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邂逅

 肺が痛い。いや、肺だけじゃなく全身が悲鳴を上げている。

 歯を食いしばってその悲鳴を押さえ込みながら、私は走る。

 私が今居る場所は人類未踏の地。特別指定禁域と呼ばれる世界でも片手で数えられる程しかない最上位の危険領域の1つであるリブラの森。

 その更に先だ。

「っ」

 気配を察知し、すぐに木の陰へと隠れる。

 直後、木の向こうから重い何かが鳴らす地響きの様な足音と枝が折れる音が耳に届く。

(お願い。あっちに行って。お願いっ)

 息を殺しながらその音の主が通り過ぎるのを願う。

 すると少しずつだが音が小さくなり、聞こえなくなった所で息を吐く。

 ギルドのリブラ支部から逃れられない依頼を受け、リブラの森へ調査に来たまでは良かった。

 リブラの森を調査し、どんどんと森の奥へと向かっていき、最終的には森の先にあるリブラの断崖の先にある人類未踏の地。

 そこへと私は仲間たちと共に辿り着いた。


 雲を突き破る程に高いリブラの断崖を登るのにはとても苦労したが、登りきった私たちを出迎えたのは思っても見ない物だった。

「遺跡……だよな」

 仲間の呟きに、私も他の仲間たちも答えることは出来なかった。

 目の前の光景が信じられなかったからだ。

 人類未踏の地であるリブラの断崖の上には、明らかに人工物である巨大な壁が佇んでいた。

 古くからあるようで苔や植物などが生えてはいるものの、破損どころか傷一つ付いていない真っ黒な壁。それが上も左右も見渡す限り続いているのだ。

 そう、続いているのだ。入口らしい場所も無くずっと。

 幾つもの死闘をくぐり抜けてきた仲間たちもこればかりは戸惑うしかない。

 何度も言うようだが、ここは人類未踏の地。誰も知らない場所なのだ。

 なのに人工物があるというのは、おかしい事だ。

 中に入ろうと入口を探そうにもこれだけ広いければ全てを回るのに時間がかかるし、二手に分かれようにも此処にどんな魔物が居るかも分からない現状では愚策。

 ベストなのはこの情報だけを持ち帰って、再度出直すことだ。

 普通ならそうするし、仲間たちもそう理解しているだろう。

 だが、今回は帰るわけにはいかない。依頼はリブラの森と未踏査の地に居るであろう知的生命体の捜索。

 その痕跡すら見つかっていない今では、帰ったら罰則とギルドからの評価が下がってしまう。

 罰則は別に構わないが、ギルドからの評価は世界全体からの評価になる。そうなれば、どこだろうとやっていけなくなってしまう。それだけは避けるべき事だ。

 なので、帰るにも帰れない。

 それにだ。

「……」

 この遺跡の壁と似たような物を私は知っていた。

 魔族たちの国である魔王国の最奥部に眠る超古代遺跡の壁だ。

 私は人間と魔族のハーフなので、魔王国に何度か行ったことがあり、その時に見たことがあったのだ。

 浄化の炎でも地獄の炎でも熱を帯びず、世界最硬の金属で作った武器でも傷つかない謎の鉱物だ。

 もし、同じものだとしたらここは手付かずの遺跡となる。

(ここを調査すれば失われた技術が見つかるのかもしれない)

