に辿りついた。こちらは駅とは反対方向にあり、窪寺周辺に住むごく一部の生徒が利用する以外は、時々業者の車両が搬出入のために停車するくらいの閑散とした場所だ。教室やグラウンドからも離れているため、一日中生徒の気配がほとんどない場所である。

 さて、そんなところに江里口さんは何の用事があってぼくを連れてきたのか。

「話があるんだけどさ」

 相変わらずさばさばした口調の彼女だけれど、声のトーンが以前より少し高く感じられるのは、勘違いだろうか。

「相槌はいいから、とりあえず黙って聞いてほしいんだけど」

 そう、きょうの江里口さんには、媚びている印象がある。

「どこから話そうかな? 整理がつかない……ちょっとだけ勇気も要るんだよ」

 ぼくのほうでも、聞くのに心の準備が要るかもしれない。

 まだ出会ってから数週間なのに、こんなこともあるのだなぁ……

「しょうがない、一番大事なことは前置きしておこう。まずね、あたし、彼氏がいるんだよ」

 ……おや?

 いま何て言った?

「その彼氏がな、何度約束しようとしても、ゴールデンウィーク中は会えないって言って断るんだ。こんなことは普段ならありえない。何か裏があると思うんだ。だから――」

「ちょっと待った!」

 整理しきれなくなって、自分の要件だけ一気に伝えてしまおうという江里口さんを静止した。黙って聞け、と前置きしていた江里口さんは、不満そうに「何さ?」とぼくの意図を問う。

 しかし問うまでもないではないか! 相手を置いてけぼりにして自分の話を済ませてしまおうという彼女のほうが悪い。なんたって、ぼくは「彼氏がいる」という最初の一撃で肝を潰してしまい、さらに続く恋愛相談という意外性にさらされて、処理能力の限界を超えてしまったのだから。

 深呼吸。

 変な期待をして無駄に緊張していたのが恥ずかしい。

「まず確認させてね」ぼくは頬の熱さを感じながら、平静を取り戻す時間を得るために問うた。「江里口さんには付き合っている人がいる、と」

「そう」彼女は事もなげに言う。普段通りのサバサバとした口調が続く。「ていうか、久米くんも知ってるんじゃない? 同じクラスでしょ、平馬(あずさ)

 へいま、あずさ。

 その名前をゆっくりと理解したとき、頭を強く揺さぶられるような驚愕に襲われる。

「平馬だって! 平馬? あの平馬なの? あの変人なの?」

 大声出すなよ、と眼鏡の少女はわざとらしく耳を手で塞いでみせる。

「『あの』って何だよ。学年に平馬って苗字はひとりだけだし、久米くんが知ってる平馬はあいつだけだろ?」

 彼女の冷淡ともいえる口調がかえって良かった。相手がペースを崩さないので、ぼくも割合すぐに落ち着きを取り戻すことができる。

「ああ、うん。そうだね……驚いちゃって。あの変人にも彼女ができるものなんだなぁ。あと、忘れていたけれど、下の名前は『梓』なんだね。女の子の名前みたいだ」

「そう言ってやるなよ。何かと自分の名前を気に入ってるみたいだし」

 ふう、と江里口さんは息を吐く。

「話、再開していい?」

 どうぞ、と手で示した。

 恋愛相談の依頼者は、苦々しい表情を作り、単語ごとに強弱をはっきりさせながら訴えを続ける。

「それでさ、会いたくないって言うからには、連休中に外せない用事があるのかって訊いてみたんだ。でも、旅行も帰省もしないって。それが嘘かどうかはともかく、何もないのに会えないってのを堂々と言いやがる。どういうつもりだ? あたしには、サッパリ理解できない。意味わかんないもん。矛盾してる!」

 感情的になっているようなので少し宥めたかったが、気圧されて零れた苦笑いを同情の表現と受け止めたのか、ますますエスカレートしていく。

「し、か、も! あいつ、ここ最近ゲームセンターに通ってるらしいじゃん。あいつがそんなところ好きで行くわけがないから、どこぞに新しい付き合いでもできたのかってんだ!」

 ここでトーンダウンして、悔しそうに呟く。

「なんか、最近しょっちゅう話すようになった女子がいるって。それどころか、その女とゲーセンでデートしてる日もあるって噂もあるし……まあ、あいつは男友達が少ないから、女好きの噂は時々あるんだけどさ」

 近頃親しい女子? ノートを貸していた、新谷さんのことだろうか?

