episode 0 「灰色の悪意」 第十四話
第十四話
「自己紹介くらいはしておいてあげようか…。僕の名前は、カーシュ。灰色悪魔のカーシュ。よろしくね」
カーシュと名乗った、かつてリィルナルだったそれは、にこりと微笑んだ。
「灰色悪魔…カーシュ…」
第一騎士団のトアンヌが、慄きながら呟いた。聞き違えていなければ、子どもの頃にお伽話で聞かされた、伝説の古代悪魔の名前だ。
「…怯むなよ、皆!俺達が此処に居る人達を守るんだ!」
カルトローサが、剣を構え直す。
「ヨーハ、サティン、シルヴァーは俺と共に「斜錘の陣」だ!トアンヌ、カシュア、ケールは右から特化撃態勢!ドバド、ハールミーザ、エバーディアも同じく左展開!行くぞ、第一騎士団!」
「…は、はい!」
尚も増大し続けるカーシュの魔力に、歴戦の勇士達も流石に足が竦みかけたが、騎士団長の指示と檄で我を取り戻し、臨戦態勢を取った。
「行くぞ!」
「…周りに居る大勢の人間達よりは、君達の方が良さそうだね」
カーシュが、舌舐めずりをしながらゆっくりと右手を構えた。
「くらえ!化物!!」
ヨーハとサティンの長槍が、左右でクロスしてカーシュに放たれた。威力、タイミング共に絶妙である。
「やっ!」
「ぬん!」
更に右からトアンヌの二刀が、左からドバドの鉄球棒が飛ぶ。
「こいつは凄い。人間の運動性能としちゃ、かなりのもんじゃない?」
のんびりと言いながら、灰色の少年が右手を振り下ろす。
ぱきんと、水面に張った氷が割れるみたいな音を立ててヨーハとサティンの槍が折れて粉々になった。
「…くっ…!」
「んー?こっちも中々…」
左右から放たれた二刀と鉄球の一撃も、長く伸びる尾が回転して見事に防いでいた。
「…いくよ?」
その尾が、ぶるんと不気味なうねりをあげて左右のトアンヌとドバドを薙いだ。
「あうっ!」
「がっ…!!」
尾の一撃で、トアンヌの鎧と二刀は粉々になり、本人も吹き飛ばされる。
ドバドはかなりの大男で、重量のある鎧を着込んでいた為か、吹き飛ばされこそしなかったが、矢張り鎧と武器は破壊された。
しかし寧ろ、吹き飛ばされていた方が良かったのかもしれない。
「惜しかったね」
倒れ、膝をついたドバドの胸を、カーシュの腕が貫通した。
「…ぼ…」
「えいっ」
ドバドが何か言葉にしようとしたが、それは叶わなかった。
その前に貫通した悪魔の右手に握られた彼の心臓が、まるで子どもの作った泥団子のように軽く握り潰される。
「何て奴だ…!これなら!」
ヨーハ、サティンに続いてシルヴァー、カシュア、ハールミーザがそれぞれに斬りかかった。
今度は必中の一撃ではなく、剣による乱撃の嵐。
「わあ、怖い」
にこにこと笑いながら、その剣撃を尾一本でいなし続けるカーシュ。
「…あと数秒…皆…頼む…」
言って、カルトローサがカーシュから少し離れた場所で剣を構えた。
「いくよ、相棒」
カルトローサの持つ長剣…聖剣レローヌが薄らと蒼く光る。
「剣氣現力…「蒼風剣」…」
「あぐっ!」
「ほら、一瞬だって気を抜いちゃいけないよ」
一流の騎士とはいえ、上級悪魔属を相手に乱撃の嵐を撃ち続けていれば、心身の疲弊は通常戦闘時におけるそれとは比較にならない。
その一瞬の隙に、カーシュの尾がシルヴァーのレイピアを持った左腕を肩口から斬り裂いた。
「…ちっ!」
それでも、揺るがずにカシュア、ハールミーザが攻撃を続ける。
そして数秒が経ち…。
カルトローサの持つ長剣から放たれた光は、何時の間にか彼本人の全身も包んでいた。
「セイラガイス王国軍第一騎士団長、カルトローサ・ファーニン・カーロ、参る!」
正に神速。
先程のユタに勝るとも劣らない、見事な踏み込みでカルトローサがカーシュに突進した。
事前に察していたシルヴァー、カシュア、ハールミーザが全速でその場を離脱。
「は!」
気合い一閃、カルトローサの下段からの袈裟斬りがカーシュの腰辺りに食い込んだ。
「こいつは凄い…君、やるね」
カーシュにとってはまだ、ダメージという程の事でも無いのか、まるで余裕を持った態度でくすりと笑う。
「ここからだ!」
言ってカルトローサが更に剣の柄を力強く握り締めた。
「いくぞ!」
蒼い…。
蒼い光を纏った風が、竜巻状に長剣の周囲に発生する。
「な…に…?」
その蒼い竜巻は、鋭く、速く…高密度に展開し、カーシュの腰を抉る。
「はああぁ…!」
そして、そのまま竜巻の剣を横に薙ぐ。
「…!!」
灰色の悪魔が、その姿になって初めて自分の意思以外で身体が動いた。
腰を抉られながら、勢い良く吹き飛ぶ。
「流石…!団長の「蒼風剣」!」
第一騎士団上位騎士達が、感嘆の声を挙げた。
「まだだ!気を抜くな!!ユタの剣突、キルンの「龍撃」にも耐える奴だ!」
肩で息をしながら、カルトローサが叫ぶ。
手応えはあった…が。
「これもまた…!」
カーシュを尚も、蒼き竜巻の余波が鎌鼬の如く切り刻んでいるにも関わらず。
苦悶ではなく、感嘆の声が悪魔から発せられた。
「いや、さっきの彼といい…まだ人間にも「現力」をここ迄操る者が居たなんて、驚いたよ」
刻まれた無数の傷痕を、新しい玩具を与えられた子どもの様に見つめながらカーシュは言った。
「嘘だろ…あれでも駄目なのかよ…ぽっ」
ハールミーザが、肩を落としたその瞬間、灰色の爪が弾丸の様に飛び、彼の額を撃ち抜いた。
「ほら、僕と彼の言った通りだろ?気を抜いちゃ駄目…」
抜けた爪が、くちゅくちゅと音を立てながら生え変わる。
「さて、もう大体出し尽くしたかい?もしそうなら、そろそろ皆殺しかな?」
両腕を頭の上に翳し、カーシュが魔力を込める。
「…死ね」
そこに、灰色の…炎が燃え上がる。
そして、その炎が翼の形になり、やがて大きな蝙蝠となって叫び声を挙げながら、闘技場内を凄まじい速度で縦横無尽に翔る。
「やっ…やめろ!」
カルトローサが叫んだ。
虐殺。
騎士も観客も関係無く。
灰炎蝙蝠の翼に、牙にかかった者達は声も出せずに燃え尽きて死んでいった。
「もう…駄目だ…」
騎士団の誰かが、力無く呟いた。