episode 0 「灰色の悪意」 第十八話
【第十八話】
セイラガイス王国軍第一魔法僧兵団長、キルン・エターヴィト・ポルティア。
彼がこの国の魔法僧兵の中にあって、最も優秀な者ばかりを徴兵している第一魔法僧兵団の長を三十にも満たない若さで務めているのには、それなりの理由がある。
魔法僧兵の戦闘能力として、騎士の「剣氣現力」と対を成す力…即ち、魔法。
この国において、正確には「魔的術式現力」と呼ばれるそれには、剣氣現力の理論体系とは比較にならない多様化、複雑化、体系化、具現化された、膨大な知識と術式がある。
魔的術式現力は、剣氣現力同様行使する者の「現力」と呼ばれる、いわば生命エネルギーの寡多によってその能力が齎す影響は違ってくるのだが、そこに幾つかの外的要素が加わる場合が多い。
それが「術式」である。
剣氣現力は基本、自らの心身に宿る現力を以て様々な能力を発揮する。
しかし魔的術式現力はそれに加え、文字、言葉(音)、絵、造形、飲食等、外的要因を組み合わせる事によって剣氣のそれとは全く異なる、幅の広い能力を行使する事が出来るのだ。
例えば、言葉(音)。
魔法僧兵の攻撃能力として、自然現象に干渉した手段が一般的に多く取られる事がある。
現力を源に、それを炎に、氷に換えて放つというものだ(騎士の剣氣現力に「天位換属」という同質の十属環性がある)。
これに加え、言葉…即ち「音」による現力の上乗せが、魔法僧兵には可能なのだ。
この、上乗せする言の葉の事を「呪文」と呼称する。
単に現力を炎として放つのではなく、その前段階として「呪文」を詠唱する事で、その魔法の出力、威力、精度、効果が飛躍的に上昇するのである。
キルンが突出しているのには、個の現力の容量が人並外れている事に加え、外的要因を組み合わせる為の公式化の多様性というものがあった。
呪文にしても、魔術書(魔的術式現力の能力上昇に係る効果的な文言を記した術式書)の扱いにしても、彼の解釈は常に革新的なのだ。
今より更に若かりし頃、先輩にあたるハパトラとは常に新しい術式の開発に力を注いでいた。
二人がふと、そんな事を思い返す。
「さて。その表情は、私のあの一言で全て理解したという事で良いかね?」
第七騎士団長、ハパトラ・ナムヤ・ナムルデンが、ぺたぺたと自らのスキンヘッドを右手で撫でつけながらキルンに声をかけた。左手は、脇腹に重傷を負った第二騎士団長、ユタ・ニムに翳して治癒の魔的術式をかけている。
「まあ、一応…」
黄金色の右眼を灰色悪魔にくり抜かれ、多大なダメージを負ったキルンであったが、ハパトラの治癒によって何とか立ち上がれる程度には回復した様子である。
「魔的像封印…リィルナルが自らの肉体に悪魔を封じていたのと同じ理屈で、誰かの肉体に奴を封じ直す…」
キルンの呟きに、ハパトラが頷いた。
「そういう事だ。…我ながら無体を言っているとは思うのだが、これしかあるまいよ」
ハパトラの言葉に、キルンも頷く。
「大総僧リィルナルが、恐らくかなりの時間をかけて入念な準備をしての封印解除…その逆手順を今この時この場所で速やかに行わなければならない…確かに無茶もいいとこですよね…はは」
キルンの苦笑に、ユタが「笑い事なのかよ…」と、呆れる。
「まあ、命懸け程度で済むのなら、軍部の人間としてはこの状況を鑑みると、上出来の部類だと思うがね。さてしかし、それだけでは対策を講じた、とは言えん…こちらも、理由は理解出来るかね?」
ハパトラが、小さく溜息をついた。
何かを…諦観している。そんな感情が込められている、とユタは思った。
「…良いですよ。俺がやります。この体たらくじゃ、戦闘で役に立てそうにないですし」
キルンが、静かに笑った。
ハパトラは「…すまんね」と、ユタの治療を終えた左手でキルンの肩をぽんと叩くと、先程迄の飄々としたものではない、真剣な面持ちで立ち上がった。
キルンも、それに合わせて立ち上がる。
「ユタ、取り敢えずの応急処置程度だが、ある程度動けるくらいには回復した筈だ。あと30…いや、20フィン(約20分)、第一騎士団、第六騎士団と共に奴を足止めして来い。勿論、第四王女の安全を確保してくる事も任務に含まれるぞ」
ハパトラの言葉に、ユタも立ち上がる。
「はっ…わーかったよ。てめーらの頭の中のこたーよくわかんねえが、さっきのヘマだけは取り返さねーとな。おい、キルン、ハパトラ。秘策があるって事で良いんだな?」
ユタの眼差しが、キルンに向けられる。
「…ええ。やりますよ」
にこりと、キルンが笑った。
「貴様の如き単細胞では、到底理解に及ばぬ秘法だよ」
ハパトラが人の悪い笑みで返す。
「…ちっ、しゃーねえな…。んじゃ、行って来るぜ!」
二人の肩を拳で軽く叩くと、聖剣ガラを手にし直して、ユタは再び戦場へと駆けて行った。
「その調子だ。精々その馬鹿筋肉で時間稼ぎをして来い」
ハパトラが笑う。
「いや…ハパトラさん。ユタさん多分あれ、何となく気付いてますよ…」
「ん?そうなのか?私達二人共が、これから死ぬ事を?あの山猿が?」
「そりゃまあ、これからやる術式の事迄解ってる訳じゃないでしょうけど…あれでユタさん、勘は鋭い人ですから」
キルンの苦笑に、ハパトラが肩を竦めた。
「成程。では、ユタが戦線で余計な気を回す前に、準備に入ろうか。キルンは魔的像封印。「器」はお前自身だ。そして私は…」
ふう、と深く深呼吸をするハパトラ。
魔法僧兵団長級の魔法を駆使出来る唯一の騎士が、一瞬躊躇した。
「…異界纏・空位層識転送第一式の儀を執り行い、灰色悪魔を取り込んだキルン・エターヴィト・ポルティアの遺体を異世界へと封じ込める」
長い…永い呪文の詠唱が始まった。