episode 0 「灰色の悪意」 第十二話
第十二話
「っ…一体、何が…」
気絶していたリトラスが目覚め、目の当たりにした光景に狼狽する。
「無事だったか。問答は出来ん、悪いが。このままアスドガリス君の救出を終えたら君達は二人で隠れていろ」
闘技場の端迄吹き飛ばされたリトラスを保護したのは、第一騎士団長補佐、ペイドン・リ・ハーリンレイスであった。
第一騎士団の…否、王国騎士団の中でも人望、実力共に屈指の実力派であり、剣技だけなら騎士団長のカルトローサをも凌ぐと言われている男である。
その彼が…。
「ペイドン…殿?」
額に汗し、息を飲んでいる。
彼が視線を放つ先にあったのは…。
「あれは…?」
※
「いっ…てて…」
リトラスと反対方向の闘技場端側に吹き飛ばされたアスドガリスは、リトラスよりも数秒遅れて目を覚ました。
「アスドガリス!」
其処へタイミング良く現れたのは、リナリナ…ロイアス。
「お、おお…姫様…何事なんだ?」
よろよろと起き上がり、ロイアスに尋ねるアスドガリス。
「それが…」
ロイアスのたどたどしい説明に、頭を捻りながらアスドガリスは考える。
「それじゃ何か?あの時乱入してきたのが、伝説にある悪魔で、その正体がリィルナル大総僧…?」
黙って、ロイアスは頷いた。
「何てこった…」
「う、うん…。と、とにかく、これからどうするか考えなきゃ!」
「どうするかって…そりゃ…」
ロイアスの叫びにも似た大声。アスドガリスの大きな溜息。
当然といえば当然だが、二人の頭は纏まらない。
そこに登場したのは…。
「あれ?パパ、また違う所へ出たみたいだけど…」
「くそ…相変わらず訳の解らん造りになってやがる建物だぜ」
少女と、無精髭の男性である。
リィルナルの灰色結界発動の直前、闘技場に入り込んだ様だ。
「…ん?お前…」
男性が、髭を擦りながらアスドガリスをじっと見つめる。
「あ…!貴方は!」
アスドガリスの方が一瞬早く、相手の事に気付く。
「ラゴロデさん!…て事は、こっちの子は…ラーニャ?」
アスドガリスがラゴロデと呼んだ男性の傍に居た女の子が、男性の膝の裾を握って頬を赤らめながら「えへへ。アスドガリスお兄ちゃん、久しぶり!」と挨拶した。
ラゴロデ・ケラスコット。
セイラガイス王国一の…。
否。
ヤウ大陸西部一の、鍛冶屋である。
※
「あれは…?」
リトラスも、ペイドンと同じ方向へ目を向けた。
「リトラス君…よく、見ておく事だ。あれが王国最強にして…我国近隣諸外国の全てが畏怖し、忌み嫌う戦士の姿だ」
闘技場の真中。
灰色の悪魔に対峙していたのは…。
セイラガイス王国軍第二騎士団長、ユタ・ニム。
その手にしているのは、カーロ家に代々伝わる聖剣。
「…いーい剣じゃねえの…こいつぁ、気が引き締まるぜ…」
その場の空気が、ユタを中心に変わったのが、キルンも肌で感じた。
「ユタさん…凄い…。これなら…」
「全く…マイペースな奴だ…」
カルトローサも、小さく溜息一つ。
「おーい、第一騎士団!いーぜ。「天鹿の陣」、解け」
ユタのその言葉は、やけに小さくゆっくりとしたものであったが、何故か其処に居た騎士団員全員に、はっきりと聞き取れた。
「…俺の合図で「天鹿の陣」解け!」
カルトローサが、指示を新たに出した。
「…は、はい!」
「ふは…何か策でもあるのか…?私に傷の一つも付けられんか細き者よ…」
リィルナルが、憐れみをすら込めた視線をユタに向けた、その瞬間。
カルトローサの合図。一斉に悪魔から離脱する第一騎士団。
「さーて…いくぜ、化けもん」
「!!!?」
土埃が、嵐の様に場に巻き起こる。
それに、夥しい量の血液が降りかかり、湿度を蒔いた。
血の色は…人の赤色ではなく、灰色。
悪魔と化し、闘技場の人々を殺戮し尽くさんとしていた、あの腕が。
一瞬姿を消したユタの、右腕に握られていた剣の一線で切断されていた。
「かは…まさ…か…!」
驚愕。流石にその感情を隠せない、リィルナルであった。
「っらあ!!!」
その隙をつき、ユタが悪魔の懐に飛び込んで、渾身の剣突を放つ。
「ぎゃあ!」
驚くべき事に、その一撃で悪魔の巨体が闘技場中央から北側端迄吹き飛ぶ。
「…!」
リトラスが、ペイドンが。
第一騎士団上位騎士達が。
アスドガリスが、ロイアスが。
観客席の人々が。
その時、闘技場中央を見ていた全ての人達が。
一人の騎士の、剣撃に…目を奪われた。
ただ一人を除いて。
「ありがとうございます…ユタさん!」
術式の完了したキルンが、黄金色の魔力を全身に帯びている。
「さあて…上手くいってくれ…よ!」
キルンの両腕から放たれた、黄金色の閃光が束となって収縮。
それは光の龍の形を成して、荒れ狂いながらリィルナルへと向かう。
「お…のれ…!」
リィルナルが、何事か呟く。
しかし時は遅く、光の龍はリィルナルの巨体に激突した。
闘技場の北側が、完全に崩壊した瞬間であった。