 確証がないので黙っておこう。

 江里口さんの感情の乱高下を見るに、いわゆる倦怠期を迎えたカップルのいざこざではなさそうだ。むしろ、バカップルが些細なすれ違いに大騒ぎしている様を見せられているような気がする。

 それでも、話を聞いて彼女の疑念と怒り、そして少々の嫉妬を目にしたからには、それらを少しでも軽減できるよう協力するのが筋だろう。

「つまり、ぼくがあの変人に何か言ってやればいいんだね?」

 江里口さんは、ぼくが平馬と親しいこと、少なくともクラスメイトであることを知っていた。だから、ぼくに事情を伝えることで、ぼくの側から直接的であれ間接的であれ彼のほうにはたらきかけをさせようと考えたに違いない。

 しかし、ぼくの予想は外れだったらしい。

「それじゃダメだよ」首を横に振り、わかってないな、というメッセージを嘆息によって送られる。「あいつは秘密主義なところがある。闇雲に訊いたって仕方がないし、はぐらかされるだけ。あたしが無理なら、久米くんにだってできやしないだろ」

「なら、どうすればいいのさ」恋愛相談に付き合わされるというのは初めての経験だけれども、正直こうも疲れるものとは。「一発殴れとでも言うの?」

「ありえない」江里口さんは口を開けて笑った。「暴力にしたってなんにしたって、本人に訴えても暖簾に腕押しってもんだよ。あいつはあいつなりの正義が固いから、今回もそういうことだと思ってる。だから、あたしはあいつの隠し事を暴いて、スッキリできればそれでいいの」

 言葉通り疑心暗鬼を晴らしたいのも確かだろう。ただそれ以上に、江里口さんは交渉カードが欲しいのかもしれない。平馬が会いたがらない理由を知っていれば、「デートしろ」という圧力をかけるためのダシになる。それでも失敗する可能性はあるけれど、貸しにするくらいならできるはずだ。

 彼女はどうも、平馬にぞっこんらしい。

「要するにぼくは、あの変人がゲームセンターに行くのを目撃するなり、浮気の現場を押さえるなりすればいいんだね? でも、結局ぼくはどうすればいいの? 平馬を尾行するとか? というか、尾行はしていないの?」

 そう、平馬の目的を明かすためにぼくができることは限られている。まさか才華ではあるまいし、彼の真意を推理するなんて――うん? 推理?

「尾行は効率が悪いよ。あいつがやましいことをしていたからって、毎日とは限らないだろ? それに、万一バレたらそのあとが面倒だもん。それよか、もっと便利なヤツが久米くんの近くにいるじゃんか」

 江里口さんがにっと口角を上げる。ああ、わかったぞ。

「まさか! 才華に平馬の考えを推理させようって魂胆?」

「そういうこと!」

 満足げに大きく頷いて頷いている。こういう小動物っぽさが平馬にとってツボなのかもしれない。

「まったく、自分で頼めばいいのに」

「嫌だよ、家入にお願いするなんて」

 才華に頼むところまでは受け容れても、直接お願いすることはできないっていうのか! なんて邪魔なプライドなんだ!

「まあいいや、わかったよ。犬猿の仲のふたりがわざわざ会うことはないもの」

 問題は、才華のほうが江里口さんの「依頼」を受け容れるかどうかだけれど。

 とにかく、江里口さんが抱える悩みはわかったし、ぼくのやるべきこともはっきりした。頼むだけ頼んでみると伝え、踵を返そうとしたそのとき、「ちょっと待てよ」と棘のある低い声。背筋がぞっとした。

 振り返ると、こちらを江里口さんが見上げながら睨みつけ、口元には薄ら笑いを浮かべていた。

「あたしの彼氏に向かって何回『変人』って言った?」

 ああ、本当に好きなんだな。

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