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「という訳で………って、お前ら聞いてんのか!」
終業式も終わりホームルームで担任が毎年行う恒例の「夏休みだからといって」という決まり文句も無事終わり、長期休暇を前にした生徒たちの緊張感のなさに先生は怒号を飛ばしているが聞いているものはいない。
「まぁ、良い。問題を起こして先生が呼ばれたりする事の無いように。じゃあ、クラス委員…今学期最後の挨拶を。」
「起立………礼。」
『きゃあぁぁぁぁぁっ!!』
思い思いに鞄を持ち、教室を後にするクラスメイトたちはホームルームという鎖を断ち切り、自由を得て教室を飛び出していったのだった。
「こら、 お前らっ!最後の挨拶くらいっ!!ちょっと!おいコラ!待て!」
そんなこんなで始まった高校二年生の夏休み。ぼく、八坂一樹は活動の実態のほぼない天文学部を口実にフラフラと学校に来ては、星も見えない真昼の空を見上げるのが日課となっていた。
「今日も暑いなぁ…何で売店にアイス売って無いんだろ…夏休みとか売れると思うのになぁ。」
「そりゃあ、ここが学校だからだ!…まったく八坂、お前は用もないのに毎日毎日学校の芝生の上でゴロゴロと…友達とか彼女とかいないのか?」
「友達はともかく、彼女はいないッスよ。それに、家より学校の方が涼しいんですよ。お陰様で、夏休みの課題は六日目にして殆ど終わりました 。」
「ぐうたらなのか、勤勉なのか分からんヤツだ。部活はやる事ないのか?天文学部だろ?」
「じゃあ、視聴覚室の鍵下さい。星座のDVDでも観ながらクーラーの風を満喫しますよ。」
「それは出来ないな。せっかくだから課題を全部終らせてしまったらどうだ?」
夏休みに部活動で来ているぼくが、何故外の芝生なんかで時間を潰しているのかというと、過去の先輩方の伝統と積み重ねの結果である。冷暖房が効く事を良い事に漫画を読み、お菓子を食べ、ゲームまで持ち込んだのが発覚したのが丁度三年前の夏休みだったらしい。お陰様で、我らが天文学部は長期休暇の部室の使用を禁じられたのである。
「まったく…一番活動しやすい夏休みや冬休みに部室使えないで何をするんだ、天文学部…いっそのことその時に廃部にでもなっていてくれてれば…。」
この学校には一般家庭では使えないようなプラネタリウムがあり、それを目的に意気揚々と入部したのは良いが、校内では視聴覚室の様な一定の条件が揃った教室でしか使用出来ず、結局はやる事がないのである。
「あれ?先生いつの間にかどっか行ってるし…。」
…人気の少ない教室からは吹奏楽部の練習が聞こえてくる。
「せめて曲の練習しててくれたら良いのにな…。ぷわぁ〜とかぴょろろろろ〜とか毎日聞かされる身にもなって欲しいな。」
「なに勝手な事言ってるのよ。吹奏楽部の人たちは新入生に基礎を学ばせるのに上級生も一緒になって懸命に努力してるっていうのに!あんたは今日もこんな所で寝て!」
「なんだ、みなみか…今日も学校来てたんだな。」
彼女は瀬戸みなみ。数少ない物好き仲間…つまり天文学部の部員でクラスメイトで、厄介な幼馴染だ。
「何よ来たら悪い?って、違う!顧問の芦田先生が天文台に連れて行ってくれるって!」
「ホントか!すぐ準備する!」
「事務所の前で先生と待ってるからね。」
「おう!」
先ほど迄と、うってかわって素早い動きで鞄を取りに走る一樹の姿を見送りながら、みなみは微笑む。
「まったく、現金なんだから…。」
耳障りな蝉の鳴き声も、無事に合流して乗り込んだ車内には窓ガラスとクーラーの音に遮られて聞こえる事はない。
「何で活動の実態がない天文学部の生徒が夏休みに二人も学校にいるのよ…せっかく今年は楽が出来るって思って顧問引き受けたのに。夏休みくらい休みなさいよ。」