 そう思ったら、調べずに帰るという選択肢は私の中で無くなっていた。

「この遺跡は仮称として天空遺跡としましょう。全員で固まって入口を探すわよ」

 もしかしたらこの遺跡を造った超古代人かその子孫が捜索を依頼された知的生命体なのかもしれない。

 そんな僅かな期待を胸に、私たちは遺跡の入口を探すべく移動を始める。

 仲間たちも帰ることが出来ないのは理解しているようで、意見は出なかった。思えば、この時に無理でも帰ることを選んだ方が良かったのかもしれない。

 魔物の襲撃などもなく順調に探索を続け、数日をかけて入口を見つけた私たちはそこから遺跡の中へと無事に入る事が出来た。罠なども無く、すんなりと。

 入口を抜けると、目の前に現れたのは見渡す限りの熱帯林。今居る場所は崖で、リブラの断崖程ではないにしろ高い。

 だが、幸いというべきか下へ続く道があったので地上へ行くことにさほど苦労はしなかった。

「此処にテントを張ろう」

 地上に着くと、すぐに仲間が探索拠点を作ることを提案してきた。立地としても、すぐに遺跡から出ることも可能なので異論もなく仲間たちも首肯する。

 テントを張るべく準備を始めた時。

「っ!?」

 背筋に寒気が走った。

 反射とも言うべきか、ほぼ無意識に横に飛ぶと同時に数旬前に私が居た場所を真っ白な何かが通り過ぎて崖に激突した。

 武器を抜く仲間たちに一瞬遅れて武器を抜いて臨戦態勢を整え、土煙立つ崖を注視する。

 細い枝を折るような音が何度もし続ける中、白い紙で出来た手を振るってそれは土煙が晴らす。

 それをなんと表現したらいいだろうか、白い紙の手が集まって出来た楕円形のモノだ。

 そこが頭らしく頭頂部を揺らして周囲を確認したようで、底部がほどけて目にも止まらない速度で回転をし始めたと思ったら浮かび上がった。

「エメララ・エルエメラルル。エエリラ・メルエロル」

「何を言ってやがる!」

 それが知らない言語で喋ると、仲間の1人が対抗するかのように叫んだ。

「エメラ……ピーッ」

 すると、今まで聞いた事のない甲高い音が出たかと思ったら───

「言語認識。仮定言語構築完了。再度通告を開始。侵入者に告ぐ。ただちに退去せよ」

 ────いきなり共通語になった。もしかして、先程までの言葉は古代語で、仲間の言葉から推測して言語を組み立てた……?

 凄まじく高い知能を前に背筋に冷たいものが走るが、相手が言葉を合わせてくれたということを考えると、交渉が出来るかもしれない。

 仲間たちと目配せをし、代表して私が口を開いた。

「勝手に入り込んで申し訳ありません。私たちはここに調査に来た者で、荒らしたりしに来た訳ではないのです」

「調査。拒否。最後通告。ただちに退去せよ」

 取り付く島も無いとはこのことだろう。こうなれば、やれる事はただひとつ。

「荒事にはしたくなかったけど、やるわよ!」

 こちらも何も調べずに帰ることは出来ないので、こちらの方針を告げるように仲間たちに意思を伝えた。

「おぉ!」

「よし来た」

「はーい」

 仲間達の掛け声と共に激戦が始まった。相手は真っ赤な光を放ち、それが当たった岩が真っ赤になったと思ったら溶けるし、紙の様に見えた手も巨木を簡単に切り倒すほどに鋭い。体自体もとても硬く、魔法もほとんど通用しなかった。

