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拉致された妻を救出せよ

作者: 松田寿生

猿飛佐助は霞のかかった森の中を妻の優子を追って駆け出した。


優子は何者か分からない男に腕を掴まれて、物凄い速さで佐助から離れて行く。


佐助は若いころ野球をしていたので体力には自信があった。


それでも喉から心臓が飛び出すと思えるほど全力で追いかけても、すぐにそれが無駄と思える程早いスピードで、その男と優子は佐助の体力と視力の限界をいとも簡単に越えてしまった。


佐助は優子を求めて全身の力を声帯に集め妻の名前を呼んだ。

「優子ーッ」





次第に佐助の目の前の霞が消え、カーテン越しに外の光が視界に広がっていった。

<夢だったのか。変な夢を見たものだ>

佐助は隣で寝ている妻を見た。


優子はまだ眠っている。かすかに寝息をたて、佐助に背を向けて寝ている。

<そろそろ起きてコーヒーを入れるか>

と思いながら、かすかに頭の隅に引っ掛かっていた違和感が優子から発せられていることに気付きあらためて優子を覗いた。

<違う。この女は優子に似ているけど優子ではない>佐助はまだ夢の続きではないかと思った。

しかしそれは紛れもない現実だった。

妻の優子よりも十才ほど若く二十四・五才だろう。

佐助は恐る恐る再度その女を確認した。

<やはり違う。この女は優子ではない>

佐助は何かの間違いではないかとベッドに入る前の記憶をたどった。


<少しビールは飲んだけど、そんなに酔ってはいなかった。そして俺の隣に寝ていたのは紛れもなく妻の優子だった。なのになぜ・・・。この家は確かに俺の家だ。まだ新築して二年しかたっていない。しかしこの女は優子ではない。優子はどこに行った>


佐助は家の中や周辺を捜したが妻の優子はどこにも居なかった。

佐助は洗面所の鏡に向かって歯を磨きながら考えていた。


「おはよーっ」

鏡に映った佐助の隣にさっきの女がいた。


「今日は日曜日なのに、早いのね」佐助はこの女がいやに自然に話しかけてくることを不思議に思った。

「おまえは誰だ。なぜ俺の家にいる」

「何、朝から冗談言ってんの。私は熊本市まで買い物にいくから洗濯やお掃除、ちゃんと済ませてからパチンコには行くのよ。分かった」


確かにものの言い方にしても、佐助の趣味を知っていることから判断すると優子に違いない。

「すみませんが、貴方は優子さんでしょうか」

「何言ってんの、妻の顔も忘れてしまったの」

「いや、今日は若くきれいに見えるものだから」

「あら、そう。日頃のお手入れの効果かしら。お世辞でも嬉しいわ」

<やはり、優子らしい。単細胞なところも同じだ>

「少し、こづかいくれないかな」

「いいわ。五千円だけね」

<いや、やはり違うかな。優子がこんなにいうことは滅多にない>

「何、ぶつぶつ言っているの。不服ならあげないわよ」

<やはり..、優子だ>


五千円貰ったのはいいが、草取りまで言いつけられてしまったことに少し腹をたてながら、佐助は考えていた。


<優子だとするとあの変身ぶりはいったい何なのだ。優子は自分の姿をみて気付いていない。

とすると俺の眼が悪くなったのか>

パチンコに行ってもそのことを考えてしまい全然面白くなかった。


帰りに喫茶店「スイス」に寄って軽食をとった。

「猿飛さん、何を考えているの。先ほどからあまり食がすすまないようだけど」同級生のマスターが声をかけた。

「実は妻が若いほかの女に見えるんだ」

「いいじゃありませんか。うちの女房なんか鬼に見えますよ」

<やはり話しにならないか>

佐助は店を出た。


優子と結婚して十年が過ぎた。子供がまだいない気軽な生活を佐助はごく普通のように過ごしてきた。

<心の奥深い所で少し刺激を求めていたのかもしれない。それがこういう現象で起きてきたのだろうか。確かに若い女には魅力を感じる。しかしそれはごく普通の誰にでもある感情だろう。

仕事はそんなにハードではない。

職場の人間関係もうまくいっている。精神的にも何ら変わりはない。酒は飲むがその性でもなかろう。とすると、幻覚でないとすると事実ということになる>佐助は優子が帰ってこない間に、今後の対応の方針を決めなければなかった。しかしなかなか浮かんで来ない。


冷蔵庫からビールを一本抜き取ると馬さしの薫製をつまみながら考え込んだ。

<本当に変身したのか、あるいは俺だけにそう見えるのか。まずそこから確認してみよう。

若くなっている事実。いやそう見えるという事実。前より美人になったという事実かそれとも錯覚。それらが事実としたら俺が異常ということになる。脳の記憶の部分か視神経の部分の異常か。これまでの優子の記憶が夕べ寝ていた時にすり変わったとすれば全て説明がつく。しかしなぜ、そのようなことが起きたのか、あの夢の性なのか>