そうぼやく芦田先生は、まだ大学を出て五年目の若い先生で天然、巨乳、眼鏡の三点セットで生徒に絶大な人気を誇る(特に男子)教師だ。
一見、真面目で落ち着きのある女性なのだが、よく転び他人を巻き込んでは物を壊すという特性を持っていて、始めこそ巻き込まれた男子からは喜びの声が上がっていたが最近では自らが巻き込まれるのは割に合わないと遠巻きに見る生徒の方が多いのだ。
「先生って車運転出来たんですね。しかもかなり車に年期入っている様に感じるんですが…。」
「あぁ、これは私のお父さんが乗ってた車なの。すっごい大事にしててね、つい先日私が引き継いだって訳。クラシックミニなんて言われて、生産中止になって十年以上経つから意外とお高いのよ?この車…。」
そんな事より、天然で何も無い所でよく転ぶ芦田先生の運転でクラシックなんて呼ばれる古い車に揺られ、ぼくたちはクーラーが効きすぎているのではないかと思える程に涼しい思いをしながら天文台へと向かった。
「来ようと思ったら自転車で来れない事も無いけど、片道一時間はかかるわよね…。」
「一時間も真夏に自転車こいで来たら倒れるな…。」
最近新しくリニューアルされたこの天文台は、アジアでも最大の望遠鏡がある施設だ。他にもプラネタリウムもある星好きには堪らない施設になっている。
「ぼくはプラネタリウム行ってくるから!」
「ちょっと!勝手に行かないでよ!…って先生すいません。」
あっという間に入場の手続きを済ませた一樹は、駆け足でプラネタリウムに真っ直ぐ走り消えていく。
「あら、八坂君は望遠鏡よりプラネタリウム派なの?」
「あいつ、望遠鏡見ないんです…。昔はよく一緒に望遠鏡を覗きこんで星を見たりしてたんですけど、事故にあってから望遠鏡を全く見なくなっちゃったんですよね。」
「事故?」
「中学一年の時に星を見に行った帰りに、歩道を歩いていたんですけど、飲酒した人の運転する車にはねられて…その時に頭を打って数日目覚めなかったんです。意識を取り戻して検査をして貰ったら重大な後遺症は残らない。生活には問題ないと言われたんですけど、一つだけ変わってしまったんです。」
ほんの小さな変化…そしてそれは一樹の大事な物を壊すには十分な変化だったのだ。
「視力が落ちたんですよ。左右ともに1.5〜1.8くらいに…。」
「それってそんなに悪くないわよね?」
「でも、一樹には違ったんです。とても視力が良かった一樹には普通の人には見れない等級の星まで肉眼で見えてて、夜空にはそんな小さな星を含めると膨大な数の輝きがあったんだと言います。…それが見えなくなった…命が助かったんだから…それだけの事でという人もいる。でも一樹にはとても大事な事だったんだと思います。」
「分かるわ…好きだから譲れないモノって誰にだってあるもの。それでも星が好きでプラネタリウムに言っているんだから、きっと大丈夫よ。」
「見えるんだそうです…プラネタリウムなら、肉眼では見れなくなった星が見えるんだって…今でも見たいんですよ!本当の星を!あの目で!」
「………瀬戸さん。もう、仕方ない子たちね。そんな事情があるんならちゃんと話してよ。何がなんでも学校の部室使わせないって訳じゃないのよ?…ちゃんと本当に必要な生徒がいるなら話をして許可が下りる様に頑張ってあげるわよ。ほら、八坂君を追い掛けるわよ!」
「えっ…あ、はい!」
こうして、ぼくたちの本当の夏が始まったのだった。
〜〜〜〜〜〜
「ねぇ、夏休みの課題どれだけやってる?」
「ん?もう終わるけど、それが何?」
プラネタリウムを堪能した帰り、車内でみなみの突然の質問に首を傾げていると、芦田先生から意外な言葉が飛んできた。