 かろうじて通用した魔法を纏わせた魔法剣を中心に戦い、徐々に削るようにダメージを蓄積させ、そして。

「はぁっ!」

「ガッザザーッピーッ……損傷率90%を超えました。稼、動限界、を……こ、え……」

 最後の一太刀によって大きく割れたそれは、その言葉を最後に沈黙した。

「はぁー……死ぬかと思った」

「全くだ……」

「疲れたー」

「もう動けん」

 私も仲間も満身創痍とまではいかないまでも、疲労困憊だ。かろうじて戦闘が出来る程度の体力しか残っていない。

「テントは別の場所にしましょう……」

 私の意見に全員は頷き、移動するべく動き出した時。

 ベチャリッと何かが落ちてきた音がした。その音の方を見ると、透明度のある紫色をした巨大なスライムが揺れていた。

 私達の後ろからは木を薙ぎ倒しながら、木よりも大きい巨大な二足歩行の熊の様な魔物。

 チロチロと舌を動かしているのは見た事もない巨大な蛇の魔物だ。それ以外にも巨大な泥の手や巨大なムカデなどの大量の見た事のない魔物が次から次へと姿を現す。

 先ほどまでの戦闘音を聞きつけ、大量の魔物がこちらへと迫って来ていた。

「撤退!」

 消耗している中で不明な、数十にも及ぶ魔物を相手に出来る程に実力があるつもりはなかった。

 この状況では準備も体力も万全な状態でも、切り抜けられないだろう。

 私の言葉で全員が生き残る為に疲れも忘れて走り、遺跡の出口へと向かった。

「俺が足止めをする!」

 その中で、1人。

「先に行け!」

 また1人と仲間たちが残りを逃がそうと犠牲になっていく。

「ちゃんと生き残ってよー」

 そして最後の仲間も私を少しでも逃がすために、足を止めて立ち止まった。それを心の中で謝りながら、無言で置き去りにして走り抜ける。

 後ろからは魔物の雄叫びだけが聞こえた。

 だが、仲間たちのおかげもあり、私は無事に崖の上まで着くことが出来た。

 やったと思い、入口に手を伸ばす。

 涙で歪んだ視界の隅に黒い物が過ぎり、そちらに顔を向けて体が凍りついた。

 黒い毛並みの猿の様な魔物が右腕を振りかぶっていた。

 咄嗟に武器を滑り込ませ、防御強化の魔法をかけて地面を蹴る。

 直後、感じたこともない凄まじい衝撃が全身を駆け抜け、腕と肋骨が嫌な音を立てて軋んだ。視界も白黒に点滅し、回復した時には既に崖は小さくなっていた。

(え、冗談でしょ)

 凄い勢いで飛んで行っていると理解した時、私は割と普通のトーンでそう思った。

 その後、森へと墜落した私は痛む体に鞭を打ってすぐに移動を始めていた。墜落した時に何本もの木にぶつかったので方向が全く分からなくなっていたが、まさに満身創痍の今ではすぐに動かずに居れば魔物に襲われてすぐに死亡だ。

 走り、歩き、隠れる。これを何度繰り返しただろうか。

 ずっと全身が悲鳴を上げている。

「けほっ……」

 体中が痛い。骨が折れたか罅でも入ったか腕も胸も痛い。肺も痛い。胸の骨は折れてるのか咳と一緒に血が出る。熱い。もう歩きたくない。疲れた。眠りたい。

(楽になりたい)

 そう思った途端に疲労がどっと襲ってきて、気付けば地面に倒れていた。

 起き上がろうとするが、体どころか指すら動かない。

 力を振り絞って腕を動かそうとするが、すぐに止めた。

(生きて……何をすればいいの?)

 仲間も死に、自分も満身創痍。魔物の巣のど真ん中で動けず、ただ死を待つのみ。

(もう……いいや)

 諦め、静かに目を閉じて眠る。

 瞬く間に闇に沈んで行く意識の中、何かが近づいて来る気配を感じたが何が出来る訳でもなし。

 次に目覚めた時は死んでいることを願って、私はそのまま意識を手放した。


「……あ、れ?」

 洞窟に運び込まれたのだろうか、目を覚ますと岩肌が露出した場所に横になっていた。

 視線を下に向けると、拙いながらも手当の痕が残されていた。その拙さから一生懸命さを感じ、思わずくすりと笑ってしまう。

 そこで気づく。手当をしたという事は知的生物が此処に居るという事だ。つまり、私たちがこの地獄へ来た理由が此処に居るという事。

「……」

 仲間を見捨てた事で依頼を達成するとは皮肉にも程がある。

「レイン、ザックス、キャシー……」

 死んだ仲間の名前を呟き、私は1人で静かに泣いた。

 どれ位そうしていただろうか、気付けばすぐ近くに気配がある事に気づいてそちらへ目を向ける。

 自分を助けた存在が人外だろうと、どんなに醜かろうとも、言葉が通じなかろうともお礼を言おうと思って。

 するとそこには、見慣れない白い服を着た真っ白な髪の少女が立っていた。

 年齢は10歳に行くかどうか位で、その顔立ちは恐怖を感じる程に凄まじく整い過ぎていて、作り物と言われたら信じてしまいそうになる。

 大きな目はある種族特有の鮮血の様な赤。

 魔族。しかも、かなり純血に近い。

 それを見て私は一気に警戒を高めた。

 魔族は例外なく瞳の色は赤だ。純粋な魔俗でなくともその血を少しでも引いていれば同じなのだ。

 そして魔族にも様々な種族があり、角が生えている事以外は人と同じ姿である魔人族や岩の様な甲殻に包まれた岩魔族などがそれだ。

 その種族以外の血がどれだけ入っているかで瞳の赤の鮮やかさが変わる。

 種族一つに限りなく近い───つまり純血か遠い先祖に1人別種族が居る程度───なら、瞳は鮮血の様な赤。逆に多く混じっていると赤黒い瞳になる。

 何故、純血に近いと警戒を高めなければならないかと言うと、純血に近ければいずれ魔王かそれに準ずる力を手にする事になるからだ。

 相手が理知的なら警戒は無用だが、今回はこんな地獄に居る純血だ。地獄を生き抜く実力があるのだろうし、私を助けたのもきまぐれ。もしくは種族次第では人喰いをするから、非常食として助けられたのかもしれない。