佐助は仮説をたてた。そして後は、しばらくの間様子をみて考えることにした。


ただ夢の中の謎の男が優子を拉致する時のあのスピードがどうしても気になってしかたがない。

今夜から枕元にスタミナドリンクを置いて寝ることにした。


「ただいま、夕食はまだなの」

「だって冷蔵庫の中には何も入っていないから」

「そうだと思ったから、ケンタッキーのフライドチキンを買って来たわ」


佐助は注意深く優子の顔を見上げた。やはり朝出かけた時の顔ままである。

「何よ、変な人ね。今朝から私の顔をしげしげと見るんだから。何か私に隠し事しているんじゃないの」

「違うよ。きれいになったから二度惚れしているのさ」

「全く変なことばかり言って、少し疲れているんじゃないの」


佐助は自分の心を見通す優子に不自然さをあたえないよう自分に言い聞かせた。


「何か、いい買い物があったの」

「ううん、特にこれといった物はなかったわ。少し疲れたから先にお風呂に入って寝るわね」


佐助は久しぶりに優子と一緒に風呂に入った。

「今日はちょっと得したな。新婚時代に返ったみたいだった」

「何言っているの。邪魔しないでね、わたし眠るから」

佐助はなかなか眠れなかった。昨日までの優子と今日の優子が代わるがわる思い出されて眠れなかった。


それから一週間が過ぎ次の日曜日が来た。

また同じ夢をみていると佐助は夢を意識した。やはり森の霞の中を優子を追って走っている。しかし優子は違っていた。この一週間前に現れた優子に変わっていた。みるみる遠ざかる優子を追いかけながら佐助はポケットからスタミナドリンクを取り出し飲んだ。全身にパワーを感じスピードがでて、もう少しで優子に手が届きそうだったが脚がもつれて倒れた。そしてまた、佐助は優子の名前を呼んで目が覚めた。


<また変な夢をみてしまった。ひょっとしたらまた優子は変身しているのではないか>

と、とっさに思った佐助はとなりで眠っている優子の顔を注意深く覗きこんだ。佐助の感は当っていた。優子の髪に白いものが少し混ざっていた。


外は雨が降っているようで静かである。時おり自動車が濡れた舗装道路を湿った音を残しながら通り過ぎていく。優子は鼾をかいて眠っている。


<今度の優子は五十才を過ぎているようだ。どうせならもっと若い優子を期待していたのに>佐助は本当の優子を救い出したいと考えていた。

<一週間前は若い優子だった。今度は二十才ほど歳をとった優子である。本当の私の優子はどこへ行ってしまったのか。それにしてもあの夢に出てくる謎の男はいったい何者なんだ>

佐助はそれが解決の糸口をつかんでいると直感した。今度同じ夢をみたら何としてもあの謎の男を捕まえなければならない。


佐助は先週と同じように洗面所の鏡に向かって歯を磨いていた。

「おはよーっ」

隣に映った優子の顔や姿は知的に老けている。

その顔を鏡ごしにみつめている佐助に優子はウインクした。

「今日は日曜日というのに、早いのね。私は熊本市の詩吟の大会に行ってくるので洗濯や掃除を済ませてからパチンコには行くのよ」

「少し、こづかい、くれないかな」

「五千円置いておくから夕飯のしたくしといて」 佐助は歳老いた優子を愛しく想い、優子を後ろから抱きしめた。

「だめだめ、だまされないから」

優子には佐助の想いは伝わっていない。佐助は優子を抱きめ頬にキスをした。

「変なひと」

優子はそう言い残すとタクシーに乗り込んだ。


<どうしても夢の中にでてくる謎の男を捕まえなくてはならない>

佐助はロープを買ってきた。

<これからは枕元にロープを置いて寝ることにしょう>


夕飯は佐助が好んでいるシメジの釜飯である。

優子は<おいしい>と言って食べた。


「今日の詩吟の賞品はこれなんよ」

優子は消しゴムのセットを佐助に見せて笑っている。「おかしい賞品だね。何度でも消して挑戦せよと言っているのかね」

「ただ、安いからよ」


次の日曜日が来た。やはり同じように夢をみた。 <一体おまえは誰だ> 佐助は正体不明の男に叫びながら二人を追い続けた。いつものようにどんどん引き離されていく。佐助はスタミナドリンクを飲んだ。

腰に巻いていたロープを優子に向かって投げた。ロープはうまく優子をとらえた。佐助は優子を抱き締めた。思ったとおり優子は昔なじみの優子だった。

突然、正体不明の男が佐助の顔をおもいきり蹴り上げた。一瞬気を失った佐助に<消しゴムを投げて>と言う声が聞こえた。佐助はポケットに入っていた消しゴムを投げた。正体不明の男が佐助の前に倒れた。「おまえは一体誰だ」

佐助はその男に馬乗りになり腕を締め上げて問い詰めた。

男は苦しさにあえぎながら、

「おれはこの小説を書いている作家だ」と、言った。

「ならばなぜ、私の妻の優子を奪おうとするんだ」

「いや今度優子を主人公にした小説を書こうと思ったからだ」

「嘘つけ」

「嘘じゃない」

「そんなこと信じるもんか」

「分かった、分かった。もうしないから許してくれ」

「本当なんだな」

「本当だ、作家に二言はない」


佐助は作家に誓約書を書かせた。

<もし嘘をついたら作家と小説の主人公が入れ替わってもいいことをここに誓います>


窓から差し込む光がカーテン越しに朝を告げている。

<変な夢をみた。優子が三人出てきたけど...。それぞれ良かったなぁ>

佐助は暖かい優子の体温を腕に感じながら朝を迎えた。


そしてあらためて優子の顔を覗きこんだ、少しの不安と期待を胸に。。。◉(*^_^*)


窓の外ではいつものように小鳥たちが歌っていた。


何事もなかったかのように。


おしまい


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