「じゃあ、二人ともあと三日で全部終わらせておいてね。そしたら私も夏休みだから一緒に星を見に行きましょう。」
芦田先生の急な提案に目を白黒させる。
「ちょっと待って!?何で星を見に行こうってなってるの!」
「何でって私たち天文学部じゃない。星を見に行こうっていうのは普通よね?」
「そうよ、普通よ。普通。」
「でも、僕は…みなみは知ってるだろ。」
…そう、僕は夜空を見るのを止めたんだ。
「知ってるわよ?部屋のクローゼットの隅にあの時買ったまま使ってないテントと望遠鏡を捨てられずにずっと持ってる事も…本当は見たいんじゃないの?ずっと試してないんでしょ?」
「なんでみなみが僕の部屋のクローゼットの中身なんて知ってるんだよ!」
「おばさんに聞いたに決まってるじゃない。幼馴染なめないでよ?えっちな本は本棚の裏にあるのも知ってるわよ。」
あまりの情報の筒抜けぶりに空いた口が塞がらない。それを見た芦田先生は運転しながら大笑いする。
「あなたたち、本当に仲が良いのね。でも瀬戸さんは男の子の秘密をそんな風にバラしちゃ駄目よ、親しき仲に礼儀ありって言うでしょ。それに八坂くん、私の為にも天体観測に協力してくれないかしら?天文学部の顧問なのにちゃんと星も見たことないなんて、ちょっと寂しいじゃない。」
「先生がそう言うなら…。」
「ちょっと!さっきと態度が全然違うじゃない!」
「こらっ!二人とも車の中で暴れたら危ないわよ。」
そんな風に戯れ長ら車に揺れて学校へと帰る。何だか事故の前には当たり前にあった雰囲気が少し嬉しくて懐かしかった。
「じゃあ、テントと望遠鏡なんかは僕が用意するから…そうだなぁ、女性2人には夜食でもお願いしとこうかな?」
手料理!それくらいの役得があっても良いハズだ。意外とみなみは手先が器用で料理やお菓子なんかも上手く作る。
「えっ…夜食?…携帯コンロでラーメンとかじゃあ駄目かしら。」
「…先生。流石に夜とは言え、夏ですから熱々のラーメンはちょっと…。」
「そ、そうよね。夏にラーメンは無いわよね。」
目が泳ぐ芦田先生に面白いものを見付けたと食い付くみなみ。
「先生って料理苦手なの?彼氏とかに作ったりしないの?」
ものすごく楽しそうなみなみの笑顔を、こちらも先生は満面の笑みで受け止める。
「そう、瀬戸さんはここから歩いて帰りたいのね。………彼氏なんていた事ないわよ。」
最後、ぼそっと何か聞こえた気がするが巻き込まれては敵わない。視線をそっと窓の外へと向け回避をはかる。
「えっ?先生は彼氏いないの?一樹良かったわね!みんなのアイドルの芦田先生には変な虫ついてないってよ!」
なんでそこで僕に話を振るんだと、みなみを睨むが後部座席から助手席では効果は薄い。
「あなたたち、一応先生って言ってるから分かってると思うけど、生徒に手を出したら先生クビになっちゃうわ…どこかにいないかしら、独身の良い男。」
「やだなぁ、私たちもう二年ですよ。卒業までの一年半くらい待てますって、ねぇ一樹?」
「なんで付き合う前提で話してんのさ!?」
「「何?嫌なの?」」
えっ?なんでそんな話になってるの!?そりゃあ、芦田先生は若いし、綺麗だし、胸だって…。
「うわぁ、一樹いやらしい顔になってる…。」
「えっ?」
「八坂くんは先生の身体が目当てだったのね…。」
「ちょっと!?」
慌てる僕の姿に二人は顔を見合せ大笑いしだす。この二人…何だか凄く息があってない?
「冗談はさておき、ちゃんと課題だけは終らせておいてよ?先生、やることやらずに遊びに連れて行って怒られるのは嫌よ?」
「遊びって…部活動じゃなかったんですか?」
「あ、そうよね。部活動よね…忘れてたわ。」
すっかり遊ぶ気満々である。本当にちゃんと星を見たりするんだろうか?少し不安になってきたところで学校に車は到着したのだった。