 私がじっと少女を見ていると、少女は小首を傾げた。

「*”$Y>*#!?>*#’&#$?」

「……?」

 小さい子供特有の可愛らしい声だが、その発音は理解不能。あの変な高い知能の物体とは違う言語で、私にはさっぱり分からない。

 この分だと、あの物体の最初に話していた言語の方がまだ解読の目処が立つ。

 少女は言葉が通じていないと気づいたのか、眉をひそめて唸りだした。

「”$&}+{、>&$%$’>‘‘>」

 少女が虚空に何かを言うと、目を閉じ、すぐに開く。

「言葉。通じる」

「!」

「通じる。恐らく」

 たどたどしいが、それは間違いなく世界共通語であるウィスリア語だった。

 あの一瞬で話せるようになるなんて、まさか……。

 脳裏にあの卵の様な物が過ぎる。

 もし、あれの別個体だったら手負いの今では成す術無く殺されるだろうが、私はもう命を諦めたんだ。潔く死のう。

「俺。ユキ。お前。誰」

「……私は、ギルドという組織に所属するアリシア・ヴェルゼノアよ」

「アリシア」

 言うのは辿たどしいのに、聞くのには問題ないみたいだ。それが少し気になるけど、別にどうでもいい。

「アリシア。傷。痛い。問題。ない」

「えーと、傷は痛くないかって聞いてるのよね」

 ユキの問い(?)に答える為に軽く体を動かす。少し痛みは走るものの、動けない程じゃない。激しく動けばその限りじゃないだろうけど。

「大丈夫よ。動くと少し痛いけど」

「俺。安心。そう。アリシア。此処。何故。来た」

 その問いに、私は目を伏せた。

 此処に来たのは知的生命体を見つけて報告する事。そして目の前にはその知的生命体。ユキの事を報告すれば、依頼は完了だ。

 でも。

「私、は」

 もしかしたら違うかもしれない。知的生命体が他にも居て、ユキは関係ないのかもしれない。

 それでも、私は。

「なんで」

「?」

「なんで、貴女は此処に居るのよ……!」

 ユキを責めずにはいられなかった。

「貴女が居たから、貴女の所為で私の仲間は全員死んだの!」

 助けてもらいながら、八つ当たりをするなんて最低だと思う。でも、もう止まらなかった。

 思いつく限りの罵詈雑言を小さな女の子にぶつけ、ユキはそれに対して何も言わずに聞き続けていた。気付けば私は涙を流し、慟哭する様に泣き続けていた。


 えーと、どうしよう。

 ユキは泣き続ける黒髪の女性を見下ろしながら、どうするべきか悩んでいた。

 黒髪の女性は、食料を取りに出て行った時に偶然見つけたのだ。見るからに死にかけだったし、初めての人間───アルテアは死んでるからノーカン───だったので大火傷覚悟で拠点へと運び込んだ。

 アルテアに治療を頼むと拒否し、とりあえず手当だけでもと貯蓄しておいた薬草と乾燥させたらまんま包帯になる草を使って手当をして寝かせておいた。

 その後、食料を取りに行って戻ってきて様子を見に来たら何か泣いてるし。

 言葉が通じず、なんでかとアルテアに尋ねると。

『お主の言葉が通じる者は居らんよ。我は翻訳スキルを持っておるから分かるがの』

 とのたまりやがったので、通訳魔法を使わせた。通訳魔法といっても、俺と女性の言葉を単語ごとに区切って翻訳するだけだが。

 なので、辿たどしいにも程がある。

 まぁそれで何とか話していたんだが、此処に来た理由を尋ねたら急に怒鳴りだして終いには泣き出してしまった。

 怒鳴っている内容から察するに、アリシア───女性の名前───の住む街の近くにある村に動物の内蔵が流れてきた。

 川の上流には特別に指定された危険区域と前人未到の地しかなく、動物を解体出来る知恵と技術を持つ何かが生まれた可能性が有り、その何かが無数に居るなら危険かもしれないので調査をしに来た。

 俺が助ける少し前に仲間たちと決死の覚悟で挑んでようやく五分になる程の強い奴らが大量に来て仲間を犠牲にして自分だけが生き延びた。

 その何かが俺だと思い、俺のせいだと糾弾していると。

 ……うん、大正解です。俺のせいです。

 丸まって唸っている女性に向かって───アルテアに頼み───睡眠魔法をかけて眠らせた。

「……どうしよう」

『言っておくが今は生物を蘇らせるのは無理じゃぞ。お主の体を借りて蘇生魔法を使えば、体が魔力に耐え切れずに爆散する』

 先を読んだアルテアによって、確実に許してもらえる方法である蘇生させるという選択肢が消える。

「俺、どうしたらいい?」

『最も簡単な方法は殺す事じゃな。こやつを亡き者にして何も無かった事にすれば全て解決じゃ』

「それ以外で頼む」

『我が儘じゃのう』

 ため息混じりに言うが、アルテアはちゃんと考えていたらしく解決策を提案してきた。

『謝るんじゃな。誠心誠意、精一杯な。あ、姿勢はジャパニーズ・ドゲザじゃぞ』

「お前、本当にいい趣味してるな」

 絶対にそれが見たいだけだろ、と思いつつもそれ以外の方法は思いつかないので誠心誠意謝る事にする。

 起きたら、すぐにジャンピング・ドゲザだな。

 そんな事を思いつつ、俺はアルテアに完璧な翻訳魔法を使うように駆け引きをしながらアリシアの傍を離れた。


 

「……」

 アリシアが目覚めた後、決めていた通りにジャンピング・ドゲザをした。強くなったからか完璧な状態で出来たその土下座の代償として両膝と額を強打した。凄くズキズキする。

 それを見たアリシアはこう思っていた。

(凄い音したけど、大丈夫かしら)

「えーと、大丈夫?」

「大丈夫です……」

 アルテアが完璧な翻訳魔法を使い───初めからそうしろ───完璧に聞き取れるようになった言葉。アリシアはその変化に気づきつつもとりあえずユキを心配する辺り、気のいい女性なのだろう。余計に言いにくいと思うユキは意を決して謝罪をしようと口を開いた。

「それで、その……アリシアさん」

「何かしら?」

「申し訳ありませんでした! アリシアさんたちが此処に来た理由の動物の内臓は、俺が川に流した奴です!」

「やっぱり?」

「はい!」

「そう……どうして動物の内臓を川に流したの?」

「肉が食べたかったからです! 結局、食べれませんでしたけど!」

 身勝手で我が儘に聞こえ、そしてユキの話を聞いてアリシアは溜息を吐いた。

「貴女、此処に1人で居るの?」

『我の事は話すなよ。説明が面倒じゃ』

「……1人です」

 突然のアルテアからの指示にユキは従い、1人と答える。ずっと頭を下げたままなので顔を見る事が出来ていないアリシアは完全に信じた上に何か勘違いしたのか悲痛な面持ちで目を伏せる。

「今まで……1人で大変だったんじゃない?」

「……何度か死にかける程度には」

 氷が無いと放っておけば勝手に死ぬとは言えず、ユキは軽く誤魔化す。謝罪をするが、弱点を教えるほど親しい間柄ではない。むしろ、アリシアにはユキを殺す動機があるので絶対に教える事など出来るはずもない。ユキだって生きたいのだから。

「顔を上げて、ユキちゃん。必死に生きようとした結果なら仕方ないとしか言い様がないわ。仲間たちだってきっとそう言うと思うし」

「アリシアさん……」

『ふむ。であれば、直接聞いてみればよい』

 唐突に聞こえたアルテアの言葉の真意を聞く前に、口が勝手に動き出す。

「トーキング・ソウル」

 淡い白い光が洞窟内を照らし、3つの小さな光球がアリシアの周りに現れる。幻想的な光景だが、それはすぐに崩れ去る。光球が姿を変え、光る白い人の形を取ったのだ。

「レイン、ザックス、キャシー……?」

『おー、やっと気づいた』

『ほんとほんと。アリシアってば気づくの遅いよねー』

『全く、世話の焼ける奴だな』

 どうやら3人はアリシアの仲間らしく、3人は笑みを浮かべている。

「どうして……」

『どうしてって、アリシアの事が心配だったからに決まってるでしょ』

『どうせお前の事だ。自分の所為で俺たちが死んだと思っているんだろ』

「実際、その通りだったでしょ!」

 仲間たちを怒鳴るようにアリシアは大きな声を上げた。そしてそれは仲間の言葉が真実である証左であった。

「私があの時、無理をしてでも帰っていれば貴方たちは死ぬ事はなかったのに!」

『あー、感情的になってる所に悪いがお前の独白を聞いている時間はないんだ』

 そのままアリシアが感情を吐き出そうとした所で仲間の1人が待ったをかけた。

『私たちはこの子の魔法で一時的に姿を現してるから、魔法が切れちゃうと話すことが出来なくなっちゃうんだよ。しかも、この魔法の対象になれるの一回こっきりらしいし』

『だから、手短に言う。お前は悪くない。そして俺らは常にお前のすぐ側に居る』

『自分を責めるな。俺たちはお前を恨んでいない。お前は正しかった』

「そんな、私は……」

『自分を責めないで、アリシア。私たちは貴女に生きて欲しかった。その為に私たちは自分の意思で残ったの。此処に来る理由の動物の内蔵を流したこの子も悪くない。前を向いて生きて、幸せになってアリシア』 

『あぁ。俺たちの事は忘れて自由にな』

『お前の事だから俺たちを忘れる事は出来ないだろうけどな』

「当たり前、じゃない。貴方たちを忘れる事なんてっ」

 仲間たちの願いは届いているが、その全ては聞く事なんて出来ない。そしてそれを分かっている仲間たちはアリシアを抱きしめた。

『そろそろ時間だ』

『もう一度言うぞ』

『私たちはずっと貴女の側に居るから』

 光が徐々に弱くなり、掻き消えるように3人は姿を消していった。その間、アリシアはもちろん感動したユキは涙を流し続けた。


「色々と酷い事を言っちゃってごめんなさいね」

「いえ、当然の事ですから」

 色々と整理がついたアリシアは、ユキに謝る。ユキはその謝罪を受け入れつつも罵られて当然なので頭を下げた。

 そんなユキを見て「大人だね」と言ってアリシアはユキを撫でようと頭に手を伸ばす。

 だが、それが間違いだった。

 アリシアの手がユキの頭に触れ、そのまま撫で────

「冷たっ!?」

「ぎゃっ!」

 ───ようとして双方が悲鳴を上げた。

「離れない! もしかしなくともくっついてるの!? というか、感覚が無いんだけど! まさか凍ってる!?」

「ぎゃぁあああああ! 熱い! 熱いぃいいいい!」

 温度差的に、熱された金属を押し付けられたに等しい所業を受けてバタバタと暴れるユキと手がくっついて凍っていくという割と惨事になっているアリシア。

 どちらも悪くなく、強いて言うのであれば不幸な行き違いによって起きた事故だ。この惨事はアルテアが何とかするまで続く。

 アルテアによって何とか収拾が付き、すぐに治療が始まる。

『大丈夫じゃ、痕には残らんぞ。記憶には残るじゃろうがな』

「ぜひーっ……ぜひーっ……」

「……何とか治りそうね」

 アルテアに治療されつつ涙目で頭を抑えているユキに対し、アリシアは自分の魔術で手を治療する。2人が治療を終えると改まってユキは自己紹介をした。

「ユ、ユキ・セツナ。雪女なので、体温は凄く低いです。アリシアさんが触れると大惨事になるので、注意してください」

「えぇ、身を持って思い知ったわ。次からは気をつけるわね」

 手の感覚を確かめて問題は無かったようでアリシアは安心したように大きく息を吐いた。因みに完全に凍りついた手を元に戻のは難しいので、それだけでアリシアは治療魔術師として一人前の腕を持っていると言う事になる。

 才能に恵まれたか、それとも回数をこなしてきたか。はたまた難易度の高い治療をこなしてきたか。

 治療魔術というのは怪我や病気に解毒など種類は多岐に渡り、その中には非常に厄介なものもある。

 それは過剰回復を引き起こすものだ。対象の持っている治癒能力を暴走させて一気に肉体的寿命を奪うというえげつない術で、既に死んだ肉体には効かないが生物であれば通用する。

 回復に耐性などないから、無効になるスキルなどあるはずもない。

『……要注意じゃな』

 警戒が込められた呟きはユキには届かず、空間に掻き消える。それを気にすることなくアルテアは無言でアリシアに目を向けると今後の対応を考える。通常なら数分かかる思考をスキルによって一瞬で行ったアルテアは当初の予定通りにする事を決めると、ユキに助言をするべく口を開く。

『このアリシアという女をとっとと追い払った方が良いぞ。寝首を掻かれるかもしれん』

 元々、アルテアはアリシアを助ける事には反対だったのだから排除に動くのは当然だった。最悪、無理やり憑依してアルテア自身が排除を行う事を視野に入れてはいるが基本はユキ任せだ。ユキとの禍根はアルテアは全く望んでいないのだから当たり前ではあるが。

「それで、アリシアさんはこれからどうしますか?」

「敬語はいらないわよ。貴女はまだ子供なんだから気を使わなくてもいいの」

「あー、分かった」

 少し葛藤しつつも、ユキは転生前の年齢も含めれば40近く(今の体=年齢で計算すれば)なので見た目20代前半のアリシアに敬語は少々抵抗があったのでお言葉に甘えさせて貰う事にした。

「それでユキちゃんは今いくつ?」

「すうk……9歳」

 数ヵ月と言いかけ、慌てて言い直すユキ。アルテアが何も言わないという事はこれで合っているはずだと根拠も無く確信する。

 当のアルテアは、その辺りの知識───もとい常識───を教え忘れていたと自分のミスに頭を抱えていて何も言えずにいただけだったが。

「……えーと、9000歳ってこと?」

「きゅうせ……」

 アリシアの言葉でミスをしたのだと自覚したユキは何もない所を睨む。アルテアは持ち直したようで手短にユキに常識を教える。

『雪女を例として説明すると、魔族は雪女などの一種族のみもしくは他の種族が混じっても遠い先祖という者は純血、魔族のみだが雪女以外の血も混じっていると混血、魔族以外も入るとハーフ、クォーターと呼ばれる様になる。お主は雪女のみの完全なる純血。純血は混血やハーフと比べて体の成長速度は著しく遅く、混血やハーフと比べると2分の1、人間と比較するとおよそ人間の1000分の1という遅さじゃ』

 つまり純血魔族の9歳は人間で言う所の9000歳に相当するというわけだ。

「そ、そうそう。俺は9000歳なんだよ」

「なら、私よりも500歳年下なのね」

 納得したように頷くアリシアだが、どう見ても20代前半なのに9500歳だという。つまり、アリシアは混血かハーフと言う事だ。

「えーと、アリシアさんは……」

「あぁ、私は魔族と人間のハーフなの。まぁ魔王国で生まれ育ったわけじゃないから、魔族としての誇りだの言う選民思想は持ち合わせてないけど」

 何か嫌な事があったらしく、忌々し気にそう言うと我に返って肩を竦めた。

「ユキちゃんは此処で育ったの?」

「あぁ。此処で生まれ育った」

 初日で死にかけたけどな。

「ご両親を亡くしてからは大変だったでしょ」

「え」

 妙に可哀想な目で俺を見ていると思ったら、両親に先立たれて1人で何とか健気に頑張ってる幼女と見てたのか!

 アリシアの慈愛に満ちた目の意味を理解したユキは口を閉じてぐぬぬな気持ちとなる。

「分かるわ。私も母親は人間だから寿命で死んじゃって、魔族の父親とも反りが合わないしで1人で生きてきたから」

 何度も頷くアリシアは良い事を思いついたかのように手を差し出すと。

「私の傷が治ってからになるけど、私と一緒に此処を出ない?」

 そう誘った。

「……俺」

 嬉しくないと言ったら嘘になる。

 訳も分からずこの世界に来て数ヵ月、アルテアが居るから1人ではないがアルテアは死んでいるので実質1人。意思疎通が出来る初めての相手がアリシアだった。

 わだかまりが無くなり、アリシアはユキの事を許して善意で誘っているのだろう。

 生まれて初めて触れる人の優しさに、ユキはぐっと唇を噛む。

 アルテアは何も言わない。ユキの決断に従うと言っているかのようだ。

 だから、ユキは考える。

 この機会を逃せば、もう一生此処から出ないかもしれない。此処から出て外の世界を見てみたいとは思う。でも、それと同じくらい怖い。

 まず外が怖い。アリシアを此処まで負傷させたのが外にうじゃうじゃいると思うとたまらなく怖い。

 次に仲良くなるのが怖い。今は大丈夫でも、アリシアとそれか別の誰かと仲良くなって失ったらどんなに悲しいか。何かに殺されるか、それとも寿命か。はたまた自分の暴走した力か。大切な者と別れる事がとても怖い。

 最後に変わるのが怖い。外に出たとして、自分はどうなってしまうだろう。人と人と交わって良い意味でも悪い意味でも自然に変わっていくだろう。良い意味で変化したらそれは最高だろう。でも、悪い意味だったらどうだ。最悪、自分が最悪の形に変わって世界を滅ぼしたら。その時に大切な者はどちらにいてくれるだろう。自分を見失ってしまうのではと凄く怖い。

「……ごめん、俺は外が怖いんだ。だから、ごめん」

 そうだ、今まで頑張って何とか生きていこうと思ったのは外が怖かったからだ。俺はもうアルテアが用意したこの洞窟の外が、もう怖くなっていたんだ。少しなら大丈夫でも、ずっとだと耐えられない。

「そう」

 アリシアは残念そうに小さく息を吐くと、あっけらかんに笑いながら言い放った。

「まぁ私も外が怖いから一緒ね」

「……え?」

「いや、仲間たちが居ないのに此処から出られる訳ないでしょう?」

「……はぁああああ!?」

 ユキは噛み砕くように呆然とした頭で考え、目も口も大きく開いたまま絶叫した。

 アリシアはくすくすと笑いながら横になり、おやすみと呟いて目を閉じる。完全にやり逃げである。

「ちょっおまっさっき寝たばっかりだろ。おいっ寝るなぁああ!」

 騒ぎ立てるユキの声をどこ吹く風でアリシアはそうそうに寝息を立て始め、ユキは癇癪を起こしたかのように唸りながら頭を掻き毟ると踵を返した。

 起きたら文句を言ってやると思いながら。

 だが、ユキはこの時思いもしなかった。明日にはもう、アリシアと会う事は出来なくなってしまうという事に。


「ん……」

 目を覚ますと、そこは岩肌が露出した洞窟の中。

 アリシアは今までの事が夢じゃなかったと再認識して溜息を吐いた。

 後悔や悲しみはまだあるが、もう自分は前を向いている。そう思いながら、だいぶ楽になった体を起こす。

「あら?」

 すぐ側にリンゴが置かれているのに気づき、これが食事なのだと理解してそれを手に取り齧る。

「甘くて美味しい。それに何かとても食べやすいわね」

 リンゴを齧りながら洞窟内を見回すがユキの姿は見えない。ユキかその肉親が作ったのかそれとも自然なものを利用しているのか洞窟は立派な物で、とても頑丈な地盤なのが見て取れる。

(ふられちゃったけど、あの子には外の世界を見せたいな)

 まだまだ未来ある子供には広い世界で羽ばたいて欲しい。そう思うのは命の恩人だからか、それとも自分の母性から来るものか。

 そんな事を考えながらリンゴを齧っていると、ペタリっと足音が聞こえた。その音の方を見ると、やはりそこにはユキが居た。

「おはようかしら。それともこんばんわ?」

 無言で佇んでいるユキにアリシアは内心首を傾げていると、ユキがその白くて細い指でゆっくりとアリシアを指差した。

「?」

「……────」

 ざらりっと音がした。

 大量の砂が落ちる音と共に態勢を崩してアリシアは床に倒れこんだ。

 見ると、下半身が無くなっており、上半身も徐々に砂となって消滅して行っていた。

「これはある程度の実力差が無ければ通用しない。お前との実力差はほとんどないが、少し無理をすればこの通り」

 長い年月を生きてきたアリシアですら全く知らない現象に驚きながら、ユキを見る。

 ユキはつまらない物を見るかのようにアリシアを見下ろしながら、目を細める。

 そして気付く。

「貴方、ユキちゃんじゃないわね……!」

「ほう。それほど話していない相手だと言うのに気付くとは、相当入れ込んでいたようじゃな」

 相手は感心したように薄く笑みを浮かべるとアリシアの顎を掴み顔を強制的に上げる。

「我が何者かは言えぬが、お前が何億年生きようが到達し得ぬ頂きに座す者とだけ言っておこう。まぁこれもどうせ無駄になるだろうが……そろそろ時間じゃな」

 頭だけとなったアリシアを丁寧に床に置くと、今度は慈悲深い聖母のような表情を浮かべて相手は両手を広げる。

「この地の事は忘れるがいい。お前如きがこの地を踏めた事は、偶然と偶然が重なり合って生まれた奇跡のようなものなのだからな」

 アリシアが、消える。

「もう会う事もあるまい。さらばだ」

 後悔のような、謝罪のような、そんな呟きが虚しく。洞窟に響いて消えた。

↓ 本作品の改稿版的なものです。全く別物になっておりますので、こちらも見ていただければ幸いです。

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